平成2947日目
1997/02/01
この日のできごと(何の日)
【在ペルー日本大使公邸占拠事件】
橋本首相、フジモリ大統領が会談
橋本首相とフジモリ・ペルー大統領は、1日午前8時半(日本時間同日午後10時半)から、カナダ・トロント市内のホテルで約1時間半会談し、日本大使公邸占拠・人質事件をめぐって協議した。この中で両首脳は、ペルー政府と犯行グループ「トゥパク・アマル革命運動(MRTA)」の予備的対話を早期に開始することで合意した。
また①保証人委員会の公式オブザーバーに日本を参加させる②テロリズムに屈しないとの決意を再確認し、事件の平和的解決と人質の早期全面解放に一層努力する③首相はペルー政府の取り組みに「全幅の信頼」を表明し、引き続きあらゆる支援を行うことを確認する–などで一致。両首脳は、この後、共同記者会見で、これらを盛り込んだ共同記者発表を行った。同事件は、両首脳が今後の対処方針を確認したことによって、新たな段階に入った。《読売新聞》
ゲリラ側、保障委への日本同席に同意
ペルーの日本大使公邸事件で、犯行グループのトゥパク・アマル革命運動(MRTA)の指揮官ネストル・セルパは1日午前、カナダ・トロントでの橋本・フジモリ会談を受けて、英テレビWTNと無線交信し、保証人委員会に日本がオブザーバーとして同席することについて、「何の問題もない」と同意したものの、ペルー政府側が交渉再開の要件としてゲリラ側に求めている服役メンバーの釈放要求撤回意志のないことを改めて表明するなど、強硬姿勢を崩さなかった。
交信でセルパは、「共同記者会見の出だしの部分では、大統領の発言にある程度思慮深さを感じた」として、「平和的解決」の追求や「予備的対話の開始」を好意的に受け取ったことを明らかにした。だが、大統領が服役中のメンバーを釈放しない、としたことについて、「我々が(この要求を)撤回することはありえない。したがって我々は現在の状態を続ける」と反発を示した。「対話」開始の条件に、同志釈放問題を議題として求めていく姿勢を改めて示した。《読売新聞》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
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【ナホトカ号重油流出事故】
漂着遺体はナホトカ号船長
越前町白浜海岸に先月26日に漂着した外国人男性の遺体はロシア船籍タンカー「ナホトカ」の船長であることが1日、遺族によって確認された。遺体は同日、遺族によって引き取られ、ナホトカ市へ向かうため新潟港へ運ばれた。《福井新聞》
油抜き取り15日連続中止
ロシアタンカー「ナホトカ号」の重油流出事故で第八管区海上保安本部は1日、ナ号沈没推定点となっている島根県隠岐島の北東140キロの重油流出点に巡視船4隻を派遣、8隻体制での監視に入った。漏出点ではこの日も漏出重油が長さ1.1キロ、幅200メートルの範囲で油膜となっているのが確認された。
船首部の座礁現場では油抜き取り作業ができず、15日連続の中止となった。《読売新聞》
【元大関・霧島】断髪式
昨年春場所限りで引退した大相撲の元大関霧島(37)(鹿児島県出身)の引退、年寄「錣山」襲名大相撲が1日、両国国技館で行われた。
小さな体ながら怪力でならし、大関陥落後もひたむきな土俵態度が共感を呼んだ人気力士とあり、館内は1万1000人とほぼ満員。
後援会関係者ら280人がはさみを入れた断髪式では、「涙を見せないようにしようと思った」という霧島だが、親友でライバルだった小錦や、先代・井筒親方(元関脇・鶴ヶ嶺)の番になるとたまらずポロリ。ハンカチで目元をぬぐう霧島の大イチョウを師匠の井筒親方(元関脇逆鉾)が切り落とすと、館内は大きな拍手に沸いた。
その後、髪を整えた錣山親方は「頭が軽くなったけど複雑な心境です。力士は一人一人タイプが違うので、その人に合った指導をしていきたい」と話した。《読売新聞》