平成1804日目

平成5年12月16日(木)

1993/12/16

【田中角栄さん】死去

政権の座から一転してロッキード事件裁判の被告席に立たされ、戦後保守政治に特異な足跡を残した元首相の田中角栄氏が16日午後2時4分、甲状腺機能障害による肺炎併発のため東京・信濃町の慶応大病院で死去した。75歳。新潟県出身。

元首相は困難な日中国交回復を実現するという功績の一方で、政治を選挙民や圧力団体などの利益を重視する利益誘導型として完成させ、「数は力なり」の派閥力学を前面に出した「田中支配政治」を推し進めた。田中型政治はその後の自民党実力者らが継承、リクルート、佐川急便事件などのスキャンダルを次々と呼び起こし、自民党政権崩壊にもつながった。38年ぶりの政権交代が実現した中での元首相の死は戦後政治の転換点を一層印象付けた。

元首相の死去によりロッキード裁判「丸紅ルート」上告審を担当する最高裁大法廷は、近く元首相の公訴を棄却する決定をする。

元首相は、昭和22年の衆院選で初当選以来、16回連続当選。32年には39歳の若さで岸内閣の郵政相として初入閣。持ち前の鋭いカンと、行動力で頭角を現し、自民党政調会長、蔵相、幹事長、通産相の要職を歴任。池田、佐藤の両政権を支えて党内の地歩を固めた。47年7月の総裁選では、福田赳夫氏(元首相)をし烈な争いの末に破り戦後首相としては最年少の54歳で政権を手中に収めた。この時の角福間の怨念がその後、党内政争の軸となって長く尾を引いた。

外交面では、首相就任後間もなく北京を訪問し、長年の懸案だった日中国交回復を実現。翌48年10月には訪ソし、ブレジネフ書記長(当時)と渡り合って共同声明で北方領土問題を「戦後未解決の問題」と確認させるなど成果を上げた。

内政では、大胆な発想に立って提唱した「日本列島改造論」が大反響を呼び、自民党安定政権づくりを名目に小選挙区制を強引に導入しようとして「カクマンダー」と批判された。49年夏の参院選敗北に続き、「田中金脈」が表面化し、就任後2年余で退陣に追い込まれた。

51年7月には戦後最大の疑獄・ロッキード事件の主役として逮捕され、自民党を離党。「首相の犯罪」は各界に強い衝撃を与えるとともに、党内にも大きな混乱を引き起こした。外為法違反と受託収賄罪で起訴後、58年10月に一審の東京地裁で懲役4年、追徴金5億円の実刑判決。62年7月、二審の東京高裁でも控訴棄却の判決を受け、最高裁に上告中だった。

しかし事件後も、しばらくは党内最大実力者として政局運営を牛耳り、大平、鈴木、中曽根政権誕生でほキングメーカーぶりを誇示した。

60年2月、竹下登氏(元首相)による“派中派”とも言える「創政会」の発足を許すなど、影響力に陰りが見え始めた矢先、病に倒れた。62年7月の竹下派旗揚げで、最大派閥の田中派は崩壊。11月の竹下政権発足で事実上、田中時代は終えんを迎えた。

60年2月、脳梗塞で倒れ、療養に専念していたが、国会に一回も登院できないまま、平成2年2月の総選挙に出馬せず政界を引退した。

河野自民党総裁 自民党の河野総裁は16日、田中元首相の死去について「人間味のある、まれにみる先見性と行動力のある政治家で、特に日中国交回復など多くの実績を残された。わが国の政治に多大の影響を与え、戦後の一時代を画した。誠に惜しい方を亡くした」とのコメントを発表した。

細川首相が談話 細川首相は16日夜、田中元首相の死去について次のような談話を発表した。

田中角栄氏は、わが国が時代の大きな転換期を迎え、石油危機のぼっ発など内外ともに極めて多難な情勢の下にあった時期に首相の重責を担われた。昭和47年以来2年5カ月の在任中、日中国交正常化の実現という歴史的な偉業を成し遂げられ、また、国土の均衡ある発展に尽くされたのをはじめ、「決断と実行」の政治を旗印に、豊かな発想と抜群の行動力をもって、果断に政策を打ち出され、世界の平和と安定、国民生活の向上のために大きな業績を残された。

私は、この傑出した才能と庶民的な人情味によって敬愛された政治家の訃報に接して深い悲しみを禁じ得ない。ここに、国民の皆さまとともに心から哀悼の意を表する。《共同通信》



【新生党】重苦しい空気包む

田中元首相死去の報に、自民党旧田中派の流れをくむ新生党内には16日タ、重苦しい空気が流れた。党首の羽田外相をはじめ、幹部はそろって田中氏の薫陶を受けた昭和44年の衆院当選組。いずれも田中派分裂で田中氏とたもとを分かっただけに、表情は複雑だった。

羽田氏は「寂しい。ユニークな物の見方をし、人情家だった。体中で政治をやった人だった」と語った。田中氏から実の息子のようにちょう愛された小沢代表幹事は「田中先生の教えをかみしめ、政治家としてこれからの日本のため全力を尽くすことがご恩に報いる唯一の道だと思っています」との談話を発表した。渡部同代行も「悲しい。私の政治家としての心の支えを失ったような気持ちだ」と述べた。《共同通信》

【プロ野球・日本ハム】高木豊内野手の入団を発表

日本ハムは16日東京・六本木の球団事務所で、横浜を自由契約となっていた高木豊内野手(35)と契約し、入団を発表した。支度金などの名目で1000万円、年俸は6000万円、背番号は16に決まった。

高木は短く刈り込んだ頭で会見し「晴れ晴れとした気分です」と、めりはりの利いた口調で話し始めた。日本ハムの印象について「12球団で一番熱く燃えているチーム」と言い「優勝という目標がはっきりしているし、自分も貢献したい」と、決意を口にした。(金額は推定)《共同通信》

【自民党】3議員が離党

臨時国会の会期延長問題で、衆院本会議欠席の自民党の党議に反して衆院本会議に出席賛成した笹川堯、大石正光、石破茂の3氏(いずれも渡辺派)は16日午前、河野総裁あての離党届を提出した。当面無所属で活動するとしている。

3氏と同一行動を取った西岡武夫元総務会長も離党の方向。3氏は政治改革法案の政府案採決の際にも党議に反して賛成し、笹川、石破両氏は役職停止3年、大石氏は同じく6カ月の処分を受けていた。《共同通信》

自民党河野執行部が国会の会期延長問題で本会議欠席という強硬戦術を選んだことは、16日、石破茂氏ら政治改革推進派の若手3議員の離党を引き起こした。石破氏らは6月の宮沢内閣不信任案への同調以来、党内のかく乱要素だっただけに、執行部内には「不純分子の除去ができ、河野総裁の求心力も確保できた」(幹部)というプラス面を強調する見方もある。改革派の内部にも、「今党を出ても説得力がない」(三塚派若手)と、3氏との戦術的な違いを指摘する意見が強い。

とはいえ、改革派リーダーの西岡元総務会長も行動を共にして離党する意向とされ、党内の動揺はなお続く見通しだ。

河野総裁、森幹事長ら執行部は本会議欠席を決定する際、造反議員がどのくらい出るかと最後まで頭を痛めた。しかし各派が申し合わせてメンバーを締め付けたため、出席者は4人にとどまり、胸をなで下ろしている。特に、11月の政治改革法案の採決時には改革派の拠点となった政治改革推進議員連盟(会長・海部元首相)が、今回は景気対策優先の党方針に配慮して造反活動を自重したことも執行部に有利に働いた。

しかし、参院での法案審議の展開次第では、再び改革推進ムードが勢いを増し、執行部が連立与党側との妥協の決断を迫られる局面もありそうだ。《共同通信》

【山陽新幹線・のぞみ】モーター破損

16日午後1時46分ごろ、兵庫県高砂市の山陽新幹線を走行中の博多発東京行きのぞみ14号で、台車の異常を知らせる運転台のランプが点灯し、緊急停車した。JR西日本は同列車を最寄りの姫路駅までバックさせ、同駅で運転を打ち切った。乗客約600人は姫路駅から後続のひかりなどに乗り換えた。

JR西日本が車両を調べたところ、5号車の台車にあるモーターの一部が破損しているのが見つかった。走行中にのぞみのモーターが破損したのは初めて。同社は問題の台車を博多総合車両所に送って詳しい原因を調べるとともに、「前例のないケース」と重視して、のぞみ全車両の緊急点検を指示した。

JR西日本によると、モーターの軸を支える円形のふた(アルミ製)の取り付けボルト8本がいずれも折れたり、なくなったりして、ふたが外れかけていた。また、このふたがモーター軸とともに回転して車軸に接触した跡もあった。

このモーターは15日夜の点検では異常がなく、同社はのぞみ14号として運転中にふたの内部のベアリング部分で異常が発生して破損、モーター軸の回転が不規則になり破損が各部に広がったとみている。のぞみ14号は広島駅近くを走行中、床下から異常音が続い、たため、新大阪駅で車両を交換する予定だった。

山陽新幹線上り線は姫路ー西明石間が1時間半にわたって不通になり、上下計10本が運休や部分運休、39本が最高1時間40分遅れ、約1万5000人の足が乱れた。《共同通信》



12月16日のできごと