平成549日目

1990/07/10

この日のできごと(何の日)

【ソ連共産党】ゴルバチョフ書記長が再選

クレムリンで開会中のソ連共産党大会は10日、ゴルバチョフ書記長(大統領)が保守派に対する激しい反撃の演説をした後、新書記長の選出に入った。

ゴルバチョフ書記長とアバリアニ・ソ連人民代議員(クズネツ炭田ストライキ委員会議長)の2人が候補者として残り、同夜(日本時間同日深夜)、代議員による初の決選投票を行った。

その結果、投票管理委員会筋が明らかにしたところによると、ゴルバチョフ書記長は約4分の3の票を得て再選された。

書記長はことし3月に就任した大統領との兼任という強力な権力を維持することで、候補受諾演説で述べたように「党人事を刷新」し、難航するペレストロイカ(改革)の推進を図ることになる。

しかし、ペレストロイカ路線で抵抗姿勢を強める保守派が約4600人の代議員の中で多数を占めることから、どの程度の批判票が出るか注目される。《共同通信》

昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。

情報量が少ない日は随時加筆中です。

引用記事は名前、住所など一部修正の上、抜粋してあります。

外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)

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【千代の国憲輝さん】誕生日

【大相撲名古屋場所】3日目

大相撲名古屋場所3日目(10日・愛知県体育館)横綱を狙う大関旭富士が平幕両国に敗れ、早くも土がつく波乱があった。

旭富士は右四つ、頭をつけるいい体勢になりながら攻め手を欠き、逆に両国の左小手投げに続く寄りに力なく土俵を割った。

横綱千代の富士は太寿山を寄り切り無傷の3連勝。横綱北勝海は鋭い立ち合いから巨漢水戸泉を退け2勝1敗とした。

他の大関陣は小錦が、のど輪からの一気の寄りで巨砲を下し、霧島は新関脇琴富士を下手投げで破ってともに3勝目を挙げた。しかし、北天佑は小結寺尾の立ち会い左に変わってのはたき込みに屈し2敗目を喫した。寺尾は連日の殊勲の星となった。

前日、左足を痛めた西前頭8枚目の久島海はこの日から休場した。《共同通信》

【原子力船むつ】洋上試験に出港

原子力船「むつ」は10日午前、洋上試験のため青森県むつ市の関根浜港を出港した。同県沖180キロ付近の太平洋上で原子炉の出力を50ー70%まで上げ、実際にスクリューを回す試験を実施する計画で、1969年の建造以来、初めて原子力を推進力にして航行する。《共同通信》

【皇太子殿下】熊本入り

皇太子さまは10日午前、第26回献血運動推進全国大会などの出席のため羽田発の全日空機で熊本県に向かわれた。皇太子さまの熊本県ご訪問は昭和62年の国民文化祭出席以来約3年ぶりで3回目。《共同通信》

【政界メモ】

〇…自民、社会、公明、民社四党の幹事長、書記長クラスの超党派訪欧団が出発に先立ち、10日昼前、成田空港内で結団式。乾杯の音頭に続いて、最年長の田辺社会党副委員長が名誉団長としてマイクに立ち「直接、訪欧の成果がなくても、今後の政治や国会運営に資すれば成功だ」「成果を期待せず、全員が心を通わせて仲良く旅行したい」と、各国の選挙制度事情の視察より、懇親が主目的とでも言いたげなあいさつ。

この訪問団は、与野党の新しい枠組みづくりを前進させる狙いがあるとみられるだけに、団長で仕掛け人の小沢幹事長も田辺氏の言葉にニヤニヤ。

〇…社会党の土井委員長は名古屋市で開かれた全電通の定期大会であいさつし、今大会限りで委員長を辞める山岸章氏に対し「物事を迅速に進める山岸さんらしく、新執行部への引き継ぎも素早い」と最大級の賛辞をしたかと思うと、「剛速球や魔球を投げられ、キリキリ舞いさせられた」と本音もちらり。

土井執行部は山岸氏から連合政権構想や消費税、安保・自衛隊などでしばしば厳しい注文を付けられ、立ち往生する場面もあっただけに、嫌みの一つも言ってみたかったらしい。《共同通信》

【ヒューストン・サミット】対ソ金融支援で平行線

第16回先進国首脳会議(ヒューストン・サミット)は10日午前(日本時間同日深夜)から、首脳、外相、蔵相による第一回全体会合を開き、「政治宣言」を採択するとともにソ連への経済支援問題を中心に討議した。この結果、ペレストロイカ(改革)を推進するソ連のゴルバチョフ政権の支援を確認した。

しかし焦点の金融支援問題では日本はじめ米、英両国の慎重論と西ドイツ、フランスなどの積極論が平行線をたどったままで、共同歩調はとらず各国の独自の判断にゆだねる方向が一段と鮮明となった。

これに関連し、海部首相は北方領土問題を取り上げ「この問題は欧州の東西分断同様、スターリンの拡張主義の結果だ。単に日ソ二国間の懸案というだけではなく、東西関係の文脈でとらえるべきだ」との見解を初めて表明し、各国の理解を求めた。

討議では対ソ金融支援をめぐって、ソ連の軍事費が国民総生産(GNP)の18%に達している事実やペレストロイカの中途半端な段階での資金援助には効果がない、との観点に立つ消極論と、①ゴルバチョフ大統領が失敗すればわれわれにとって高いものにつく②手遅れになる前に支援を早急に開始すべきだーとの積極論が対立。とりわけ日本がサミット後の解除方針を固めている第三次対中円借款凍結問題を引き合いに出しながら「中国に支援をして、ソ連に支援をしないというのはおかしい」と、中国と絡ませての応酬の場面もあった。

これに対し、海部首相は「コール西ドイツ首相がゴルバチョフ政権支援を考えることに異議は唱えない。日本が日ソ関係改善に努力するのと同様、これは西ドイツ自身が判断する問題だ」との見解を表明。各首脳からの異論はなかったが、今後さらに外相レベルで協議を継続していくこ「とになった。

討議では政治宣言の最終文一案について協議した。海部首相は事務レベルでまとまった一文案について「全体として中国に対し厳しい姿勢に偏り過ぎている。これでは中国はアルシュ・サミット以来の制裁措置が来年のサミットまで続くとの印象を与え、改革派の努力を損なう」と批判。「中国の今後の前進に従って参加国も立場を調整していく」との趣旨の修正案を提出し、盛り込まれることになった。《共同通信》



7月10日 その日のできごと(何の日)