平成1655日目

平成5年7月20日(火)

1993/07/20

【北海道・奥尻島】悲しみの夏休み

北海道南西沖地震で最も大きな被害を受けた北海道・奥尻島(奥尻郡奥尻町)では、20日も行方不明者の捜索や復旧作業が行われたが、捜索は難航している。北海道警の20日午前10時現在のまとめでは、死者は1人増え183人、不明者は61人、奥尻町だけで死者155人、不明者56人。

こうした中で同日午前、同島内の小学校4校、中学校2校の計6校で予定より6日繰り上げた終業式が行われ、夏休みに入った。

壊滅状態となった島南部の青苗地区の青苗小学校では、災害復旧に追われ通知表の作製が結局間に合わず、夏休み中に先生が各児童を訪問し直接手渡すという。また、校舎が半壊した島北部の稲穂小学校では、別の小学校の教室を借りて終業式をすることになっていたが、都合がつかず、児童たちが避難している近くの集会所2カ所を校長ら5人の先生が訪問、異例の分散終業式になった。

同町教育委員会のまとめでは地震と津波でこれら6校の児童、生徒計544人のうち8人が死亡、3人が行方不明となっている。終業式では教師、児童、生徒らが黙とうをささげた。生徒3人が死亡した道立奥尻高校は終業式を行わないが、21日から夏休みに入る。《共同通信》



【小泉純一郎郵政相】辞表提出

小泉郵政相は20日の閣議後の会見で、「首相に面と向かって退陣を勧めた以上、私もそれなりの責任を取らなければならない」と、辞意を表明「これから辞表を提出する」と述べた。辞表は同日正午)すぎ、受理された。

郵政相は19日夜の民放の番組に出演し「宮沢首相は(総選挙後)直ちに退陣表明をすべきだった。即刻辞めるべきだ」などと発言した。小泉郵政相は同日の閣議で「政治改革法案が廃案になり、不信任決議が可決された時点で内閣総辞職をすべきだった。しかし、サミットを控えていたので、サミットを終えた後に退陣するのがいいと思っていた」と首相退陣勧告発言に至る気持ちを説明。さらに、「今後の政治空白をなくす意味からも速やかに退陣を表明され、後は三役に任すべきだ。最近、政治家の出処進退がおろそかになっている」と、改めて首相に退陣を求めた。

これに対して首相は「厳しく受け止めます」とだけ答えたという。《共同通信》

【宮沢喜一首相】退陣の意向示す

宮沢首相(自民党総裁)は20日午後、党本部で開かれた「結束・前進の会」初会合で進退問題について「党員の者さんの考えに従うのは当然だ。総裁の地位に恋々としているわけではない。誤解をしないでほしい」と述べ、党分裂、総選挙での過半数割れの責任を取って退陣の意向を明らかにした。首相は22日午後1時から開かれる両院議員総会で正式に退陣を表明する見通しで、自民党の後継総裁選びが一気に本格化することになった。

党執行部は両院議員総会で結束・前進の会の位置付けを明確にした上で、同会を中心に調整作業を進めたい考え。しかし、渡辺前外相や小渕元幹事長は「オープンな形での後継者選出が重要」として両院議員総会での選挙による決着を目指す動きを強めており、後継者選びは手続き論を含め難航は避けられない情勢だ。

結束・前進の会は総選挙結果を受けた態勢立て直しのための各派領袖、党四役のほか中堅、若手も加えて、発足、座長に河本派会長の河本元国務相を選任した。河本氏はあいさつで「政治の安定」を強調するとともに「過半数を割った以上、野党との話し合いが重要」と指摘。新体制づくりに当たって「政治改革についての考え方の取りまとめ」を求め、政治改革推進を基本に据えるべきとの考えを表明した。

首相の責任論については、石原慎太郎氏が「敗北は敗北だ。武士(もののふ)の道としてき然と退陣すベきだ」と退陣を求めたほか、若手からも「責任の所在を明確にすることが重要。そこからスタートだ」などの厳しい意見が続出した。三塚政調会長は「党の第二分裂があってはならない。結集してやれば必ず活路は見いだせる」と述べ、党内が一致結束して政権を維持すべきとの考えを力説、自民党政権継続論が大勢を占めた。

中堅、若手からは両院議員総会の開会、総務会の刷新など「開かれた体制、開かれた党」(狩野勝氏)を求める意見が相次いだ。《共同通信》

【社会党】「非自民連立」を確認

社会党は20日午後、総選挙後初の三役会議と臨時中央執行委員会を党本部で開き、非自民連立政権の樹立を目指す方針を確認。赤松書記長は社会、新生、公明、民社、社民連の5野党に、日本新党、新党さきがけを加えた党首会談を近く、開くよう呼び掛ける考えを正式に表明し、中執委後、各党に打診した。

総選挙惨敗に伴う山花執行部の責任問題については、三役会議で和田副委員長が「一定の時期に出処進退を含め区切りをつけた方がいい」として特別国会後に辞任すべきだと主張した。しかし、即退陣を求める意見は出ず、中執レベルでは山花委員長の進退問題は連立政権協議の行方を見極めるまで先送りされることになった。

山花委員長は中執委冒頭のあいさつで総選挙の歴史的敗北について「委員長としての責任を痛感している」としながらも、「第二党の地位をよりどころに、私たちの主張をできる限り、貫きながら非自民の大結集を目指し、そのために任務を全うしなければならない」と述べ、当面委員長職にとどまり連立政権協議を推進する考えを表明した。

【政界談話室】

○…宮沢首相は20日午後開かれた自民党「結束・前進の会」で、自分の進退問題について「広く党内の意見を聞いて判断しなければならない。私自身のことを真剣に考えている」と心境を吐露したが、出席者からの拍手はまばら。それでも宮沢政権の幕引きの会と想定されていただけに、冷ややかな反応にも平静を装っていた。会の直前には小泉郵政相から辞表を突き付けられて「誠に残念」と感想を漏らしたが、まさに「死に体」にむちを打たれているような状態。選挙戦中は「私は守らせたら強い」と強気だった首相もギブアップ寸前?

○…この「結束・前進の会」には、既に長男に後を譲ったはずの浜田幸一前衆院議員の姿も。会のメンバーでもなく、ほかの議員から「ここに(出席の)資格のない人がきている」と非難されたものの、ひるむことなく「何を言うか。政治改革を議論する場なのに、議論する資格のないやつだっていっぱいいるじゃないか」とやり返した。その後は「ハッハッハッ」と高笑いしながら途中退席。引退理由は健康問題だったとも言われていたが、まだまだ血気盛んな様子で、これが「最後のひと吠え」とはまだなりそうにないか。《共同通信》

【プロ野球・オールスター第1戦】全パ10−8全セ

プロ野球のサンヨー・オールスターゲーム第1戦、全セントラルー全パシフィックは20日、東京ドームで行われ、全パが10−8で「勝ち、通算成績を64勝46敗5分けとした。

両軍合わせて6本塁打を含む30安打が飛び交う打撃戦。全パは七回二死二塁から、高橋智(オリックス)が右翼線三塁打を放って勝ち越し、九回には佐々木誠(ダイエー)清原(西武)の本塁打で加点して逃げ切った。

全セは三、九回に落合博(中日)、五回に広沢克(ヤクルト)の本塁打が出て互角の打ち合いを展開したが、5投手がいずれも打ち込まれて競り負けた。最優秀選手(MVP)には4打数4安打、3打点の清原が選ばれた。4度目の受賞は史上最多。第2戦(最終戦)は21日にグリーンスタジアム神戸で、全パ・野茂(近鉄)、全セ・湯舟(阪神)の先発で行われる。《共同通信》

【野球・津田恒美さん】死去

プロ野球セントラル・リーグの最優秀新人(新人王)になるなど広島カープの投手として活躍した津田恒美氏が20日午後2時45分、脳腫瘍のため福岡市中央区の済生会福岡総合病院で死去した。32歳。山口県出身。

津田投手は広島カープに在籍していた1991年4月に頭部の痛みを訴え、広島市内の病院で検査を受けた結果、大脳で覆われた延髄上部に悪性の腫瘍ができていることが分かった。その後入退院を繰り返し、長い療養生活を続けていた。

山口県南陽工高のエースとして78年の春夏の甲子園に出場、社会人野球の協和発酵を経て82年ドラフト1位で広島に入団した。右腕の本格派投手で、セ・リーグの新人王に輝いた。救援に転向した86年には22セーブをマーク。89年には最優秀救援投手のタイトルを獲得した。

91年は、開幕直後の2試合に登板しただけでマウンドを去り、5月20日付で任意引退投手となった。シーズン終了後の11月6日、広島を退団、正式にユニホームを脱いだ。10年間の通算成績は49勝41敗90セーブ。《共同通信》



7月20日のできごと