平成534日目

1990/06/25

この日のできごと(何の日)

【方励之氏】英国へ

中国政府は25日、昨年6月の天安門事件直後に指名手配され北京の米大使館に保護されていた反体制物理学者、方励之氏(54)の出国を許可、2人は同日、英王立アカデミーの招きによる病気治療を理由に米国が用意した軍用機で英国へ向かった。

西側との関係改善の最大の障害となっていた方氏問題が一年ぶりに政治的決着したことから、7月初めの先進国首脳会議(ヒューストン・サミット)で対中経済制裁の大幅緩和が図られる見通しが強まり、日本政府の第三次円借款供与も前進する可能性が出てきた。

中国公安省スポークスマンは同日、新華社電を通し「寛大な措置により、病気治療のための人道的措置により、出国することを本日認めた」と発表、続いて英国側も訪英の事実を確認した。方氏夫妻の出国は反中国政府活動を展開しないことが条件となっている。

中国の発表によると、方氏と夫人の李淑嫺・前北京大助教授は関係部門に対し①中国共産党の指導、社会主義の道の堅持などをうたった四つの基本原則に反対し、憲法に違反したことを認める②出国後は反中国政府活動に従事しない―ことを表明した書簡を中国政府関係部門に提出したとされている。

また、天安門事件に絡んで逮捕されていた華南理工大前教師、王学志氏もこのほど釈放、出国が許可されてフランス人妻との再会が認められたことがこの日発表された。

一連の措置は7月初めの先進国首脳会議で、対中経済制裁を緩和するため、米、フランス、英など西側諸国と中国の間で政治的決着が図られ、妥協が成立したことを示している。

李鵬首相はこの日、西ドイツ議会代表団との会談で、天安門事件に関係した人物への寛大な措置は、中国内政の安定の証明であることを強調しているが、西側諸国の対中経済制裁が次第に効果を表していることを証明する結果となった。しかし、中国政府は西側にアピールする人道主義を前面に出し、西側との妥協を図る一方、方氏夫妻が提出した書簡を盾に国内的にはあくまでも「政府の寛大な措置」であることを強調した。

中国政府はことしに入って3回に分けて計881人の天安門事件関係逮捕者の釈放を発表、対外イメージの改善を図る一方、9月のアジア大会に向けて警戒態勢を強化しており、内外政策を使い分けている。《共同通信》

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【岐阜県北方町】病院前で組員と警官が銃撃戦

25日午前11時5分ごろ、岐阜県本巣郡北方町、喫茶店「コロポックル」に短銃を持った男が押し入った。男は「人に追われている。警察を呼べ」と店員を脅した。店員の110番通報で北方署員が駆け付けたところ、男はすきをみて店の外に出て1発発砲し、近くにいた女性の車を奪った。

同署員が車のタイヤに6発撃ったが男はそのまま逃走。車は緊急配備中の機動捜査隊員によって岐阜市鹿島町の岐阜市民病院で発見された。同病院前で双方が18発撃ち合った末、男は殺人未遂などの容疑で現行犯逮捕され、北方町、暴力団幹部A容疑者(39)と分かった。《共同通信》

【ウィンブルドンテニス】松岡修造選手、初戦突破

テニスのウィンブルドン選手権第一日は25日、ロンドン郊外のオールイングランド・クラブで男女シングルス1回戦を行い、日本勢は男子の松岡修造(富士ゼロックス)がルイシュ・マター(ブラジル)に7−6、6−3、6−4でストレート勝ち。

女子の伊達公子(ヨネックス)もショーン・スタフォード(米国)を7−6、4−3で下して2回戦に進んだ。日本の男子選手としては平井健一(当時住軽金)以来14年ぶりに本戦出場を果たした松岡は、サーブ・アンド・ボレーの積極的なプレーを展開して圧勝した。《共同通信》

【ロッテ・金田正一監督】出場停止30日

パ・リーグの堀新助会長は25日、西武球場で23日に行われた西武ーロッテ10回戦で球審に暴力振るい、退場処分を命じられたロッテの金田正一監督(56)に対し、出場停止30日と過去リーグ最高の制裁金100万円の極めて重い連盟処分を科した。パ・リーグで監督が出場停止処分を受けるのは1976年6月の日本ハムー阪急(現オリックス)で暴行を働いた日本ハムの大沢監督(7日間)以来2人目。《共同通信》

【政界メモ】記憶力では竹下氏に脱帽

◯…日米構造協議の最終局面とあって、25日昼の政府与党首脳会議終了後も、主要メンバーが首相官邸小食堂に残りひそひそ話。中山外相と武藤通産相は、そこでも時間が足りなかったのか海部首相より一足先に首相執務室へ。

遅れて小食堂を出た首相に記者団が「両大臣が待っているようだが」と質問すると「あっ、そう」とおとぼけ。まるで気のないような返事だったが、不満そうな記者団の様子を察したのか「じゃあ、またあの話だよ、分かるだろう」と思わせぶりに付け加えてにやり。交渉は難航が予想されるのに予想外の余裕ぶりに記者団から「ホウ」と感心の声も。

◯…自民党の小沢幹事長は、都内のスタジオで米国テレビ局の番組に出演し米国市民と直接対話をしたが、質問が唐突過ぎて目を白黒させる場面も。

戦後立川市に住んだことがあるという女性の質問に関-連、司会者から「立川市の人口は」と問われ「さあ…。100万まではないと思いますが」と自信家の小沢氏にしては珍しくしどろもどろ。番組終了後も「100万人まではいっていないかな」と盛んに気にしていたが、正解は15万人余りで大外れ。

国会運営などで、幹事長の先輩に当たる竹下元首相を上回る評価を一部で得ている小沢氏も、記憶力では数字博士の竹下氏にまだまだ及ばず。《共同通信》



6月25日 その日のできごと(何の日)