平成8682日目

2012/10/15

【この日の野田総理】

朝日地球環境フォーラム2012全体会議

平成24年10月15日、野田総理は都内のホテルで開催された朝日地球環境フォーラム2012全体会議に出席しました。

野田総理は全体会議のオープニングスピーチの中で、次のように述べました。

「私たちが進むべき道は、明らかです。それは、グリーンエネルギー革命の先頭に立ち、世界を引っ張っていくことであります。そのために、『徹底した省エネ社会の実現』、そして『再生可能エネルギーの導入拡大』という二つの柱を思い切って進めていくことであります。」
「日本発でのグリーンエネルギー革命を成し遂げる。これは、確固たる国家戦略です。これからを生きる国民一人ひとりが背負うべき大仕事です。そして、人類の未来を切り拓く国際貢献の一つでもあります。こうした我が国の姿勢を国際社会に示してまいります。」《首相官邸》




昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。

情報量が少ない日は随時加筆中です。

引用記事は名前、住所など一部修正の上、抜粋してあります。

外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)

古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。

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【尼崎事件】6人以上が不明に

兵庫県尼崎市の住宅で14日、床下から2遺体が見つかった事件で、住宅に住んでいた女性や次男など、少なくとも男女6人が行方不明になっていることが15日、捜査関係者への取材で分かった。

県警は同日、司法解剖して死因を調べ、殺人容疑で家宅捜索も再開した。他にも遺体があるとの情報があり、県警が確認を進める。

県警は13日から捜索し、14日に床下の土の中から中高年の女性とみられる遺体と、大部分が白骨化した遺体のほか、複数の小さな骨を見つけた。《共同通信》

【北朝鮮による日本人拉致事件】被害者帰国から10年

1978年に北朝鮮へ相次いで拉致された蓮池薫さん(55)と妻祐木子さん(56)=新潟県柏崎市、曽我ひとみさん(53)=同県佐渡市、地村保志さん(57)と妻富貴恵さん(57)=福井県小浜市=の被害者5人が2002年10月に帰国して、15日で丸10年を迎えた。

北朝鮮に残した子ども7人や夫も2年後に来日し、家族の絆を取り戻した。一方、拉致問題の扱いをめぐる日朝政府間の溝は埋まっておらず、6年前に新設された拉致問題担当相も次々交代し13人目となるなど、解決への道のりは遠いままだ。 5人は今月、記者会見や取材にそれぞれ応じ、被害者全員の早期救出を政府に訴えた。《共同通信》

【PC遠隔操作事件】「私が犯人」TBSにメール

遠隔操作ウイルスに感染したパソコンから犯罪予告が送られた事件で、「私が真犯人です」と名乗り、大阪、三重などで男性が逮捕され、後に釈放された事件の詳細を記したメールがTBSに送り付けられていたことが15日、同社への取材で分かった。

TBSと警察当局によると、メールには「ウイルスは自分が開発したもの」「警察と検察に醜態をさらさせたかった。遊んでくれてありがとう。また遊びましょうね」との記載もあった。

警視庁は「犯人しか知り得ない秘密の暴露に当たる情報が多い」として、パソコン遠隔操作事件の犯行声明の可能性が高いとみて捜査。《共同通信》

【レスリング・吉田沙保里選手】一日署長

ロンドン五輪女子レスリング金メダリストの吉田沙保里選手(30)が15日、警視庁愛宕署の一日署長を務め、振り込め詐欺やひったくり被害の防止を呼び掛けた。

赤いジャケット姿で首から金メダルをさげた吉田選手は、東京・新橋のSL広場でトークショーに参加。ひったくりに遭った際の対応を尋ねられると「タックルをして押さえこむ。背後に気配りや目配りをしながら練習しています」と答え、会場は拍手に包まれた。《共同通信》

【福島県富岡町・遠藤勝也町長】除染、インフラ復旧推進を

東京電力福島第1原発事故で全町避難し「今後5年間は帰還できない」と宣言した福島県富岡町の遠藤勝也町長が15日、平野達男復興相と復興庁で会い、放射性物質の有効な除染方法を確立し、道路や上下水道の復旧を早急に進めることなどを要請した。

遠藤町長は、除染やインフラ復旧の遅れている現状では早期帰還は困難だと宣言の理由をあらためて説明。その上で「(国が帰還の基準とする)年間被ばく線量20ミリシーベルトでは住民の健康不安が払拭できない」と訴え、長期的には事故以前の放射線量に戻すよう求めた。平野氏は「十分に協議したい」と答えた。《共同通信》

【カンボジア・シアヌーク前国王】死去

20年以上にわたる内戦や混乱を経て平和を実現したカンボジアの「国民統合の象徴」だったノロドム・シアヌーク前国王が15日、滞在先である北京の病院で死去した。89歳だった。政府は死因を「病気のため」と発表。前国王の側近は心不全だと述べた。

1941年に18歳で即位。53年、旧宗主国フランスからの完全独立を達成し「独立の父」として国民から敬愛された。大国の利害に翻弄され、クーデターや内戦、混乱に明け暮れた小国カンボジアの現代史を体現するような人生を送った。前言を翻したり、引退騒ぎを繰り広げたりしたため、「気まぐれ殿下」とも呼ばれた。《共同通信》



10月15日 その日のできごと(何の日)