平成10847日目

2018/09/19

この日のできごと(何の日)

【東仙台交番襲撃事件】

19日午前4時すぎ、仙台市宮城野区の仙台東署東仙台交番で、勤務していたA巡査長(33)が訪ねてきた男に刃物で刺され、搬送先の病院で死亡した。交番にいた男性巡査部長(47)が拳銃を3発発砲し、男も死亡した。

宮城県警は殺人容疑で男を捜査。仙台市内の大学生の可能性があり、身元確認を急ぐとともに状況を詳しく調べている。男は包丁とみられる刃物1本とモデルガンのようなものを所持していた。マシンガンの形状で、県警が鑑定する。A巡査長の拳銃は奪われていなかった。

県警によると、男は「現金を拾った」と交番に来た。《共同通信》

仙台市宮城野区の交番で宮城県警のA巡査長(33)が刺殺された事件で、県警は19日、現場で別の警察官の発砲を受けて死亡した男を、同区新田、大学生B容疑者(21)と明らかにした。殺人の疑いで容疑者死亡のまま書類送検する方針。

県警によると、B容疑者は交番を訪れた際、マスク姿でウエストポーチを身に着けており、中にはさみ、カッターナイフ、ドライバーが入っていた。モデルガンのようなものと、凶器とみられる刃渡り約20センチの包丁を所持しており、県警は計画的に襲撃したとみて捜査する。関係者によると、B容疑者は市内にある東北学院大の3年生。《読売新聞》

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【北海道札幌市】テレビ塔や「ニッカ」看板、2週間ぶりに明かり

北海道で節電要請が解除された19日、札幌市中心部のテレビ塔や繁華街の看板にも約2週間ぶりに明かりがともり、夜の街に華やぎが戻った。

午後6時。札幌市中心部の照明が一斉に点灯され、大通公園のさっぽろテレビ塔が北海道旗をイメージした赤、青、白のイルミネーションで彩られると人々から歓声が上がった。繁華街ススキノを象徴する広告「ニッカウヰスキー」のネオンも輝きを取り戻した。

市内の高校2年の女子生徒(17)は「夜のテレビ塔は明かりがついていて当たり前。もう地震はこないでほしい」と話した。市内の大学3年の女子学生(21)も「(電気がついていなくて)ススキノの雰囲気も暗かった。一瞬で華やかになった」と喜んだ。《読売新聞》

【日経平均終値】2万3672円52銭

19日の東京株式市場は、米中の貿易摩擦が激化するという警戒感が後退し、ほぼ全面高の展開となった。日経平均株価(225種)の終値は、前日比251円98銭高の2万3672円52銭で、1月24日以来、約8か月ぶりの高値をつけた。

日経平均は13日以降の4営業日で計1000円超上昇している。トランプ米大統領が中国に対する制裁関税の第3弾を発表したが、前日の米ニューヨークや、19日の中国・上海市場で株価が上昇し、投資家に安心感が広がった。日経平均の上昇幅は一時、前日終値に比べ、400円を超える場面もあった。《読売新聞》

【公明党代表選】山口那津男代表が6選

公明党の山口那津男代表(66)の任期満了に伴う党代表選が19日、告示された。山口氏以外に立候補の届け出はなく、山口氏の6選が決まった。30日の党大会で信任投票が行われ、正式に承認される。任期は2020年9月までの2年間。

山口氏は届け出後の記者会見で、「党大会で党の体制を固め直して(19年の)統一地方選、参院選に総力を挙げて当たりたい。そのために、政権の安定のもとに、これまで進めてきた政策を実現していきたい」と抱負を語った。新執行部の陣容については、「時代に合った新しい体制を作るという意識を持ちながら検討したい」と述べた。

山口氏は09年8月の衆院選で当時の太田昭宏代表が落選したことを受けて翌9月に代表に就き、9年間務めている。同党首としては1967~86年の19年10か月間、委員長を務めた竹入義勝氏に次ぐ長さで、98年の再結党後では最も長い。《読売新聞》

【自民党総裁選】麻生副総理、石破氏側を批判

自民党総裁選で安倍首相を支持する麻生副総理は19日、東京・秋葉原で応援演説し、「冷や飯を食うぐらいの覚悟を持って戦って当たり前だ。そういう覚悟のない人に、日本のかじ取りを任せるわけにはいかない」と訴え、人事での冷遇に異を唱える石破茂・元幹事長側を批判した。

麻生氏は、自身が福田康夫氏に敗れた2007年の総裁選に触れ、支援を受けた甘利明・元経済再生相らの名前を挙げて「我々は(その後)無役で終わった。いいじゃないか。冷や飯は冷や飯なりにうまい食い方がある」と語った。ただ、実際には甘利氏は福田内閣で経済産業相を務め、麻生氏は08年8月に福田総裁の下で党幹事長に就いた。《読売新聞》



9月19日 その日のできごと(何の日)