平成7076日目
2008/05/23
【この日の福田総理】
日本・マレーシア首脳会談
平成20年5月23日、福田総理は、総理大臣官邸でマレーシアのアブドゥラ・バダウィ首相と首脳会談を行いました。
冒頭で、福田総理は「東方政策をはじめ、わが国に対しまして特別な政策を取ってこられましたアブドゥラ首相との会談をすることができて、たいへんうれしく思います。ASEAN共同体を実現するためには、日本とマレーシアとの協力が極めて不可欠であります。また、両国の経済連携協定(EPA)のもとで貿易・投資の増大や、マラッカ海峡の安全確保での協力が進展していることを嬉しく思います」と歓迎の言葉を述べました。
これに対しアブドゥラ首相からは「二国間の協力関係は良好で、特にEPAを締結して以来日本からの投資も増えている。今後も両国間の協力をより強化したい。福田総理にも、機会があればぜひマレーシアを訪問していただきたい。」と感謝の言葉が述べられました。
会見では、二国間関係のほかミンダナオ和平問題,北朝鮮問題,気候変動問題及びテロや海賊対策等の国際的な課題について、お互いに協力していくことで意見が一致しました。
「国際シンポジウム−沖縄から洞爺湖へー『人間の安全保障』から見た三大感染症への新たなビジョン」に出席
平成20年5月23日、福田総理は都内のホテルで開催された「国際シンポジウム−沖縄から洞爺湖へ−『人間の安全保障』から見た三大感染症への新たなビジョン」に出席し、挨拶を行いました。
本シンポジウムは、三大感染症を中心とした国際保健協力のあり方や、平成12年の九州沖縄サミットを契機に設立された世界エイズ・結核・マラリア対策基金(世界基金)が国際保健協力に果たす役割について討議されます。
開会セッションで福田総理は「エイズ、結核、マラリアと戦う世界中のすべての人々を支援し、ミレニアム開発目標の達成に向けて努めることは、我が国が重んじる人間の安全保障の実現につながるものでございます。我が国はここに世界基金に対しまして平成21年以降、当面5.6億ドルの拠出を行うことを表明するものであります。この拠出が世界基金のさらなる活動を可能にし、多くの生命の救済につながることを期待したいと思います。」と述べました。《首相官邸》
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福田康夫首相は23日午前、都内で開かれた三大感染症対策に関する国際シンポジウムであいさつし「世界エイズ・結核・マラリア対策基金」(本部・ジュネーブ)に来年以降、5億6000万ドル(約580億円)を提供する方針を示した。途上国で深刻な乳幼児の健康状態改善のため「国際保健協力」で日本が主導権を発揮していく考えも示した。《共同通信》
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【この日の民主党】
総選挙向け新ポスターを発表 鳩山幹事長
鳩山由紀夫幹事長は、23日午後の定例記者会見で、党の総選挙向け新ポスターを発表した。
鳩山幹事長は新ポスターについて、「いつ総選挙があってもこのポスターで戦い、勝利をつかむ。福田内閣が国民の皆さんの声を聞かないのに対して、このポスターは小沢代表が国民の皆さんの声を聞く姿勢、政治とは生活であるとの民主党の考えを盛り込んだもの」と説明した。
また、5月中旬から全国で張り出し、民主党の姿勢をしっかり伝えていきたいとした。
記者の質問に「今回は国民の皆さんと会話しよう、小沢代表の動的なところを強調したと解釈している。大変良くできたポスター」と答えた。
さらに、「選挙は近いという認識。国民のための政治をつくり上げたい。選挙がいつあっても大丈夫なようにしていく」と、福田内閣を解散・総選挙に追い込む考えを改めて示した。《民主党ニュース》
【コーネル・キャパさん】死去
兄の故ロバート・キャパ氏とともに世界的に著名な写真家で、写真家集団マグナムの代表を務めたほか、ニューヨーク市マンハッタンの国際写真センター(ICP)を設立したコーネル・キャパ氏が23日午前、同市の自宅で死去した。90歳。死因は明らかにされていないが、この数年パーキンソン病で闘病生活を送っていた。
ブダペスト出身。兄ロバートの写真の現像処理を担当して写真の道に入り、1937年にニューヨークに移住。米空軍の写真情報部隊を経てライフ誌の写真記者になった。
インドシナ戦争の取材中に死去した兄を引き継いで54年、パリの写真家集団マグナムに参加。56年から60年まで代表を務めた後、ライフ誌に戻り、ケネディ大統領の選挙戦やホワイトハウスの生活を撮影した。74年にジャクリーン夫人らの支援を受けICPを創設、94年に引退するまで理事長を務めた。《共同通信》