平成1755日目
1993/10/28
この日のできごと(何の日)
【ドーハの悲劇】
サッカーの1994年W杯米国大会のアジア最終予選最終日は28日、ドーハ(カタール)の3会場で午後4時15分から3試合が一斉に行われ、アジアからの代表はイランを4−3で破って2勝3分けの勝ち点7としたサウジアラビア(初出場)と、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を3−0で下した2勝2分け1敗の韓国(3大会連続7度目の出場)。日本は勝てば自力で予選を突破できたが、手痛い引き分けで勝ち点6での得失点差争いに持ち込まれ、韓国に代表の座をさらわれた。
日本は前半5分、三浦知(川崎)のヘディングシュートで先制。後半9分にラディに同点ゴールを決められたものの、25分に中山(磐田)が決めて勝ち越した。しかし終了直前の44分み、オムラムにまさかの同点ゴールを奪われた。
4位はイラク(1勝3分け1敗、勝ち点5)で、以下5位イラン(2勝3敗、同4)、6位北朝鮮(1勝4敗、同2)の順だった。《共同通信》
◇
またも、W杯初出場の悲願は厚い壁に阻まれた。それも、あと30秒で勝てた、というのに…。第2戦でイランに敗れ、1分け1敗の瀬戸際から北朝鮮、韓国を連破して迎えたイラク戦。しかし、最後の最後になって、打ち立てかけた金字塔は崩れ、フィールド上の選手たちとオフト監督や控えの選手は、そして日本のサポーターたちも、脱力感だけを漂わせた。
「日本のサッカーをやって、何が何でも勝つ」(オフト監督)と臨んだ最終戦。しかも試合開始早々に先取点を奪った。ところが予選5試合を通じて最も厳しいコンディションが、韓国戦から中二日しかたっていない日本イレブンに容赦なく襲いかかった。
後半9分には同点に追いつかれた。しかし25分には「W杯に行く」の中山(磐田)の意地のゴールが決まった。36歳のラモス(川崎)がふんばる。イラクの猛反撃をかわし、試合終了まであと1分を切っていた。念願の初出場はもう目の前だった。だが再びイラクに同点ゴールを許し、悲願達成は夢と消えた。
しかし、低迷していた日本代表の強化に、光明がさしてきたのも確か。柱谷主将(川崎)は韓国戦の後「次のイラク戦に負けたら何もならない」と話したが、日本のサッカー界こそ、オフト監督就任後わずか一年半で築いた再建の道を無にしては、それこそ何もならない。《共同通信》
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【プロ野球日本シリーズ】第5戦
1993年プロ野球日本シリーズ、ヤクルトー西武の第5戦は28日、約3万5000人の観衆を熱得て神宮球場で行われ、西武が7−2で勝って対戦成績を2勝3敗とし、決着を第6戦以降に持ち越した。
後がない西武は二回、先頭の清原がシリーズ初先発の宮本から中越えに本塁打して先制。七回には二死二塁から伊東の二塁打で加点した。八回に広沢克の適時打で1点差に迫られたが、西武は九回、鈴木健の代打満塁本塁打(史上2人目)などで5点を奪い、勝負を決めた。《共同通信》
【政界談話室】
○…細川首相は28日の参院農水委で「新田園主義を自負している」と、農業への熱い思いを披露したが、委員会終了後に記者団から「将来は熊本に戻り、農業をするつもりか」と問われて「前からそう思っているんだけど、今のところは微妙だな」。記者はさらに「日本の農業といえばコメ。総理もやはりコメを作っていたいと思うか」と突っ込むと「私はそうは思いません。(作ってみたいのは)野菜とか花とか。まあ、いろいろありますよ。一歩扱いを間違えば内閣の命運にかかわるだけに、コメへの思いは複雑。
○…この日昼の衆院政治改革調査特別委員会理事会で妥協案を模索する現場とあくまで強硬姿勢をとる“本国”との温度差が話題になった。口火を切ったのは自民の大島理森氏。「後ろから鉄砲を撃たれる」とこぼせば、社会の左近正男氏は「こっちは上からも」。野田毅氏(自民)が「こっちは下からもだ」。「四面楚歌とはこのこと」(左近理事)、「こっちは八面楚歌だ」(大島理事)とグチばかり。とはいえグチがこぼせるのも現場同士だからこそ。「国対より、ここの空気の方がいい」と最後は互いに慰め合っていた。《共同通信》
【皇后陛下】1週間ぶり外出
天皇、皇后両陛下は28日午後、皇居内の宮内庁書陵部を訪れ、同部庁舎3階で歴史研究者に公開されている歴代天皇の直筆展を約40分にわたり見学された。
皇后さまが赤坂御所から外出されたのは、21日に皇居の宮内庁病院で検査を受けて以来7日ぶり。
皇后さまは依然、言葉が出ない症状が続いているが、この日は顔色も良く元気な様子。薄いベージュ色のツーピース、白い手袋姿で午後4時すぎ、車で書陵部に到着。出迎えた職員に笑顔で会釈。しっかりとした足取りで陛下とともに展示品を丹念に見て回られた。
担当者の説明には「うーん」と小さな声でうなずきながら聞き入り、口元をほころばせ、時折ガラスケースに手を懸けて展示品をのぞき込まれた。《共同通信》