平成1473日目
1993/01/19
この日のできごと(何の日)
【皇太子殿下、小和田雅子さん】ご婚約が正式決定
皇太子徳仁親王(32)のご結婚に関する皇室会議は19日午前8時半から宮内庁特別会議室で開かれ、外務事務次官小和田恒氏(60)、優美子さん(54)夫妻の長女雅子さん(29)=東京都目黒区、19日付で外務省を退職=とのご婚約が、議員全員一致の承認で正式に決定した。
皇室会議の決定を受けて宮内庁は同日、藤森昭一長官を委員長とする「皇太子御婚儀委員会」を設置、一連の結婚諸行事について日程調整を始めた。「結婚の儀」は6月上旬にも行いたい意向で、6月3日を軸に詰めの作業に入る。
会議終了後、藤森長官は直ちに赤坂御所に出向き天皇、皇后両陛下にご婚約決定を報告。さらに東宮仮御所で皇太子さまに報告した。
この後、記者会見し「両陛下はとてもお喜びのご様子で、陛下から尽力された職員にどうぞよろしく伝えてくださいとのお言葉があった」と述べた。さらにお妃選考基準や中断を挟んだ6年余にわたる2人の交際の経過について説明した。
この中で、藤森長官は雅子さんとの再会について「皇太子さまの強い気持ちをくんだ」と強調。さらに、雅子さんの母方の祖父が水俣病発生企業、チッソの社長などを務めたことが選考に当たって障害とされた点にも特に触れ「役員就任時期と発生時期は関係がなく、刑事上の責任もないことが明らかになった」などと述べた。
皇室会議の開催は平成元年9月の秋篠宮さまの婚約決定以来で、戦後7回目。会議には議長の宮澤首相、三笠宮ご夫妻、桜内、原衆参両院議長、草場最高裁長官、藤森長官など10人の正議員全員が出席した。
宮澤首相が開会を宣言した後、古居宮内庁審議官が「皇太子さまと雅子さんの結婚について皇室典範第10条に基づき議決を求める」と議案を朗読。続いて藤森長官が雅子さんの生い立ちから外務省退職までの詳しい経歴、家族の略歴、皇太子さまと知り合ってから交際、婚約内定に至る経過などについて説明した。この後、質疑に移ったが、議員からの質問はなく、採決に入り、全議員が起立して承認した。続いて議決録にそれぞれ毛筆で署名して会議は36分間で終了した。《共同通信》
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ご婚約が正式に決まった皇太子さま(32)と小和田雅子さん(29)は19日午後、東京・元赤坂の東宮仮御所で、婚約成立後初の記者会見に臨み、約20分間、プロポーズの言葉や時期、いまの心境などについて語られた。皇太子さまは交際の中断を挟んだ6年余、「常に雅子さんのことが念頭にあった」と話され、雅子さんは「皇太子さまから『僕が一生全力で守ります』という心を打つ言葉がありました」と皇太子さまとの結婚を決めた胸の内を率直に明かした。飾らない二人のやり取りは、新しい皇室の到来を印象付けた。
皇太子さまはまず、正式に婚約が決まった心境について「(結婚の)申し出を受けてくれた雅子さんに、心から感謝したい」と喜びを表現。雅子さんは「身が引き締まる思いです」と、太子妃となる重みをかみしめるように話した。
皇太子さまによると、二人の最初の出会いは昭和61年10月、スペインのエレナ王女の歓迎レセプション。お互いの第一印象を、皇太子さまは「控えめだが聡明。話していて楽しい人」。雅子さんは「気さくで配慮のある方」と評した。
雅子さんの外務省入省などで約5年間、交際は中断したが、皇太子さまは再会後二度目のデートとなった10月3日、千葉県市川市の宮内庁新浜鴨場でプロポーズされた。
「私と結婚していただけますか」との申し込みに、雅子さんは2カ月後の12月12日、「おカになれるのなら謹んでお受けします」と承諾したという。
雅子さんは、外交官の道を捨てて皇室入りを決断するまでの悩みも告白した。しかし「皇室という新しい道で自分を役立てようと決心した。悔いはありません」と述べ「皇太子さまが幸せになり、私もいい人生だった、と振り返れるように努力したい」と新しい人生への決意を表現した。
新生活については「安らぎのある明るい家庭を築きたい」と言う皇太子さまに、雅子さんも「愛情に満ちた温かい家庭を」と、互いに息の合ったところを見せた。
子供のことに質問が及ぶと、皇太子さまは「コウノ一ニトリのご機嫌に任せて」とユーモアたっぷりの答え。雅子さんも恥ずかしそうに「オーケストラをつくれるほどの数とは言わないで、と殿下に申し上げました」と応じた。
交際が一時中断した事情について皇太子さまは、雅子さんの祖父が水俣病発生企業のチッソの社長などを務めた点が選考の障害とされたことや、過熱した報道があった点を指摘。宮内庁に対しては何度も「雅子さんとの交際」を依頼し「昨年周囲が『雅子さんでいい』と言った時は大変うれしかった」と率直に話された。
二人は会見後、各宮家を訪問。夜は天皇ご一家と小和田家の内輪の夕食会が行われた。《共同通信》
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【天皇、皇后両陛下】「助け合って良い家庭を」
ご婚約が正式に決まったことを受けて皇太子さまは19日午後、皇居・宮殿の鳳凰の間で天皇、皇后両陛下にお礼を述ベ「今後とも二人のことをよろしくお導きください」とあいさつされた。
陛下は「誠にうれしく思います。結婚後は二人が助け合って良い家庭を築き、立派に務めを果たしていくことを願っています」と望まれ、皇后さまは「温かく、安らぎのある家庭を」と述べられた。
続いて、雅子さんと両親の小和田夫妻と会った陛下は「二人を温かく見守り、励ましていかれるよう」と声を掛けられた。父恒さんは両陛下、皇太子さまにそれぞれ「末永くお導きください」とあいさつした。《共同通信》
【社会党】山花新執行部スタート
社会党の臨時党大会は19日夕、山花委員長—赤松書記長を柱とする新執行部を選出して閉幕した。山花執行部の任期は田辺前執行部の残余の今年末の定期大会まで。発足早々、22日召集の通常国会での佐川事件追及、選挙制度を中心とする政治改革、コメ市場開放問題などの難問に取り組み、本格的に始動する。山花新委員長は就任あいさつで「社会党が党を挙げて改革派となり、政治改革と政界再編に懐を深くして積極的に対応する」と決意表明した。
難航していた執行部人事は定数を上回る立候補者があった4ポストについて大会代議員による投票決着となり、このうち副委員長(5人)は佐藤観樹、嶋崎譲、護憲派グループが擁立した和田静夫の各衆院議員と久保亘、糸久八重子(現職)両参院議員が当選。
副書紀長(2人)は主要各派が担いだ小沢克介衆院議員(現職)と千葉景子参院議員が護憲派から立候補した翫正敏参院議員を破った。
中執メンバー32人のうち、当選一回生議員は赤松書記長をはじめ筒井信隆企画調査局長、小岩井清国際局長ら13人。女性は川橋幸子広報宣伝局長ら4人が起用された。
全体として「老壮青」のバランスと派閥均衡重視という山花氏の意向にほぼ沿った布陣。ただ護憲派の抵抗や派閥間のきしみが早くも表面化しており、今後の党運営の厳しさをうかがわせる結果となった。
山花氏は大会後の記者会見で22日からの通常国会への取り組みについて「宮澤政権に対し、国民の最大関心事の佐川事件追及で徹底的に頑張り、真相を明らかにしていく。竹下元首相の議員辞職を含め、貴任を突き付けたい」と述べた。《共同通信》
【米軍】イラク2施設を爆撃
米国防総省当局者は19日、イラク北部の飛行禁止空域で米軍機が同日、イラク軍から敵対的行為を受けたため、イラクの防空施設2カ所を爆撃したことを明らかにした。フィッツウォーター米大統領報道官は「イラク監視を続ける。必要があれば断固とした対応をとる」と言明し、イラクがさらに攻撃の構えを示せば、さらに反撃すると強調した。
しかし、この日の米軍機による反撃はイラク側の挑発活動に対応した限定的行動で、米欧軍による本格的な攻撃は13、17、18日の3回の作戦で終わったとみられている。
米当局者の話や報道を総合すると、現地時間19日午前10時40分(日本時間同日午後4時40分)ごろ、米空軍のF4戦闘機が飛行中、イラク軍の地対空ミサイルのレーダーに捕そく、追尾されたため、ミサイル基地にミサイル一発を発射して反撃した。
その約3時間後、やはりイラク北部の飛行禁止空域で、2機のF16戦闘機に向けてイラク軍が対空砲を発射。F16機はこの対空陣地に集束爆弾数発を投下した。
この間に北部飛行禁止空域でイラク軍のミグ23戦闘機が飛行しているのを米空軍のF16が確認、追撃したところ、イラク機は南の方向に逃げた。さらに別の米軍機が対空砲撃を受けたが、反撃しなかった。
米軍機はいずれも無事だったという。《共同通信》