平成3243日目
1997/11/24
この日のできごと(何の日)
【山一証券】自主廃業決定
山一証券は24日早朝、臨時取締役会を開き、自主廃業を正式決定するとともに、大蔵省に、自主廃業に向けた営業休止届を提出した。
百年の歴史を誇る同社の経営は破たんし、負債総額約3兆5000億円に上る戦後最大の倒産に追い込まれた。これを受けて、日本銀行は臨時政策委員会を開き、顧客からの預かり資産の全額保護と信用秩序維持のため、日銀法25条に基づく無担保の特別融資(日銀特融)の実施を決めた。
大蔵省も同社に対し、新規業務などの一部業務停止命令を出した。三塚蔵相は記者会見で「投資家保護に万全を尽くす」と言明、山一証券の顧客の資産は全額保護されることを強調した。同時に蔵相は、三洋証券、北海道拓殖銀行など金融機関の破たんが続発していることから、金融システム安定に関する談話を発表するとともに、公的資金の活用を含めた対策の検討を初めて表明した。海外市場の懸念も強く、「日本発」の金融不安の拡大防止が橋本政権の大きな課題になってきた。《読売新聞》
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「深く深く、おわび申し上げます」。自主廃業を決めた山一証券の野沢正平社長は24日、東京・兜町の東京証券取引所で記者会見をした。連日連夜の役員会の疲れからか顔は青ざめ目はうつろ。何度も頭を下げ、「社員が路頭に迷わないようにご協力を」と話し、涙を流した。
「このたび自主廃業に向け営業を休止することを決定しました」。会見の冒頭、野沢社長は用意したコメントを読み上げた。一語一語かみしめるような口調だが「図らずも百周年を迎えた時に、このような事態になったことは断腸の思いです」のくだりになると、感情が高ぶったのか一段と声を高めた。
この後、経理操作の中身について報道陣の質問を受けたが、「私は営業部門しか分かりませんから」と、受け答えは同席した顧問弁護士にまかせ、当事者能力の無さもうかがわせた。
経営責任を問われると、「とにかく山一を良くしたいと社長をお受けしたが、非常に残念。7500人の社員とその家族のことを思うとわたしは耐えられません」と語り、こらえていた涙がせきを切ったようにあふれた。
「過去の負の遺産と決別したい」と決意表明した社長就任からわずか3カ月後、その「負の遺産」によって百年の歴史を持つ会社の幕引きをする皮肉な結果になった。
約2時間に及んだ会見。最後に立ち上がると、「私たちが悪いのであって社員が悪いんじゃないんです。路頭に迷わないようにご協力をお願いします」と絶叫に近い大きな声で訴え、もう一度深々と頭を下げた。《共同通信》
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【橋本龍太郎首相】「債務超過心配なし」
橋本首相は24日、カナダ・バンクーバーに向かう政府専用機の機中で同行記者団と懇談し、山一証券が自主廃業を決定したことで金融機関の破たん処理に公的資金を導入すべきだとの意見が与野党で高まっていることについて、「国民の間や国会、党においても真剣な議論がなされている。重大な関心を持って対応していかなければならない」と述べ、積極的に検討する考えを示した。
山一証券の問題については、「いわゆる飛ばしによる簿外の負債、そのほかすべてのものを合わせて(想定していなかった負債は)約3300億円、資産としては4300億円で、十分その中で処理できる」と述べ、債務超過を心配する必要はないことを強調した。《読売新聞》
【橋本龍太郎首相】米・クリントン大統領と会談
橋本龍太郎首相は、24日の日米首脳会談でクリントン大統領から、日本の金融システム改革や内需拡大、規制緩和の「実質的進展」を求められ、待ったなしの対応を迫られることになった。
9月の新しい日米防衛協力のための指針(ガイドライン)策定で、安保問題が大きなヤマ場を越え、日米関係の比重は再び経済に。加えて大統領が指摘したのは、いずれも一朝一夕には解決できない難しい課題ばかり。首相は外圧と国内調整のはざまで、難しいかじ取りを迫られそうだ。
大統領が日本の金融システム改革に言及したのは異例。米国が山一証券や北海道拓殖銀行の経営破たんなど、日本の金融システム不安を深刻に受け止めている表れだ。
米側の金融安定化への強い姿勢から、公的資金投入は避けられないとの見方が強まっているが、住専処理の際のように国民の反発を受ける可能性がある。
大統領は内需拡大のほか、規制緩和でも「来年5月の主要国首脳会議までに」と期限付きで厳しい注文を突き付けた。4月と6月の首脳会談の際も日本の内需拡大を確認したが、実際には「要求にこたえ切れていない」(政府筋)。これが大統領の厳しい対日姿勢を招いたとみられる。《共同通信》
【土井隆雄宇宙飛行士】日本人初の宇宙遊泳
米スペースシャトル「コロンビア」に乗った日本人宇宙飛行士、土井隆雄さん(43)の船外活動が米中部時間24日午後6時(日本時間25日午前9時すぎ)から始まり、土井さんとウィンストン・スコット飛行士(47)は、軌道投入に失敗した太陽観測衛星スパルタンの手づかみによる回収に成功した。
シャトルの船外活動で手づかみによる衛星捕獲に成功したのは1992年の通信衛星インテルサット以来。日本人初の船外活動に挑んだ土井さんは予定外の難しい任務を見事にこなした。
打ち上げから6日目を迎えたこの日、乗組員6人は午後1時前に起床。午後3時ごろから土井さんとスコット飛行士が船外活動の準備を始めた。
船外活動で出入りする際に船内と宇宙空間を遮断するエアロック(気密室)で宇宙服を装着。服の中の低い気圧で「減圧症」にならないよう100%の酸素を吸った。
午後6時15分ごろ、まずスコット飛行士、続いて土井さんがエアロックを出た。宇宙空間にむき出しになった貨物室に出てしばらく体を慣らした後、同6時半すぎには衛星を据え付ける台の両わきに立ち、両足を固定した。
この間、ケビン・クリーゲル船長(41)は、コロンビアの軌道をいったん下げた後、上昇して接近。機体を微調整しながら、ほとんど回転していない衛星を土井、スコット両飛行士の間の幅約4メートルの空間に招き入れた。
午後8時9分、スコット飛行士の掛け声で土井さんは重さ約1トンの衛星を手で捕まえ、船上に確保した。《共同通信》