平成2724日目
1996/06/23
この日のできごと(何の日)
【 NINTENDO64】発売
任天堂は23日、新型ゲーム機「NINTENDO64」を全国で発売した。東京や大阪の電器店街では買い求める若い人たちの長い行列もでき、人気の高さを示した。ゲーム機市場で苦戦しているため、この新製品で巻き返したい考えだ。
任天堂がこの日売り出したのは、高性能コンピューター並みの64ビットの中央演算処理装置(CPU)を頭脳部分に持つ次世代ゲーム機。現在主流の32ビットゲーム機よりも画像処理能力が優れていることが売り物で2万5000円。《共同通信》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
情報量が少ない日は随時加筆中です。
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外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)
古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。
【沖縄県】慰霊の日
沖縄県は23日、「慰霊の日」を迎え、約20万人の死者を出したとされる51年前の沖縄戦の犠牲者を悼み、平和を願う「沖縄全戦没者追悼式」(県主催)が昼前から糸満市摩文仁の平和祈念公園で行われ、遺族ら約5000人が参列した。
大田昌秀知事は「戦没者の犠牲の重さを踏まえて、県民の伝統的な平和愛好の心を国内外に広げ、恒久平和の確立に寄与することを誓う」とあいさつ。また「平和宣言」を読み上げ、この中で基地問題に触れ「普天間飛行場の返還など解決のきざしは見えてきたが、なお多くの課題が残されている。21世紀に向け、若者が夢と希望の持てる『基地のない平和沖縄』をつくることを決意する」と述べた。《共同通信》
【新党さきがけ・鳩山由紀夫代表幹事】細川氏に期待
新党さきがけの鳩山由紀夫代表幹事は23日午前、フジテレビの番組で、新党問題に関連して新進党の細川護熙元首相との関係について「細川氏は新進党で新たな流れを起こすことのできる人だ。新たな流れに身を投じる姿を見せていただければ共感を覚える」と述べ、細川氏の行動に期待感を表明した。
また同番組で自民党の小泉純一郎氏は「鳩山新党」の旗揚げの時期について「9月いっぱいが限度だ。できないと国民から失望感が出てくる」と指摘した。同時に「新党をつくるということは連立政権を離れるということだ。旗揚げによって衆院解散になる」との見方を示した。《共同通信》
【橋本龍太郎首相】韓国・金泳三大統領と会談
橋本龍太郎首相は23日午前、韓国・済州島のホテルで金泳三大統領と会談し、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)情勢が流動的との判断から、日米韓3国が協調して北朝鮮問題に対処することで一致した。
朝鮮半島の安定のための南北朝鮮と米中による「四者会談」構想の実現に全力を挙げる方針も確認した。サッカー2002年ワールドカップ(W杯)の日韓共催を契機に、未来志向で両国関係を発展させることでも合意。これに先立つ朝食会で、首相は日本周辺海域の韓国漁船の違法操業を厳重に取り締まるよう要請、大統領は対応を約束した。
日韓首脳は少人数の朝食会と池田行彦、孔魯明日韓「両外相らも出席した首脳会談を行った。
首相は朝鮮半島の平和と安定に向けて「韓国の努力を引き続き支持し、日本も役割を果たしたい」と発言。北朝鮮への緊急支援に関連して「食糧難は農業分野の構造的な後進性に起因しており、この観点から対処すべきだ」として、将来的には農業技術提供などもテーマになるとの認識で一致した。《共同通信》
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橋本龍太郎首相と金泳三大統領は23日、済州島のホテル庭園で行われた共同記者会見終了後、それぞれがサッカーボールにサインをして交換、日韓友好とサッカーの2002年ワールドカップ(W杯)日韓共催成功への努力を誓った。
記者会見では韓国人記者から橋本首相に、歴史認識や従軍慰安婦問題への考え方について質問が出るなど、両首脳は日韓間に依然残る「過去の重み」を背負いながら、2002年へ向けてのボールを交換した。《共同通信》
【ローマ法王】ブランデンブルク門を訪問
東西ドイツ統一後、初めてドイツを訪問したローマ法王ヨハネ・パウロ二世は23日午後、首都ベルリン中心部のブランデンブルク門をコール首相とともに歩いてくぐり、数万人の市民の歓迎を受けた。
かつてベルリンを東西に分断していた「ベルリンの壁」は門のすぐそばにあった。門で法王は「ブランデンブルク門は、自由に通じる門となった」と集まった市民に訴えた。法王は同日朝ベルリンに到着後、ブランデンブルク門を訪れ、3日間のドイツ訪問を終えた。《共同通信》
【島桂次さん】死去
前NHK会長の島桂次氏が23日午前5時32分、急性呼吸不全のため東京都板橋区の病院で死去した。68歳。栃木県出身。
東北大卒。昭和27年、NHK入局。報道局長、専務理事、副会長を歴任、平成元年に会長就任。記者時代には池田勇人、大平正芳、鈴木善幸各元首相らとも近かった。昭和49年、話題となった「ニュースセンター9時」やその後の「NHK特集」のスタートに参画した。
独自に調達した放送衛星の相次ぐ打ち上げ失敗と、それに続く衆院逓信委員会での虚偽答弁が問題化し、平成3年夏、任期途中で会長を辞任した。《共同通信》