平成479日目

平成2年5月1日(火)

1990/05/01

【大相撲・霧島関】西正大関に

遅咲き大関と史上最年少幕内が誕生–。日本相撲協会は1日朝、大相撲夏場所(13日初日・両国国技館)の新番付を発表、霧島が西正大関に、貴花田が東前頭14枚目にランクされた。

4月に31歳になった霧島の初土俵から91場所費やしての昇進は、スロー出世の史上1位。逆に貴花田は17歳8ヶ月で新入幕、北の湖の18歳7ヶ月の史上最年少記録を更新した。

霧島は鹿児島県からは昭和58年初場所の若島津以来の大関で、井筒部屋からは昭和2年の豊国以来。貴花田は元大関貴ノ花の藤島親方の二男で、史上6組目の親子幕内。藤島部屋からは3人目の幕内力士となるが、30日のけいこで右足親指を負傷、本場所への影響が懸念される。

7場所ぶりの3横綱、4大関。東正横綱は、春場所に小錦、霧島とのともえ戦を制して6度目の優勝を飾った北勝海が4場所ぶりに座り、“1000勝横綱”千代の富士は西。2場所連続休場が確実の大乃国は5場所連続で東に張り出された。

大関は今場所の成績次第では横綱昇進もあり得る小錦が3場所連続東正位に就き、西に霧島。北天佑と旭富士が張出。東関脇寺尾は2場所ぶりの復帰で、5場所連続三役。琴ケ梅は6場所維持した関脇から西小結に落ちたが、三役は8場所連続。《共同通信》



【礼宮さま、川嶋紀子さん】結婚の儀は6月29日

宮内庁は1日、礼宮さまと学習院大大学生川嶋紀子さん(23)の「結婚の儀」を6月29日に行う、と正式発表した。また結婚の日取りを天皇家の使者が川嶋家に告げる「告期の儀」は今月11日と決まった。

宮内庁によると、結婚の儀は6月29午前10時から皇居内の宮中三殿・賢所で行われる。2人は平安朝の祭服姿で式に臨む。次いで宮殿で天皇、皇后両陛下にあいさつする「朝見の儀」がある。

翌30日昼には、宮殿で皇族方や海部首相ら三権の長、国会議員らを招いての祝宴、続いて外国大使らが参列して茶会が催される。この日は宮内庁庁舎前で、一般の人のお祝い記帳も受け付ける。

7月1日は親族らによる内宴、翌2日には宮内庁幹部、元側近らを招いての礼宮さま主催の茶会がある。

四日間にわたる一連の行事を済ませた後、2人は伊勢神宮や神武天皇陵、昭和天皇の武蔵野陵へ結婚報告の参拝に向かう。これが実質的には新婚旅行に当たる。

礼宮さまが新宮家を創設し、独立されるのを認定する皇室経済会議の開催は、早くても5月末か6月初めになる見込み。

告期の儀は今月11日午前10時、天皇陛下の使者の重田侍従次長が川嶋家を訪れ、紀子さんと両親に結婚の儀の日取りを伝える。

現在、英国留学中の礼宮さまが2年間の留学を終え帰国されるのは6月20日前後になりそう。結婚後の2人の新居は赤坂御用地内の旧鷹司和子邸。紀子さんは結婚後も「大学院での研究は続けたい」と希望している、という。《共同通信》

【海部俊樹首相】バングラデシュ大統領と会談

海部俊樹
https://www.kantei.go.jp/

海部首相は1日午後(日本時間同日夜)ダッカの大統領府でバングラデシュのエルシャド大統領と約1時間半にわたって会談した。

この中で両首脳は、インド、パキスタン間で緊張の高まっているカシミール問題をはじめとする地域紛争について「平和的な解決が望ましい」との認識で一致、この点で大統領は特に、日本が果たし得る役割の重要性を指摘した。

大統領は後発発展途上国(LLDC)の立場から、7月の先進国首脳会議に向け、アジアの唯一の参加国として日本が途上国に十分配慮するよう要請した。

二国間関係で海部首相は、バングラデシュに対する89年度分円借款(90年度実施)として274億円、エネルギー構造改善のための調整借款38億円をそれぞれ供与することを明らかにした。

大統領がバングラデシュを東西に分断し経済発展を阻害しているジャムナ川に架けるジャムナ橘建設への協力を求めたのに対し、首相は、世界銀行、アジア開発銀行の参加が前提としながらも「前向きに考える」と述べ、5月の世銀の会合の結果を受けて、夏までに日本政府調査団を派遣する意向を表明した。

大統領は①洪水対策②貿易不均衡の是正と対日輸出増加③民間投資保護定の締結問題ーなどに対する日本の協力を強く訴えた。これに対し、首相は洪水対策については「現在実施中の世銀の行動計画に沿って可能な限り努力する」と表明したが、貿易問題については日本の市場開放努力とバングラデシュの経済構造改善の必要性を指摘。投資保護協定問題についてもバングラデシュの社会資本整備などが必要であることを強調した。《共同通信》

【東ドイツ・ベルリン】44年ぶり統一メーデー

旧政権の崩壊、新連合政権の発足、急ピッチで進む西ドイツとの統合交渉ーと昨年秋から激動の半年間を体験した東ドイツの首都ベルリンで1日、東側の労働者約10万人がブランデンブルク門を通って西ベルリンに入り、44年ぶりの東西統一メーデーを祝った。

ベルリンはこの日、雲一つない快晴で、さわやかな微風が吹き、午前10時の気温は15度。昨年までのホーネッカー体制下で繰り広げられた軍事パレードや職場代表による“官製デモ”は中止され、東ドイツ市民はそれぞれ、思い思いのスタイルで「自由メーデー」を味わった。

秘密警察の姿が見当たらないのも特色だ。これまでのメーデーで街角ごとに配置されてきた大量の私服を消し「様変わり」を印象付ける。

西ベルリンの「帝国議会」前の共和国広場で開かれた統一集会には、東ドイツの各政党代表や東西ベルリン市民約6万人(警察調べ)が参加。東ドイツの住宅建設関連労組のポッシュ代ヘは「統一ドイツの課題は職業機会の確保」と失業の解消を歌えた。

西ベルリンのパーゲルス・ドイツ労働組合総同盟(DGE)ベルリン支部長も「経営者レベルとは別にわれわれも、交流を」と連帯の必要性を強調した。

しかし、参加者の間には、市場経済への移行という初体験への不安と懸念が根強いようだ。東ベルリンの労組連合の女性幹部は「統一は東側だけが負担を強いられてはならない。統一が実現しても、職場環境の改善は引き続き要求していく。社会保障の見直しも段階的に進めるべきだ」と、統一後をにらんだ決意を話していた。《共同通信》

【ソ連】メーデー様変わり

共産党の一党支配体制から脱却したソ連のメーデーは1日、モスクワの赤の広場でのこれまでの官製の労働者行進に代わって、初めて一般市民も自由に参加、指導部批判の演説が行われるなど、新しいスタイルの労働者の祭典となった。

レーニン廟(びょう)の上ではゴルバチョフ大統領や、新設された大統領会議のメンバー、急進改革派のボボフ・モスクワ新市議会議長らが初めて顔をそろえた。ゴルバチョフ大統領ら党、政府指導部の演説はことしからなくなり、代わって演院した労働者代表からは厳しい指導部批判も飛び出した。

午前10時(日本時間同日午後3時)から赤の広場で行われた中央集会では、ヤナーエフ全ソ労働組合中央評議会議長が、バルト地方の独立の動きについて「労働運動を分裂させるものであり、野心的な一政治家や無責任な民族主提者の利益にしか沿わない」と批判した。

しかし、労働者や学生の代表からは、ペレストロイカが始まってからも一般市民の生活は改善されず、政府や党指導部は何も実行していないとの不満の声が相次いだ。《共同通信》



5月1日のできごと