平成884日目

平成3年6月10日(月)

1991/06/10

【雲仙・普賢岳】水無川などで土石流

大雨洪水警報が出ている長崎県の雲仙地方は10日、3日と8日に起きた普賢岳(1359メートル)の大規模火砕流から初めて本格的な雨に見舞われた。

このため10日午前9時50分、深江町の水無川支流の赤松谷川と島原市の市街地の北を流れる中尾川で土石流が確認された。規模は明らかではないが、ほぼ同時に火砕流も発生しており、ダブル災害の恐れが出てきた。島原市災害対策本部は新たに市内2町の住民に避難勧告を出した。

土石流が発生したのは、赤松谷川流域と普賢岳の反対側斜面にあたる北東の島原市南千本木町付近。赤松谷川では午前9時48分に発生、10時40分ごろまで続いた。南千本木町は、午前9時48分から22分間続いた。同地区は、これまで火山灰の降灰が激しく、土石流発生が心配されていた地域。

島原市災害対策本部(本部長・鐘ヶ江管一市長)は午前10時20分、南千本木町の81世帯318人と北千本木町の71世帯264人の住民に避難勧告した。

九大島原地震観測所の太田一也所長は「震動は山頂ではなく、すそ野で観測された。雨が降っている状況から見て土石流と見られる」としている。

長崎海洋気象台による。と、梅雨前線の活動が活発化して九州北部は大雨となり、島原市内の降水量は降り始めから午前11時までに64ミリ、雲仙岳で41.5ミリ。昼すぎにかけてさらに1時間に40-60ミリ、総雨量は多い所で200-300ミリに達するとみられ、連日火砕流を繰り返している普賢岳斜面では、降り積もった火山灰などで土石流の新たな発生が心配されている。《読売新聞》



【槇原敬之さん】シングル「どんなときも。」発売

【海部俊樹首相】災害対策を指示

海部首相は10日昼の政府与党首脳会議で、雲仙岳火砕流惨事の現地視察の結果を報告するとともに「大変な災害であり、まず現行法制下でやれるものに全力を尽くすが、それでも対応しきれない場合は、新しい対応を住民の立場に立って、積極的に考えていきたい」と述べ、災害対策の特別立法も含めて政府、自民党内で検討するよう指示した。《共同通信》

【自民党・宮沢喜一元副総理】総裁選出馬に意欲

自民党の宮沢喜一・元副総理(宮沢派会長)は10日、訪問先のジャカルタ市内の宿舎のホテルで同行記者団と懇談し、秋の自民党総裁選に臨む基本姿勢を明らかにした。

宮沢氏は、「21世紀に向けての日本の進路を総裁決定の過程の中で明らかにしなければならない。そのことを私は大事に考える」と述べ、総裁選出馬に強い意欲を示した。さらに宮沢氏は、憲法問題などの基本政策に対する考え方を総裁選びの判断基準とし、「数の論理」を排除した話し合いによる決着が最善だとの見解を表明した。

これは今後、政策論争を通じて党内外に「宮沢待望論」を巻き起こす中で、基本的に話し合いによる宮沢政権作りを目指す戦略を打ち出したもので、今後の総裁選の展開に影響を及ぼしそうだ。

宮沢氏は、秋の総裁選の意義について、「日本は転機に立っている。そういう時に、(総裁選出の)過程の中から、これからの日本の進むべき道が議論されなければならない。大事な時に大きな議論をしないで総裁選に何の意味があるのかと強調、「日本の進路」を最大の争点として政策論争を積極的に展開していく方針を明らかにした。

その上で、「(総理・総裁は)責任の重い仕事で、あいつならまかせてよいという背景がなければならない」と述べ、政策論争に対する自信と、政権担当への意欲を示した。《読売新聞》

【警視庁】「ヘア写真」で出版2社に警告

写真家・篠山紀信さんが女優・樋口可南子さんのヌードを撮影した写真集「ウオーター・フルーツ」(朝日出版社)と、写真家・荒木経惟さんの撮ったヌード写真集が載っている「芸術新潮5月号」(新潮社)のヘア写真について、警視庁防犯部は10日、両出版社の編集責任者を警視庁に呼び「ヘアが写っている写真はわいせつ性が強い。今後この種の写真を出さないように」と口頭で警告した。《共同通信》

【ディック・ミネさん】死去

「ダイナ」や「人生の並木路」などで親しまれた歌手ディック・ミネさんが10日午前4時7分、急性心不全のため埼玉県飯能市の病院で死去した。82歳。徳島県出身。

立教大学在学中から音楽に熱中。最初は大学のオーケストラでバイオリンを弾いたり、近衛秀麿指揮の新交響楽団(現在のNHK交響楽団)でエキストラとして打楽器を演奏したりした。その後ジャズに興味を持ちドラムスとボーカルを手掛け、昭和9年に発表した「ダイナ」が大ヒット。一躍人気歌手の座に就いた。《共同通信》

【佐伯文蔵さん】死去

佐伯文蔵氏(元立山ガイド)10日午前1時、内臓疾患のため富山県中新川郡立山町芦峅寺の自宅で死去、77歳。富山県出身。

立山ガイドの代表的な存在。昭和25年、学生パーティーのガイドとして剣岳東大谷中尾根の積雪期初登山に成功、その功績をたたえ同尾根は“文蔵尾根”と呼ばれている。《共同通信》



6月10日のできごと