平成1332日目
1992/08/31
この日のできごと(何の日)
【自民党竹下派】金丸会長慰留を決定
自民党竹下派は31日、神奈川県箱根町のホテルで緊急議員総会を開き、東京佐川急便の渡辺広康・元社長からの5億円の政治献金に絡んで竹下派の金丸信会長(前副総裁)が会長職の辞意を表明している問題について、全員一致で金丸氏を慰留することを決めた。小沢一郎会長代行(元党幹事長)が2日にも、金丸氏に会ってこうした結果を報告、説得に当たる。
緊急総会は、同派議員研修会に先立ち、約30分間行われ、綿貫幹事長や奥田敬和運輸相ら関僚4人も含め同派の衆参両院議員110人中97人が出席した。
同派がこうした決議をした背景には、会長辞任となれば、後任人事を軸に派閥運営の主導権をめぐって、派内のきしみが一気に拡大しかねないとの危機感が見え隠れする。
金丸氏は最終的に会長職にとどまるとの見方が強いが、今回の問題で竹下派は、「ポスト金丸」をいやおうなく意識せざるを得ない状況に直面したといえる。
金丸氏が仮に引退すれば、後任人事は、竹下元首相の会長復帰か、小沢氏の昇格か—の2つの選択肢があるというのが派内の見方。このうち、金丸氏が昨年、竹下氏に会長復帰を打したこともあい、「竹下氏が会長になれば、派としてはまとまって行ける」(中堅議員)という声が大勢を占めている。しかし、竹下氏は今回の佐川急便事件で、金丸氏同様に資金提供を受けたとの一部テレビ報道もある。このため近い将来の会長復帰は現実には難しいとの見方もあり、竹下氏自身も積極的に会長に復帰する気持ちは薄いようだ。竹下氏が31日夜の同派懇親バーティーに出席し、「緊急総会では、皆さんの総意で最善の選択がなされた」とわざざ述べたのも、こうした事情を反映したものとみられる。《読売新聞》
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【大相撲・武蔵丸関】関脇昇進
日本相撲協会は31日朝、大相撲秋場所(9月13日初日・両国国技館)の番付を発表した。名古屋場所に続く横綱不在の番付で、外国出身では史上4人目の関脇に昇進した武蔵丸と初めて三役になった小結、小兵の旭道山が目をひく。
武蔵川部屋で初の関脇となった武蔵丸は初土俵から19場所目の昇進。旭道山は三役出世スロータイの初土俵から75場所目での昇進で、大島部屋からは昭和58年九州場所の旭富士(現親方)以来の小結誕生となった。《共同通信》
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31日に発表された大相撲秋場所(9月13日初日・両国国技館)の番付で、ハワイ出身のホープ、武蔵丸(21)(武蔵川)が関脇に、大物キラーの小兵力士、旭道山(27)(大島)が小結に昇進。自己最高位に躍進した2人は同日、それぞれの部屋で喜びを語った。
初土俵から丸3年で関脇になった武蔵丸は、昇進の感想を聞かれて、ちょっと首をかしげた後、「うれしいです」。新入幕から5場所連続勝ち越し。右上手まわしを取ると強烈な引きつけを見せ、四つ相撲でも進境が著しい。もっとも、本人は「立ち合いの踏み込みと、突っ張りをもっとよくしたい」と、当面は突き押しに徹する構え。名古屋場所で11勝。秋場所は初優勝の期待もふくらんでいる。
一方、旭道山は「三役は雲の上。自分が上がれるとは思ってもいなかった」。初土俵から75場所目、史上10位のスロー出世での新三役に、真新しい番付を手にして表情を崩した。104キロの新三役は、最近では千代の富士の98キロ(53年名古屋)に次ぐ軽量だが、負けん気は人一倍強い。「大きい人を怖いと思ったら負け。小錦関だって土俵に上がったら同じ」。地力を着実につけて目下、三場所連続の勝ち越し。小錦には2連勝で、先の名古屋場所では殊勲賞を獲得した。「目標は勝ち越し。思い切りかまして、前に出る相撲を取りたい」。破壊力抜群の張り手、左右のけたぐり秋場所もくせ者ぶりを発揮するか。《読売新聞》
【ガット・ドゥンケル事務局長】加藤官房長官らと会談
来日中の関税・貿易一般協定(ガット)のアルトゥール・ドゥンケル事務局長は31日、加藤紘一官房長官や田名部匡省農相など政府関係者と相次ぎ会談した。この中で同事務局長は、新多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)について、9月半ば以降、11月の米大統領選挙までに交渉が本格化する可能性があるとして、コメを含む例外なき関税化の受け入れなど、交渉妥結のための努力を日本側に強く要請した。
加藤官房長官との会談で同事務局長は、今後の交渉について「9月半ば以降、いつ動いても不思議はない」との見通しを明らかにした。《読売新聞》
【宮澤喜一首相】静養先から帰京
宮澤首相は31日昼前、静養先の長野県軽井沢町の別荘から帰京、秋に向け首相官邸での本格的な仕事に取り掛かった。計21日間という軽井沢休暇は、公約の「生活大国」を先取りした大型夏休みと皮肉られもしたが、「まあ、いろんなことがあって大変だったな」と首相。
天皇訪中問題、緊急経済対策取りまとめ、自民党の金丸副総裁辞任と重要問題がめじろ押しで、休暇日数の割には「休む暇もなかった」(首相周辺)が実情。帰京後「経済の方は当面落ち着くと思うけど……」という首相だが、佐川問題で休む暇はなくなりそうだ。《共同通信》