平成1400日目

平成4年11月7日(土)

1992/11/07

【あかつき丸】仏・シェルブールに入港

日本のプルトニウム専用輸送船あかつき丸(4800トン)は7日午前4時40分、日本に輸送する約1トンのプルトニウム積み込みのため、フランス北西部のコタンタン半島先端にあるシェルブールに入港、午前5時接岸した。

積み込み作業は一日で終了する見込みで、終わり次第、7日にも日本に向けて出港するとみられる。

あかつき丸は先月29日、日本を出てから約2カ月間の航海を終え、ブレストの軍港に入港。水や食料を補給し、厳戒態勢の敷かれたシェルブールに向かった。

プルトニウムは、シェルブール港に近いフランス核燃料公社(COGEMA)ラアーグ再処理工場で使用済み核燃料から抽出が進められてきた。高温、高圧に耐えられる「FS47」と呼ばれる特殊な容器に格納。厳重な監視の下、15台のトレーラーで港に運ばれており、同日中に積み込まれる。《共同通信》

日本へ返還する核燃料プルトニウム約1トンの積み込み作業が、7日午前9時(日本時間同日午後5時)からフランスのシェルプール軍港に停泊中の専用輸送船「あかつき丸」で始まった。一日以内に作業を終え、あかつき丸は8日未明には海上保安庁の巡視船「しきしま」に護衛されながら日本に向け出航する。

プルトニウムを積んだ30トントレーラー15台は、7日午前3時ころ仏核燃料公社(COGEMA)の「ラアーグ再処理工場」を出発。仏憲兵隊の軽装甲車2台に先導され、25キロの道を約1時間かけてシェルブール軍港に到着し、早速クレーンで積み込まれた。

一方、反核団体などは激しい抗議行動を展開。あかつき丸が同軍港に到着する直前、「グリーンピース」の小型監視船「モビー・ディック号」が入港を阻止しようとしたため、仏海軍の警備艇が同号を拿捕し、乗員8人を逮捕した。

巡視船「しきしま」は、2日から停泊していたブレスト軍港を7日午前に出航し、シェルブール沖の公海上で仏海軍が行っていた護衛任務を引き継ぐ。あかつき丸は、巡視船「しきしま」と米国の偵察衛星に守られながら、年内にも日本に帰る予定。《読売新聞》



【巨人・長島茂雄監督】元木選手に付きっきり

巨人の宮崎秋季キャンプ3日目の7日、長島監督が初めて打撃を指導した。中でも素質がありながら、なかなか開花しない元木には手取り足取りの力の入れようだった。

紅白戦で1安打したものの、あとは見逃しの三振や中途半端な打撃の遊ゴロ、四球だった元木。これを見た長島監督は、このあと二度行われた元木のフリー打撃で、ケージのそばに付きっきりで指導に当たった。「左肩を開いてはだめだ」「軸足にためを作れ」「当てにいっちゃいかん、振り切っちゃえよ」「よーし、今のは完ぺきだ」などと、自分で型を示しながらのアドバイス。守備や走塁指導の時より、もう1オクターブ声が高かったのは、やは一り打撃の人。元木は「期待されているのがよくわかった。振り込んで、きょう教わったことを体で覚えていきたい」と、意気込みを見せていた。《読売新聞》

【自民党・綿貫民輔幹事長】竹下氏喚問「まずは政倫審」

自民党の綿貫幹事長は7日、仙台市内で開かれた同党政経文化パーティーであいさつし、野党が強く求めている竹下元首相の証人喚問問題に触れ「言わせてほしい(と本人が言っている)のに言わせないで、いきなり(喚問という)拷問にかけるやり方はアンフェアだ」と野党側の姿勢を批判。まず政治倫理審査会の場で釈明させるのが適当との考えを改めて強調した。《共同通信》

【自民党・森喜朗政調会長】皇民党事件の関連「証拠があるならバッジを外す」

自民党の森政調会長は7日午前、遊説先の北海道帯広市内のホテルで記者団と懇談し、皇民党事件への関与が指摘されたことについて「まさに予期せざること。(手を引くように頼んだ)体験がないのだから。道を歩いていたらビルの上から石が落ちてきたようなものだ」と、改めて強く否定した。さらに「(私の声が入った)テープがあるなら聞かせてもらいたい。その声に間違いがなければ議員バッジを外してもよい」と語った。

また自民党が検事らを告訴することに触れ「公判で調書を朗読するということは国民に知らせるということだ。人の名前が入っているなら裏付け捜査をやるべきだ。告訴は事実を解明する手段だ」と強調した。《共同通信》

【自民党・石破茂衆院議員】検事調書への名誉毀損は無理

自民党の「政治改革を実現する若手議員の会」代表世話人の石破茂衆院議員は7日、高知市内で開かれた同会主催の「政治改革実現フォーラム」で、佐川急便事件・暴力団ルートの公判で示された検事調書をめぐり同党が担当検事らを名誉棄損で告訴する方針を決めたことに触れ、検事調書そのものは、名誉棄損には当たらないとの考えを明らかにした。

石破氏は、「検事調書に政治家の名を棄損するという意図はなかったはず。『こうでもしなければ、しめしがつかない』というのが爆発してこうなった、と聞いている。裁判で勝てるとは思えない」と述べ、告訴は、検察批判の意味合い」が濃いとの見方を示した。《読売新聞》

【自民党・佐藤孝行総務会長】訴訟指揮を批判

自民党の佐藤総務会長は7日、地元北海道函館市内で開いた国政報告会で、東京佐川急便事件公判の検事調書朗読で同党議員の氏名が出されたことについて、「(朗読した)検察よりも伝聞で固められた調書を読ませた裁判官に、むしろ問題がある」と、訴訟指揮を強く批判。「生命や名誉は地球より重いもので、それで話題にされてはたまらない」と語った。《読売新聞》

【米・ブッシュ大統領】「バーバラとテキサスに帰る」

米大統領選で敗北したブッシュ米大統領(68)は7日、ホワイトハウスから全米にラジオ放送し、敗北の全責任は自分一人にあると述べると同時に、政界からの引退を表明した。この中で大統領は、「(敗北の)責任の押しつけ合いをするべきではない。この責任は、他のだれでもなく、私一人にある」と切々と語った上で、「選挙対策チームを誇りに思っている」と、選挙スタッフの戦術ミスが敗北を招いたとの批判をけん制した。

さらに、「ブッシュ政権は、アメリカに良く尽くしたと歴史に記録されたい。我々は子供たちのため、より平和な世界を作れたと思う」と、在任中に冷戦が終結した実績を強調。来年1月20日のクリントン氏就任式のその日、「バーバラ(夫人)と私はテキサスに帰る。私たちには、もう選挙も政治もない」と、政界からの引退を正式表明した。《読売新聞》

【米・クリントン次期大統領】一転、寡黙の人?

ビル・クリントン次期米大統領(アーカンソー州知事)は、選挙後最初の週末となった7日、リトルロックのゴルフ場でプレーを楽しみ、数か月ぶりにくつろいだ一日を送った。当選後のクリントン氏は極力報道陣との接触を避けているが、この日も記者団には近づこうとせず、選挙期間中の多弁な様子からがらりと変わった側面を見せている。

7日のクリントン氏は、州知事公邸で側近と政権移行問題について話し合った。ほかは、ヒラリー夫人の弁護士事務所の同僚とゴルフを1ラウンド楽しんだ。その後テレビでスポーツ番組などを観戦したと伝えられる。

この日も際立ったのは、テレビカメラや記者団を回避したことで、当選後のクリントン氏は、報道陣に対しめっきり無口になった。前回大統領選の勝者ブッシュ氏は、投票日の翌朝に記者会見したが、クリントン氏は今のところ会見の予定なし。同氏を追いかける報道陣とやりとりがあったのは5日だけで、この時はエリツィン・ロシア大統領らとの電話会談の様子をほんの短く語っただけ。有力マスコミへの登場も、5日のABCテレビだけだ。

クリントン陣営の報道担当者は、主要閣僚人事や次期政権構想など懸案に集中する時期で、「時が来れば記者会見も行う」(ディーディー・マイヤーズ報道官)としている。政権移行期に混乱を招く発言を避け、政権構想が固まるまでは中身を明かさない—クリントン氏の寡黙さの背景には、こんな計算があるようだ。《読売新聞》

【アレキサンデル・ドプチェクさん】死去

「人間の顔をした社会主義」を追求したチェコスロバキアの民主化運動「プラハの春」(1968年)を当時共産党第一書記として指導したアレキサンデル・ドプチェク氏が7日夜、プラハ市内の病院で死去した。9月の交通事故での重傷に進行性ジン臓障害を併発、危篤状態が続いていた。70歳だった。

ドプチェク氏は68年1月、ノボトニー共産党第一書記に代わって同第一書記に就任。集会・結社の自由、検閲制度の廃止などを骨子とした改革プログラム「行動綱領」を発表、「チェコ独自の社会主義への道」を示した。党の改革派、知識人によって開始された改革、民主運動は次第に学生、市民、労働者へと底辺拡大による運動として発展しつつあったが、盟主ソ連は、同年8月、ワルシャワ条約機構軍を動員して、民主化運動を戦車で押しつぶした。

ドプチェク氏は、民主化運動指導の責任を問われて、69年4月、第一書記を解任され、70年6月、除名処分にされた。その後、国営営林会社で働き、長年、政治活動には全く携わって、いなかったが、89年末の共産政権打倒の無血民主化革命「ビロード革命」に参加、尽力した。

民主化後の同国では、89年12月、連邦議会議長に選出されたが、今年6月には出身地のスロバキアに戻り、社会民主党党首として政治活動を続けていた。チェコスロバキアは現在、民族意識の高まりを受けて、93年1月1日を期して、チェコ、スロバキアの2共和国に分離することが決まっており、スロバキアではドプチェク氏をスロバキアの初代大統領に、との国民の声もあった。《読売新聞》



11月7日のできごと