平成602日目

平成2年9月1日(土)

1990/09/01

【イラク】婦女子ら69人が出国

バグダットのマンスールメリアホテルに軟禁されていた日本人婦女子ら69人は1日午後4時半(日本時間同9時半すぎ)、同ホテルをバスでバグダッド国際空港に到着、日本時間午前2時15分イラク航空臨時便でアンマンへ向かった。出国した婦女子はアンマンで日本政府チャーターに日航救援機に乗り継ぎ、順調にいけば2日中に成田空港に到着する見込み。

バグダッドの日本大使館は在クウェート大使館員の家族12人もイラク航空臨時便で出国させるようイラク当局に要求、12人を滞在中のホテルから空港に向かわせたが、臨時便に乗れるかどうかは空港での交渉次第だという。

イラク情報省のアルハディチ情報局長は1日の記者会見で、日本人婦女子66人を出国させると発表していたが、バグダッドの日本大使館は66人という数字はイラク側は18歳前後の「人質」2人を計算に入れなかったためで、イラク外務省から68人全員の出国が認められたことを確認している。《共同通信》




【KAN】シングル「愛は勝つ」発売

9月1日のできごと(何の日)

【金丸信元副総理】鄧小平氏との会談見送りに

金丸元副総理と、中国の最高実力者の鄧小平氏との会談が見送られることが1日確定した。中国側から31日深夜、金丸氏に連絡が入った。中国側はその理由として「鄧小平氏は86歳という高齢の上、北京を遠く離れた所(北戴河)で療養中のため、お目にかかることができなくなった」とだけ伝えた。

金丸元副総理は1日朝、北京の釣魚台迎賓館で呉学謙副首相主催の朝食会に臨み、中国・台湾問題を中心に意見を交わした。

冒頭、呉副首相は金丸氏が強く望んでいた鄧小平氏との会談が実現しなかったことに触れ「鄧氏がお目にかかれず、大変に申し訳ない」と遺憾の意を表明した。《共同通信》

【中ソ外相会談】中東打開策など協議

銭其琛中国、シェワルナゼ・ソ連両外相は1日午前、中国黒竜江省ハルビンで会談した。米国を中心にした多国籍軍の展開で緊迫するペルシャ湾岸情勢や政治解決で大詰めを迎えているカンボジア問題で意見交換、国連などの場での協調を図るもようである。

特に注目されるのは、軍事対決の危険をはらみつつ長期化の様相を呈している湾岸危機討議で、イラクのクウェート侵略を非難する一方で、大国の軍事介入には反対、和平解決を主張する両国が、何らかの局面打開策で合意できるかどうかが焦点になろう。

東側筋によると、この会談は中国側の要請で急きょセットされ、シュワルナゼ外相の朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)訪問途上のハルビンに、銭外相がわざわざ出向いた。外国首脳との公式会談を北京以外で開くのは極めて異例だが、中国外務省は北京駐在外国人記者数十人に取材許可を出し、新聞発表もするという念の入れ方で、対外向けアピールに重点を置いていることをうかがわせた。

この背景には、米国主導の中東への武力介入の動きに中国が強い警戒心を抱いているほか、湾岸危機の余波で国威をかけた北京アジア大会が、団結より分裂の危機にさらされていることがあり、中国としては、早期和平解決への足掛かりを会談で得たいところだ。《共同通信》

【米・ブッシュ大統領】ソ連・ゴルバチョフ大統領と会談へ

ブッシュ米大統領は1日、休暇先のメイン州ケネバンクポートで記者会見し、ヘルシンキで9日、ゴルバチョフ・ソ連大統領と湾岸危機への対応策を中心に会談すると発表した。米ソ首脳がこうした特定問題で緊急首脳会議を開くのは異例であり、冷戦終結後の米ソ協調関係を改めて世界に強く示す会談となろう。《共同通信》

【エドウィン・ライシャワーさん】死去

日本人に最もよく知られる一米国人といわれた元駐日大使でハーバード大学名誉教授エドウィン・ライシャワーさんが、1日亡くなった。「知日派」「日米関係の生き字引」などといろいろに形容された人だが、日本とのかかわりを長く、深く持ち続ける生涯を過ごし、世界で日本人以上に日本を知る最高の人だった。

日本での知名度を決定的にしたのがケネディ政権時の第17代駐日大使への就任だ。三日間ベッドの上に横になって「(大使夫人として)行きたくない」と渋ったハル夫人を説得して36年4月から5年余の間、大使を務めた。「60年安保」騒動直後で、原潜寄港、沖縄返還など難問山積みの時代。39年3月には精神障害の日本人少年に刺されて重傷を負い、その時の輸血がもとでその後血清肝炎となった。

しかし大使辞任後から現在に至るまで、日本人に対する親愛の情と日本研究にかける情熱は衰えを見せることがなく、皇太子時代の天皇、皇后両陛下が訪米された62年10月、ボストンの自宅に招待、両陛下が一泊して話に花を咲かせる場面もあった。

国内でもライシャワーさんの功績と人柄をたたえる声が強く、ことし6月にはハーバード大学での教え子らが群馬県・赤城山ろくに「ライシャワー大学」設立の意向を明らかにした。そばと納豆が好物で「キュウリだけは日本のモノに限る」と日本食通でもあったライシャワーさん。すべてが日本の歴史とともにあるような一生だった。




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