平成1554日目

1993/04/10

この日のできごと(何の日)

【林義郎蔵相】景気回復は今年秋以降

林義郎蔵相は10日、岡山市内で講演し、「景気の回復はまだ本物ではない。本年度の下半期になれば景気は上がってくるのではないか」と述べ、今年秋以降に景気は回復に向かうとの見通しを示した。またロシア支援について「金を貸して大丈夫なのかという心配はあるが、だからといって放っておくことはできない」と語り、ロシア国内の状況に懸念を示しながらも14、15両日の対ロシア支援のための先進7カ国外相・蔵相会議や7月の先進国首脳会議(東京サミット)に向け、支援策の取りまとめに全力を挙げる考えを示した。《共同通信》

昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。

情報量が少ない日は随時加筆中です。

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古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。

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【井上尚弥さん】誕生日

【ジャパンオープンテニス】

テニスのジャパンオープン第6日は10日、東京・有明テニスの森公園で行われ、女子シングルス決勝は第1シードの伊達公子選手(ヨネックス)が第8シードのステファニー・ロッティーア選手(オランダ)を6−1、6−3で順当に下して同種目で大会初の連破を達成、賞金2万7000ドル(約300万円)を獲得した。《共同通信》

【プロ野球】

プロ野球のペナントレースは10日、セ、パ両リーグ同時に開幕。シーズン到来を待ちかねたように一日の入場者としては史上2位の計25万3000人のファンが観戦、6球場は大きな歓声に包まれた。

注目の長嶋巨人は東京ドームでナイター。新外国人バーフィールドの本塁打で近藤新監督の横浜を突き放し、5-2で快勝。長嶋監督は13年ぶりの公式戦指揮を白星で飾った。昨年優勝のヤクルトは神宮球場のナイターで幕を開けたが広島に1−5で敗れた。甲子園のデーゲーム、阪神ー中日は毎回の20安打を放った中日が12−5で圧勝。

いずれもデーゲームだったパは、王者西武が地元西武球場で根本新監督のダイエーに4-7で敗れ、2年連続の黒星スタート。藤井寺球場では鈴木新監督の近鉄が八回のブライアントの本塁打で4-3と大沢新監督の日本ハムに逆転勝ちし、初の開幕投手となった野茂は完投勝利を挙げた。

またこの日から始まった。イースタン・リーグでは、巨人の注目ルーキー松井が高知・春野球場でのヤクルト戦で初本塁打しファームでのデビューを飾った。《共同通信》

【皇太子殿下、小和田雅子さん】東宮仮御所でデート

小和田雅子さんは10日、東京・元赤坂の東宮仮御所を訪れ、皇太子さまとのデートを楽しんだ。この日の雅子さんは白のスプリングコート。宮内庁によると、2人は昼食を挟んで歓談。夕方、雅子さんは自宅に戻ったが、皇太子さまはこの後、赤坂御所を訪れ天皇、皇后両陛下の34回目の結婚記念日を祝う夕食会に出られた。《共同通信》

【国連ボランティア・中田厚仁さん殺害事件】両親、悲しみの対面

カンボジアでポル・ポト派とみられる武装グループに射殺された、選挙監視担当の国連ボランティア中田厚仁さん(25)の父武仁さん(55)、母敬子さん(50)、妹順子さん(23)の3人が10日午後、空路プノンペン入りし、遺体と悲しみの対面をした。

3人は今川幸雄駐カンボジア大使の先導で、空港から遺体が安置されているプノンペン市内の国連の野戦病院に。変わり果てた姿を前に敬子さんが「厚仁、来たよ」と優しく声を掛けると、商社マンの武仁さんは、「よくやり遂げた」。この後3人は、厚仁さんが見ることのできなかった、大阪の自宅でことし咲いた桜の枝を、冷たくなった手にそっと持たせた。

対面の後、3人は国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)本部を訪ね、明石代表から哀悼の意を表す言葉を受けた。射殺現場の訪問については「息子が夢見ていた平和な状態が戻ってからにしたい」(武仁さん)と、今回は見送った。

中田さんと、同乗して死亡した現地の通訳との2人のめい福を祈るUNTAC主催の追悼式典は、11日午前11時(日本時間午後1時)からプノンペン市内で、遺族や同僚のボランティアも出席して開かれる。

「生命こそ失ったが、もっともっと崇高なものを得たと確信しています」ー。

カンボジアで射殺された国連ボランティア中田厚仁さんの父武仁さんら遺族は10日午後、プノンペン市内で記者会見に応じ、心境を語った。病院に安置された遺体と対面したばかりの武仁さんは「厚仁は日ごろから自分は日本国籍は持っているけれども、世界人として生きたいと言っていた。本人の志は十分に遂げられたと信じている。その遺志は世界の人々のために生き続けると信じています」と言葉を一つひとつかみしめるように話した。

母敬子さんは「昨年8月末、厚仁に案内されアンコールワットを見て回った。一番輝いた目をしていた。やりたいことをやらせて良かったと思い、帰国したのですが…」と悲しみを語った。《共同通信》



4月10日 その日のできごと(何の日)