平成3180日目

平成9年9月22日(月)

1997/09/22

【佐藤孝行総務庁長官】辞任

佐藤孝行総務庁長官は22日午前、首相官邸で橋本龍太郎首相と会談し、国政混乱回避を理由に正式に辞表を提出、受理された。首相は後任に阪神大震災対策担当相を務めた旧宮沢派の小里貞利氏の起用を決定。同日昼の自社さ三党首会談では、政治倫理、企業・団体献金に関する与党協議機関設置で合意した。24日に初会合を開く。

この後記者会見した首相はロッキード事件で有罪が確定した佐藤氏の入閣について「私の判断で国政に混乱をまねいたことをおわびする。深く反省し不明を恥じる」と表明した。野党は首相責任を追求する方針で、行政改革や日米防衛協力のための指針(ガイドライン)見直し問題でも厳しい政権運営を迫られる。《共同通信》

民主党の鳩山由紀夫幹事長は22日の記者会見で、佐藤孝行氏の総務庁長官辞任に関し「辞めたからといって一件落着ではない。世論を無視する自民党のおごりがこれからも続く可能性がある」と指摘。

「自民党の体質が変わらないのに、社民、さきがけ両党が矛を収めることは信じられない。両党が自民党と決別する覚悟を持ちうるかが問われている」と述べ、社さ両党が閣外協力関係を解消するよう求めた。《共同通信》



【フジ系連続ドラマ・ビーチボーイズ】最終回

【京王帝都電鉄】値下げ申請

東京急行電鉄、東武鉄道、西武鉄道、小田急電鉄の関東私鉄大手4社は22日、平均1.9−8.5%の運賃値上げを運輸省に認可申請した。4社の値上げは、今年4月の消費税引き上げ分の転嫁を除くと平成7年9月以来。一方、京王帝都電鉄は平均9.1%の値下げを申請した。大手私鉄の運賃値下げは戦後初めて。各社とも今年12月28日から実施する予定。

今回の運賃改定は、ラッシュ時の輸送力増強の工事資金を前もって運賃に上乗する「特定都市鉄道整備積立金制度」の10年間の期限が、今年12月下旬で切れるため。期限切れで上乗せ分などを解消することになっているが、東急など4社は、輸送力アップを中心とした今後の設備投資に伴う金利負担などのコスト増から、値下げ要因を相殺して結果的に値上げとなった。京王は同制度による設備投資が終わり値下げする。《共同通信》

【政界談話室】

○・・・自民党の森喜朗総務会長は22日、橋本龍太郎首相が提案した小里貞利元地震対策担当相の総務庁長官起用に驚きを隠し切れなかった。しかし、加藤紘一幹事長らが黙り込む中、「複数ならともかく、首相が一人に絞ったのだから」と発言、小里氏起用の道筋をつくった。もっとも、党整備新幹線建設促進特別委員長である小里氏の起用について「北陸新幹線への追い風」と喜ぶ。総務庁長官は政府・与党検討委員会の政府側委員の一員であり、森氏にすれば、うれしい予想外の人事というべきか。

○・・・総務庁長官を22日辞任した佐藤孝行氏は、総務庁での記者会見の最後に、この間続いた自宅前での押し掛け取材について「孫が私の顔を見て『おじいちゃん何か悪いことしたの』という。私も人の子。ぐっと来た」「外で(報道陣が)物音を立てるから(孫が)食べものをもどす。悪いなあと思った」と、おん念まじりでマスコミに怒りの矛先。「終わったんだから。(取材は)今日限りにしてほしい」と会見室を後にしたが、辞任の原因となったロッキード事件への「反省」には触れずじまい。《共同通信》

【小渕恵三外相】国連・アナン事務総長と会談

小渕恵三外相は22日夕(日本時間23日早朝)、ニューヨークの国連本部でアナン国連事務総長と会談した。

アナン事務総長は、日本政府の政府開発援助(ODA)10%削減方針について「増大を期待していた。これまでのレベルが維持されるよう最善を尽くしてほしい」と述べ、ODA削減方針に強い不満を示した。外相は「日本は軍事的な貢献はできないのでODAが最も重要な貢献だと考えている」と説明しながらも「国連を重視し、支援に努力したい」と述べるにとどまった。

また、事務総長が示した国連改革案を基本的に支持する考えを表明した上で「改革全体をパッケージとして議論が進むよう期待したい」と述べ、財政改革だけでなく、安保理改革論議も進展させるよう要請した。事務総長は12月に京都で開かれる気候変動枠組み条約第3回締約国会議(COP3)について「大きな成果を期待している」と語った。《共同通信》

【横井庄一さん】死去

1972年、太平洋戦争の激戦地グアム島から奇跡的に生還した元日本兵の横井庄一氏が22日午後5時7分、急性心不全のため名古屋市中村区のJR東海総合病院で死去した。82歳。愛知県出身。

終戦から四半世紀以上も過ぎた72年1月、グアム島のタロホホ川付近で発見され、保護された。南洋の密林で耐久生活を続けていたことが、当時国内外を驚かせた。

翌月、2度目の応召で出征以来31年ぶりに帰国した際の羽田空港での第一声「恥ずかしながら生きて帰ってきました」は当時の流行語に。

その後、74年にはルバング島で元少尉小野田寛郎さんも見つかり、未帰還日本兵の存在がクローズアップされることになった。《共同通信》



9月22日のできごと