平成1484日目

平成5年1月30日(土)

1993/01/30

【元横綱・北勝海】断髪式

元横綱北勝海(29)=九重部屋、北海道出身=の引退披露大相撲が30日、東京・両国国技館で1万1000人の満員の観客を集めて行われた。一門の新横綱、曙と大関小錦をそれぞれ太刀持ち、露払いに従えて最後の土俵入り。「北勝海」の掛け声が飛び交う中、雲竜型の土俵入りを披露した。

断髪式では同郷の歌手、松山千春さんら関係者342人がまげにはさみを入れ、最後に師匠の九重親方(元横綱千代の富士)が感極まった表情の北勝海の大銀杏を切り落とした。

北勝海は昭和54年春場所初土俵、58年秋場所新入幕。兄弟子の千代の富士の胸を借りて実力をつけ、62年夏場所後に61人目の横綱に昇進した。横綱在位は29場所で、優勝は8回。昨年夏場所前に引退した。

年寄名跡「八角」を既にこの春取得している北勝海は将来、独立して「八角部屋」を興す予定。《共同通信》



【全豪テニス女子単】モニカ・セレシュ選手が3連覇

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テニスの全豪オープン第13日は30日、メルボルンのナショナル・テニスセンターで行われ、女子シングルス決勝は第1シードのモニカ・セレシュ(ユーゴスラビア)が第2シードのシュテフィ・グラフ(ドイツ)に4-6、6-3、6-2で逆転勝ちして三連覇を果たし、優勝賞金41万豪州ドル(約3560万円)を獲得した。セレシュは昨年の全米オープンに続き、通算8度目の四大大会優勝を遂げた。

男子ダブルス決勝はダニー・ビサー(南アフリカ)ローリー・ワーダー(豪州)組がジョン・フィッツジェラルド(豪州)アーンデシュ・ヤリード(スウェーデン)組に6-4、6-3、6-4でストレート勝ちし、初優勝した。《共同通信》

【ジャンプ・葛西紀明選手】国内初勝利

スキーの全日本ノルディック選手権ジャンプ、複合第1日は30日、長野県白馬村の白馬競技場でジャンプ(ノーマルヒル)と複合前半飛躍を行い、ジャンプは葛西紀明(地崎工業)が220.5点で今季国内大会初優勝。複合は阿部雅司(東京美装)が228.5点で首位に立ち、ワールドカップ(W杯)総合得点トップの荻原健司(北野建設)は3位で、後半距離での逆転は苦しくなった。

今季のW杯で2勝を挙げている葛西は1回目89.5メートル、2回目85.5メートルで東輝(ニッカ)西方仁也(雪印)のW杯転戦組を抑え全日本初制覇。

複合は阿部が2回目に最長不倒の87メートルを飛び、タイム差で2位の河野孝典(野沢温泉ク)に1分58秒、3位の萩原に2分15秒の差をつけて3年ぶり4度目の優勝に大きく前進した。《共同通信》

【橋本龍太郎元蔵相】羽田派を批判

自民党小渕派幹部の橋本龍太郎元蔵相は30日午前、静岡県掛川市で開かれた同派衆院議員の後援会であいさつし「国民の信を取り戻すためには、単に政治改革とか政界再編といった言葉の遊びでは済まされない」と述べ、新党結成を視野に置いて活動している羽田派を批判した。

また羽田派幹部の小沢一郎元幹事長に対し「小沢氏は今の憲法のままで自衛隊が軍隊として行動できると解釈しているが、私は自衛隊が他の民族に向ける武器を持つべきではないし、憲法でも認めていないと思う」と述べた。《共同通信》

【米・ロサンゼルス】初の地下鉄開通

スモッグと高速道路の渋滞で悪名高い米ロサンゼルス市の中心部に30日、初めて地下鉄がオープンする。市当局者は「52年前に高速道路が初めて建設されて以来の交通革命で、多くの利点がある」と自信満々だが、車の便利さに慣れ切った市民にとって公共輸送機関への移行は簡単ではさそうだ。

開通するのは、「メトロ・レッド・ライン」と呼ばれる路線の一部で、ユニオン駅からマッカーサー公園までの7キロ。市の中心部を通り、約7分で5つの駅を結ぶ。昨年10月、開業した。通勤電車「メトロリンク」とユニオン駅で連絡、郊外からの通勤が便利になる。

地下鉄は今後、ハリウッドやロサンゼルスの東西を結ぶ路線も開業予定で、総延長は37キロになる。これに郊外に延びる通勤電車を合わせ、2010年には一日約50万人を運びたい意向だ。《共同通信》

【服部良一さん】死去

「青い山脈」「東京ブギウギ」など数多くのヒット曲で戦後歌謡界の頂点に立った作曲家の服部良一氏が30日午後4時50分、呼吸不全のため東京都品川区の昭和大病院で死去した。85歳。大阪市出身。

大阪市立実践商業在学中の大正12年、大阪のうなぎ屋が始めた少年音楽隊に入り、オーボエを吹く傍ら編曲と指揮も担当した。14年、NHK大阪放送局のオーケストラ結成と同時に入団、フルートとサクソホン奏者に。このオーケストラの指揮者に迎えられたロシア人のエマヌエル・メッテル氏に出会い、認められて個人レッスンで指揮法、作曲法を学んだ。

昭和8年上京、ジャズバンドのマスターなどを経験した後、11年、コロムビアレコード専属に。得意のジャズタッチで作曲したのが「山寺の和尚さん」。

その後も淡谷のり子の「別れのブルース」「雨のブルース」、高峰三枝子の「湖畔の宿」、霧島昇と渡辺はま子の「蘇州夜曲」などヒットメーカーとして不動の地位を築いた。

戦後は23年、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」、映画主題歌「青い山脈」「銀座カンカン娘」などで戦後歌謡曲の黄金時代を築き、46年には交響詩曲「ぐんま」に取り組んだ。作品は3000曲に上る。

日本作曲家協会会長、日本音楽著作権協会会長を務め、音楽界の発展に努めた。44年紫綬褒章、53年勲三等瑞宝章を受章。著書に「ボクの音楽人生」がある。《共同通信》



1月30日のできごと