平成6384日目
2006/07/01
【橋本龍太郎さん】死去
橋本龍太郎元首相が1日午後2時、多臓器不全、敗血症性ショックのため東京都新宿区の国立国際医療センターで死去した。68歳だった。葬儀・告別式は近親者のみで執り行う。政府、自民党は後日、内閣・自民党合同葬を行うことを検討している。
日本歯科医師連盟からの1億円献金隠し事件を受け、2004年7月に自民党橋本派会長を辞任。昨年9月の衆院選に出馬せず政界を引退していた。6月4日夜、腹痛を訴え入院。腸管虚血との診断を受け、大腸の大部分を切除するなどの手術を受けていた。
厚相、運輸相、自民党幹事長、蔵相、党政調会長、通産相などを歴任し、1996年1月、村山富市首相の退陣表明を受けて第82代首相に就任。自民、社民、さきがけ3党連立政権の下で財政構造改革や行政改革など「六大改革」を掲げ、現在の1府12省庁の中央省庁再編に道筋を付けた。
しかし、消費税率の5%への引き上げや医療費負担増などをきっかけに景気が減速、財政構造改革路線の転換を余儀なくされ、98年7月の参院選で「経済失政」の批判を浴び、自民党が惨敗、引責辞任した。首相を辞めた後は、森内閣で行政改革兼沖縄・北方担当相として入閣。2001年、森喜朗首相の後継を選ぶ自民党総裁選に出馬したが、小泉純一郎首相に大差で敗れた。
首相在任中、米国と沖縄の米軍普天間飛行場の全面返還に合意したほか、日米安保共同宣言を発表、新たな日米防衛協力のための指針(ガイドライン)を決定した。対ロシア外交でも、エリツィン大統領(当時)と2000年末までの平和条約締結というクラスノヤルスク合意を交わし、北方領土問題で「国境線画定」方式を提案した。
また、ペルーの日本大使公邸人質事件や北海道拓殖銀行の経営破たん、山一証券の自主廃業などに直面。96年9月には衆院解散に踏み切り、現行の小選挙区比例代表並立制で初めての選挙を行った。
ことし3月には中国を訪問して胡錦濤国家主席と会談するなど、小泉純一郎首相の靖国神社参拝問題で冷え込む日中関係の改善に努めていた。
慶大法学部卒業後、紡績会社のサラリーマンを経て、父龍伍氏(元厚相)の急死を受け63年の衆院選に26歳で初当選。以後14回の当選(岡山4区)を重ねた。
厚生、行革に手腕を発揮した根っからの政策マンで、「橋龍」と呼ばれ、剣道、登山、写真など趣味も多彩だった。実弟は橋本大二郎高知県知事。橋本岳衆院議員は二男。《共同通信》
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小泉純一郎首相は1日、橋本龍太郎元首相の死去を受け「21世紀のわが国のあるべき姿を展望し、中央省庁再編や介護保険制度の創設、金融システム安定化に尽力した。優れた指導者の訃報に接し、悲しみの念を禁じ得ない」との談話を発表した。《共同通信》
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【この日の民主党】
篠原農林水産団体局長、石川県連政治セミナーで党の考え訴える
篠原孝党農林水産団体局長は1日午後、石川県小松市で開催された民主党石川県総支部連合会主催の政治セミナーに出席し、「地産地消と日本の農業」と題して講演を行った。
冒頭、一川保夫石川県連会長(前衆議院議員)より挨拶があり、農林水産業のみならず、地場産業など、地方の経済は非常に冷え込んでおり地方の不安感が増している。民主党は小沢代表の下、地方が自信を持ってっていけるような政策を打ち出すべく頑張っていきたいと述べた。
次いで篠原局長が講演し、「循環社会にしていかなければ地球は破滅する。循環社会に向かっていくには一次産業に頼らざるを得なくなる」と述べ、地場生産・地場消費、いわゆる「地産地消」や「旬産旬消」に沿った食生活への転換の重要性などを訴えた。また、民主党の農林漁業政策について触れ、菅代表(当時)以来、民主党は農林漁業政策に力を入れており、「民主党農林漁業再生プラン」を策定していると述べた。
更に、先の第164通常国会には同プランに基づいてつくられた「農林漁業再生基本法案」(食料の国内生産及び安全性の確保等のための農政等の改革に関する基本法案)を提出したことについて触れ、野党の議員立法であるにも係わらず、36時間もの審議時間を確保して議論してきたことについての説明がなされた。政治セミナーにはおよそ100名の市民らが出席した。《民主党ニュース》