平成1878日目
1994/02/28
この日のできごと(何の日)
【大相撲春場所】番付発表
日本相撲協会は28日朝、大相撲春場所(3月13日初日・大阪府立体育会館)の番付を発表。貴ノ浪、武蔵丸の大関2人が同時に誕生し、貴ノ花、若ノ花と合わせ、平成2年名古屋場所(旭富士、小錦、霧島、北天佑)以来の4大関で、曙との1横綱、4大関の豪華番付は昭和47年春場所以来となった。
新関脇に幕内4場所目の武双山が小結を越して昇進。学生相撲から幕下付け出しでデビューし、8場所目の関脇昇進は史上最短のスピード出世となった。《共同通信》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
情報量が少ない日は随時加筆中です。
引用記事は名前、住所など一部修正の上、抜粋してあります。
外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)
古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。
【細川護熙首相】週内に内閣改造へ
細川首相は28日、政治改革法修正案が成立するのを待って政権発足後初めての内閣改造に踏み切る意向を固めた。修正案の成立は3月3日か4日の見通しで、首相は28日夜、武村官房長官と会談したのを皮切りに連立与党各党党首らと個別に会談して一気に連立与党内の調整を進め、遅くとも週内には組閣を完了したい考えだ。
焦点の武村長官の処遇については他の閣僚への横滑りを図り「武村氏更迭色」を薄めるとともに、ポスト政治改革の連立政権を税制改革と日米関係改善に狙いを定めた「経済改革政権」と位置付け、これに対応するため主要閣僚を含めた大幅改造を断行する方針だ。《共同通信》
【政界談話室】
○…細川首相は28日、内閣改造の時期を左右する施政方針演説の日程で発言を迷走させた。朝、官邸入りの記者団とのやりとりでは「演説は7日」と明言。その後すぐに「7日に本格論戦が始まるということ」と7日は代表質問であることをにおわせ、さらに「(演説と言ったのは)間違い。7日は代表質問」と訂正、最後には「施政方針演説は4日の方向」と完全に軌道修正した。そもそも改造の一因は首相と武村官房長官の食い違いだが、この日は首相の発言自体が統一されていない状態。前言撤回は国民福祉税構想だけで十分、との声も。
○…自民党の橋本政調会長はこの日、外国特派員協会で会見。細川首相と渡辺元外相の秘密会談について質問され「その質問に答えられれば党総裁になっている」とはぐらかした上、「体型でも分かるように、渡辺さんの中には私よりはるかにたくさんの知恵が詰まっている。彼が(自民党は)分裂しない、と言っているのなら、そのまま信じてもらっていい」。さらに「だれがだれと会ってもいいが、渡辺さんがうらやましい。細川さんは私に会おうとしないでしょう」と皮肉たっぷりに答え、渡辺氏への不快感の大きさをうかがわせた。《共同通信》
【愛新覚羅溥傑さん】死去
清朝最後の皇帝だった故愛新覚羅溥儀氏の実弟で、日本の華族と結婚するなど、波乱に富んだ数奇な運命をたどった中国の全国人民代表大会(全人代=国会に相当)常務委員の愛新覚羅溥傑氏が28日午前、北京で死去した。86歳。
溥傑氏は昨年3月に健康を害して北京市内の協和病院に入院、前立腺肥大とその合併症などで一時重体となったものの、持ち直して一年近い入院療養生活を続けていたが、今月中旬から肺感染症を起こして容体が悪化していた。
溥傑氏は、清朝の皇族である愛新覚羅載灃氏の二男として生まれ、兄の溥儀氏が皇帝となった後、紫禁城(故宮)で1921年の辛亥革命まで兄とともに過ごした。清朝崩壊後は日本に留学して陸軍士官学校に学び、日本が中国東北地方に樹立させた満州国の皇帝に溥儀氏が即位すると帰国、侍従武官などを勤めた。
日本降伏後は一時ソ連に抑留された後、新中国で戦犯として思想改造を受け、60年に釈放。全国人民代表大会の代表に選出され、常務委員も務めていた。夫人の故嵯峨浩さんは元侯爵嵯峨実勝氏の長女で、37年に溥傑氏に嫁ぎ二女をもうけた。《共同通信》