平成2556日目

1996/01/07

この日のできごと(何の日)

【岡本太郎さん】死去

前衛芸術のパイオニアとして知られる洋画家の岡本太郎氏が7日午後3時32分、急性呼吸不全のため東京都新宿区の病院で死去した。84歳。川崎市出身。葬儀・告別式は故人の遺志により行わず、お別れ会を予定しているが日取りなどは未定。

数年前に十二指腸かいようのため入院、その後パーキンソン病で歩行が困難になっていたが、最近まで元気に過ごし、突然の死だった。平成3年に自作約350点を川崎市に寄贈、同市で岡本太郎美術館の建設計画を進めていた。広島市現代美術館で「岡本太郎展」が28日まで開催中。

漫画家岡本一平と小説家かの子の長男。東京美術学校(現・東京芸大)を半年で中退し、昭和4年両親とともに渡欧した。パリ滞在中はピカソに感銘を受け、カンディンスキーらの「抽象創造」グループに最年少メンバーとして参加。しかし抽象芸術に飽き足らず、新具象主義を提唱。第二次大戦前の緊迫した時代状況を鮮やかに描き出した「傷ましき腕」などの代表作を生んでいる。

パリ大学で哲学、民族学などを学んだ後、昭和15年帰国、二科会に参加。戦中は中国を転戦した。

戦後は対極主義を唱え、日本の惰性的文化状況に挑む前衛的な姿勢を貫いた。23年花田清輝らと「夜の会」を結成、同時に「20世紀芸術研究会」を主宰して芸術活動の震源地的役割を果たし、「重工業」「森の掟」など話題作を次々と発表した。また旧都庁舎などの壁画を積極的に手掛ける一方、縄文土器論を展開するなど、運動家としての活動が顕著だった。

36年の二科会退会後はモニュメントから家具やメダルのデザインまで活動範囲を広げ、特に45年の大阪万国博の「太陽の塔」は大きな話題を呼んだ。その後も科学万博、こどもの城など各地にモニュメントを制作。テレビでも活躍し、「芸術はバクハツだ」などの流行語を生んだ。《共同通信》

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【NHK大河ドラマ・秀吉】放送開始

【大相撲初場所】初日

大相撲初場所初日(7日・両国国技館)横綱昇進を目指す大関若乃花と、横綱曙に早くも土がついた。若乃花は平幕水戸泉の巨体を生かした寄り倒しに敗れ、曙は攻め込みながらやはり平幕の貴闘力の取ったりに不覚を取った。貴闘力は6個目の金星。

横綱貴乃花は小結武双山を取ったりで下し、大関武蔵丸は新小結土佐ノ海を豪快に押し出した。大関貴ノ浪も琴の若を寄り切って白星発進。関脇魁皇は琴稲妻を力強く押し出したが、琴錦は三杉里にはたき込まれた。《共同通信》

【全国高校ラグビー】

第75回全国高校ラグビー大会最終日は7日、東大阪市の花園ラグビー場で決勝を行い、大工大高(大阪第1)が決勝での最多得点記録となる50−10で秋田工(秋田)に快勝し、7大会ぶり2度目の優勝を飾った。大阪府勢の優勝は第71回大会の啓光学園以来で8度目。

西のAシード、大工大高は前半2分、密集から左オープンに展開し、CTB坂倉が右中間に先制のトライ。その後も、相手ディフェンスの甘さをついて積極的に攻撃を仕掛け、5トライの猛攻で前半31−0と大きくリード。後半も3トライを重ねた。

準決勝で東のAシード、相模台工(神奈川)を破った秋田工だが、展開力に勝る大工大高の前にFWの集散が悪く、後半、2トライを返すのがやっとだった。《共同通信》

【サッカー・全国高校選手権】準決勝

サッカーの全国高校選手権第5日は7日、東京・国立競技場で準決勝2試合を行い、静岡学園(静岡)と鹿児島実(鹿児島)が8日の決勝に進んだ。静岡学園は19年ぶり2度目、鹿児島実は5年ぶり2度目の決勝進出でともに初優勝を目指す。

静岡学園は後半33分に久保田が先制点。終了間際に1−1の同点とされたが、PK戦の末、東福岡(福岡)を下した。鹿児島実は1点を先行されたが、前半終了間際に豊東、木下の連続ゴールで逆転、2−1で初芝橋本(和歌山)に競り勝った。《共同通信》

【神戸市】プロスポーツ選手が被災地訪問

プロゴルフ賞金王の尾崎将司さん、プロ野球日本一のヤクルトの古田敦也さんをはじめ、プロスポーツ界を代表する96人が7日、神戸市中央区のポートアイランドを訪れ、阪神大震災で被災した小中学生約3000人と一緒に炊き出しやゲームなどで一日を過ごした。

会場の一つの市立港島小学校では、午前10時ごろから、元阪神の真弓明信さんら28人が1300人の子供らとじゃんけんのゲームを楽しんだ。午前の部最後に、同小3年の女の子が「早く神戸が元通りになるように頑張ります」とあいさつ。選手代表の西武の清原和博さんは「逆にみんなの元気な顔に励まされた。頑張って神戸をいい街にしてください」と激励した。

午後の部では、選手全員が近くのホールで子供らとミニサッカーやドリブル競走などをした。《共同通信》

【与党3党】連立維持で合意

与党3党は7日夜、都内のホテルで幹事長・書記長と政策担当者の合同会談を開き、連立政権維持の基礎となる新たな3党合意を決定した。8日には3党首会談を開き、首相指名選挙の与党統一候補として橋本龍太郎自民党総裁を正式決定。11日の臨時国会で橋本新首相が誕生する。《共同通信》

【新進党・小沢一郎党首】「解散・総選挙を」

新進党の小沢一郎党首は7日昼、大阪市内のホテルでの講演と記者会見で、平成8年度予算の年度内成立を前提に、解散・総選挙を3月中に実施すべきだとの考えを明らかにした。解散で政治空白をつくるべきでないとの与党側の主張に対しては「経済うんぬんの与党側の論理は解散を引き延ばすための、政権(維持)だけが先行している政権の姿を自ら語っているに等しい」と批判。

その上で①11日召集予定の臨時国会で解散したとしても2月中に総選挙の結果を出し、3月に予算案を審議して成立させることができる②2月までに予算を成立させて3月に総選挙を実施する−のいずれかの方法で、予算の4月執行に支障はないと提案。「憲政の常道として、ここは一度国民の判断を仰ぐべきだ」と強調した。

小沢氏は「予算(成立)を大幅に遅らせたり、国会審議を意図的に引き延ばすことは野党もやってはいけない。いい予算を4月1日から執行できるよう協力することはその通りだ」と述べた。《共同通信》

【米国東部】猛吹雪

ワシントンなど米国東部一帯は7日、数十年ぶりの猛吹雪に見舞われ、空港の閉鎖や道路網の遮断など首都周辺の交通・生活はまひ状態となった。西バージニア州など4州で非常事態令が出され、州兵が出動、救援活動に当たっている。降雪は8日朝(日本時間同日深夜)まで続く見込みで、週明けの米政府機能は事実上閉鎖状態になることになった。

6日夜から降り始めた雪はワシントンで7日夜までに約35センチに達した。最大風速50メートルの暴風が吹いており、ナショナル空港など首都の空港は視界が極めて悪くなったこともあり閉鎖された。共和党議会と予算編成をめぐり対立を続けているクーリントン大統領は7日、日曜返上で議会側と協議することになっていたが、これも雪で中止になった。この日、パリでのパレスチナ支援閣僚会議に出席のためワシントンをたつ予定だったクリストファー国務長官も出発を延期した。

各地の道路は積雪で通行が難しくなり、ショッピングセンターも軒並み閉鎖されるなど市民は家から出られない状況になっている。積雪は80センチ近くに達するとの予報も出され、1922年1月に71センチを記録した首都の降雪記録を抜く可能性も出ている。

予算対立で昨年末から続いていた連邦政府窓口の一時閉鎖は、6日の大統領と共和党との妥協成立により8日から月末まで解除され、政府機能は正常化することになった。しかし、8日の連邦政府省庁は雪で職員が通勤ができないため閉鎖される恐れがある。

横殴りの吹雪に「白いゴーストタウン」と化したニューヨークの目抜き通り。首都ワシントンでも、いつもは観光客でにぎわう議会周辺から人影が消えた。数十年ぶりの猛吹雪に見舞われた7日の米東部一帯。突然の白魔の襲来に市民生活は大きく混乱した。

ワシントンでは、1時間に2.5センチのペースで雷が積もった。大統領官邸のホワイトハウスは文字通り真っ白に雪化粧。多くの市民が家に引きこもり、議会周辺も人影がない。クリントン大統領は家族とともに近くの教会に出掛けたが、それを追うテレビのカメラマンが、凍った雪道に足をとられ立ち往生する一幕も。空港の閉鎖でドール、グラム両上院議員は大統領選挙の地方遊説に出られず、中止を余儀なくされた。

49年ぶりの猛吹雪となったニューヨーク市では、横殴りの雪が吹き荒れた。観光客でにぎわう中心部、ロックフェラーセンターのスケート場は「休業」、すっぽりと雪に覆われたセントラルパークを訪れる人もわずかだった。

一方、突然の猛吹雪で犯罪の発生はぴたりとやんだ。ニューヨーク市警のスポークスマンは「6日の未明から殺人、強盗事件は一件も起きていない」と話した。《共同通信》



1月7日 その日のできごと(何の日)