平成3851日目
1999/07/25
この日のできごと(何の日)
【改革クラブ】連立参加を決定
衆院で公明党と統一会派を組む改革クラブ(小沢辰男代表、衆参11人)は25日、都内のホテルで両院議員総会を開き、自民党との連立政権に参加する方針を正式に決定した。小沢氏は総会後の記者会見で「政局を安定させるため強力な政権をつくらないといけない」と述べ、政権参加方針を決めた公明党と歩調を合わせ、野党から与党へ軸足を変える考えを強調した。
小沢氏は26日午後、公明党の神崎武法代表と会い、この方針を伝達する。自民党の森喜朗幹事長とも近く会談し、政権参加要請を受諾する考えを伝える。
小沢氏は野党勢力の再結集を旗印に昨年9月に設立した「新総合政策研究会」について、近く役員会を開き、解散する方向で協議する考えを明らかにした。《共同通信》
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【プロ野球オールスター第2戦】
1999年のサンヨーオールスターゲーム第2戦、全セントラル−全パシフィックは25日、7年ぶり開催の甲子園球場で行われ、全セが9−5で第1戦に続いて制し、最優秀選手には6打点を挙げた横浜のローズが初めて選ばれた。対戦成績は全パの68勝54敗7分けとなった。ローズは一回一死満塁から中前打して先制の2点をたたき出し、2点を加えた二回二死満塁では走者一掃の二塁打、五回には左中間へ本塁打した。6打点は球宴の1試合最多打点のタイ記録だった。全パは一昨年の第2戦から1分けを挟んで4連敗。先発したロッテの黒木の1試合7失点は球宴のワースト記録となった。
第3戦は27日、倉敷マスカット球場で全パが石井(西武)、全セが野口(中日)の先発で行われる。《共同通信》
【米中外相会談】誤爆問題決着へ前進
シンガポール訪問中のオルブライト米国務長官と唐家璇中国外相が25日会談し、米中首脳会談の9月開催で合意するなど関係修復の道筋をめぐって一致した。中国大使館誤爆事件以来、冷却化していた米中関係は改善へ向け大きく前進した。
会談後の記者会見で唐外相は、9月のアジア太平洋経済協力会議(APEC)の際に江沢民国家主席とクリントン大統領の首脳会談を開催することで米側と合意したと表明。ベオグラードの中国大使館誤爆事件に関する米側の説明についても「留意する」と述べ、決着に向けた前進を示唆した。
外相は、国務長官が台湾独立の不支持など「3不政策」の堅持を表明したことを強調。李登輝・台湾総統の「二国論」発言が波紋を広げる中、長官が米国の立場をあらためて明確に伝えたことが関係修復の最大の手掛かりとなったとみられる。
オルブライト国務長官も別個に行った会見で「中国と米国との意思疎通は大使館誤爆以前の水準にまで回復したと思う」と指摘し、この点で会談に「とても満足している」と語った。
唐外相は、誤爆は情報機関の目標設定ミスとする米側の説明に「満足してはいない」と述べながらも、説明に「留意する」との表現で一定の評価を示した。世界貿易機関(WTO)加盟問題については「(協議の)準備をしていたが、米国側が言及しなかった」とあえて述べた。《共同通信》
【民主党】全国研修会
研修会最終日の25日は、朝から「組織・選挙対策」「政局・政権戦略」「重点政策」の3つの分科会に分かれての意見交換や質疑の後、全体集会で江口克彦・PHP研究所副社長が特別講演。
江口氏は、22年間仕えた故松下幸之助氏のエピソードを紹介しながら、「お客様が何を喜ぶかを考えるのが第一」「人の話をよく聴く」「感動を与える」など、その成功の秘訣を説いた。
続いて、全国研修会のまとめとして、菅直人代表が登壇し、問題提起。まず日債銀の元経営者6人の逮捕にふれ「官僚組織の行き詰まりを象徴する事件だ」と指摘。そのうえで「次の総選挙は総理を選ぶ選挙にしなければならない。行政の長を国民が選ぶことが本当の国民主権だ」と述べ、それを実現するため、「民主党が300小選挙区全部に候補者を立てなければならない。総理を選べることを国民に保障するために野党第一党の責任としてやらねばならない」と力強く決意を表明した。
最後に鳩山幹事長代理が「菅代表は自信を失わず、大きな志を持ち続けてほしい」と激励し、「自自公という危うい方向に進まぬよう、他の政党の助けなどあてにせず、民主党単独でがんばろう」と強調、3日間の研修会の幕を閉じた。
菅代表は研修会終了後に、ホテル内で記者会見を行い「最前線で活動している人が一堂に介し、議論をすることが有意義。1つのステップをしっかり踏み固め、次に移っていく確信がもてた」と研修会を振り返った。
記者団の質問は、自自公連立政権への評価や対応に集中。これに対し菅代表は「政策合意ではなく、政権参加が先に決まった、矛盾に満ちた野合政権。こんな政権に国民が信頼感をもてるはずがない」と批判。さらに「3年前の総選挙で示された国民の意思に逆行する政権。本質的にこれをただすことができるのは次の選挙だ。」と述べ、「何をおいても全選挙区に候補者を立てることが、最も重要な課題。研修会の参加者にものお願いした。候補者がいない空白区については、最終的に本部へ白紙委任をもらうこともありうる」と強い決意を示した。《民主党ニュース》
【江藤淳さん】葬儀・告別式
21日に自殺した文芸評論家江藤淳氏の葬儀・告別式が25日午後、神奈川県鎌倉市御成町のカドキホールで行われ、近親者や文壇関係者ら約350人の参列者が江藤氏に別れを告げた。
式では喪主で妹のメルカンテ初子さんが「兄が生前残した作品を通して、皆さまの心に生き続けてくれることを慰みとしたい」などとあいさつした。
自殺当日の豪雨とは対照的な真夏の青空の下、参列者が合掌で見送る中を、ひつぎは親交があった石原慎太郎東京都知事や小沢一郎自由党党首らに担がれ、式場を後にした。ひつぎの中には、自宅に残されていたブランデーやたばこなどが納められた。《共同通信》
【モロッコ・ハッサン国王】国葬
38年余りにわたって政権を守り抜き、70歳で23日に死去したモロッコのハッサン国王の国葬が25日午後(日本時間同日夜)、首都ラバトで行われた。
国葬にはクリントン米大統領夫妻やフランスのシラク大統領、中東各国の指導者ら約50カ国・機関の代表が参列。1979年のエジプトとイスラエルの平和条約締結に一役買うなど、アラブ穏健派として中東和平に貢献してきた国王に最後の別れを告げた。
中東で多数の外国首脳が葬儀に参列するのは2月のフセイン・ヨルダン国王の葬儀以来。各国首脳らはハッサン国王の長男で新国王に即位したモハメド六世(35)に弔意を表すとともに、葬儀の合間を縫って弔問外交を展開、イスラエルのバラク政権の登場で大きな進展が期待される中東和平について話し合った。
ラバト中心部の王宮に安置された国王のひつぎは、車で王宮の北東約2キロにあるモハメド五世廟に。モハメド新国王の先導で、各国首脳は徒歩でひつぎの後に続いた。遺体は白い布に包まれたまま、国王の父親のモハメド五世の墓の隣に埋葬される。
国葬にはバラク首相やパレスチナ解放機構(PLO)のアラファト議長ら中東和平交渉の主役が顔を見せたが、重要な当事者の一人であるシリアのアサド大統領はマシャルカ副大統領らを派遣、自らは出席しなかった。日本からは橋本龍太郎前首相や高円宮殿下が出席した。《共同通信》
【ノーラン・ライアン氏】野球殿堂入り
25日に米ニューヨーク州クーパーズタウンで行われた野球殿堂入り式典で、奪三振王のノーラン・ライアン氏(52)が新たに殿堂入りした。通算5714奪三振や7度のノーヒットノーランなど53個の大リーグ記録を樹立した大投手。「野球人生の最終章だと思う。最高の栄誉だ」と感激に浸った。
ライアン氏のほか3000安打のジョージ・ブレット、ロビン・ヨーント氏ら豪華な顔ぶれがそろった今年の殿堂入り式典。メディアは約900人に上り、全米各地から史上最多という4万を超す野球ファンが集まった。
炎天下の受賞スピーチ。「野球の才能は神の贈り物だった。この栄誉を謙虚に受け止めたい」と、スーツ姿のライアン氏は、実直にしゃべり続けた。「野球選手になるのが子供のころの夢だった。夢が次々に実現した。その幸運に感謝する」
1966年に大リーグに昇格し、メッツ−エンゼルス−アストロズ−レンジャーズで27年間、速球投手というスタイルを変えなかった。ブレット、ヨーントら28人の殿堂入り選手から三振を記録しているほか、昨年本塁打争いをしたマグワイア(カージナルス)ソーサ(カブス)からも三振を奪った。《共同通信》