平成1598日目

1993/05/24

この日のできごと(何の日)

【カンボジア総選挙】ポル・ポト派、南部でも襲撃

全国で有権者150万−200万人が投票するなど、初日は順調な滑り出しをみせたカンボジアの総選挙は24日、投票2日目を迎えた。 選挙阻止を叫ぶポル・ポト派は、これまで目立った動きを見せていなかった南部カンポート州などで投票所を襲撃するなど依然予断を許さない情勢が続いている。 国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)報道官は未確認としているが、23日は全土で少なくとも3人の民間人の死者が出ており、引き続き厳戒下の選挙となっている。 24日は、プノンペン政権のフン・セン首相(人民党)が出身地の大票田、中部コンポンチャム州入りし、一票を投じる。

投票初日、ポト派の妨害行為はカンポート州に集中したものの、これまで同派部隊の増強が伝えられていた中部コンポントム州での動きはなく、北西部バンテイミエンチェイ州でも3件の威嚇砲撃にとどまった。 しかし、コンポントム州の住民の間では、2日目以降のポト派の攻撃に対する不安が広まっている。同州バライ郡の日本人文民警察官も、夜間はインドネシア部隊施設内のざんごうで寝泊まりするなど、緊張が続いている。 プノンペン政権軍事筋などによると、コンポントム州の国道4号は既にボト派支配下に入っており、いつ本格攻勢があってもおかしくない情勢という。

タイ国境に近いカンボジア北西部のポイペトで24日午前9時(日本時間同11時)すぎ、2発の砲弾が撃ち込まれ、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)施設内にある投票所から、それぞれ約1キロ離れた林などに着弾した。けが人はないもよう。《共同通信》

国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)報道官は24日夜、2日間で最低300万人が投票。首都プノンペンでの投票率は70%に達した」と発表。全国の投票率も60%を超え、明石UNTAC代表が「成功」の目安としていた70%に迫る勢いであることを明らかにした。

同日も、中部コンポンチャム州、北西部シエムレアプ州などで投票所近くへの砲撃で死傷者が出て、投票所数カ所が閉鎖されるなどしたが、ポル・ポト派の大規模攻撃による大きな混乱はなかった。《共同通信》

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【ポル・ポト派】逃げたら家族皆殺し

「わずかの食事と一日2時間の睡眠しか与えられず、100キロの道をロケット砲を運ばされた」ー。カンボジアのポル・ポト派に強制連行され、今月2―3日のシエムレアプ市攻略戦に武器運搬に駆り出され、プノンペン政権軍に捕まった農民が24日夕、同市内の刑務所で共同通信に対して当時の様子を語った。

シエムレアプ州東部のスレンコン村に住む農民のパト・レンさん(23)は3月11日夜、家に押し入ってきたポト派兵士に強制的にジャングル内の基地に連行。

基地には約100人の兵士がおり、レンさんや同様に連行された農民は基地内には、入れなかった。4月24日、レンさんを含む農民10人は兵士40人に連れられて基地を出発。農民は全員がロケット砲を運びながらジャングル内を昼も夜も歩かされ、一日2時間の睡眠しか与えられなかった。

兵士たちは行く先々で民家を襲って食糧などを調達、農民には「逃げると家族を皆殺しにする」と脅し続けたという。

出発して10日後、シエムレアプに着いた。兵士らは武器を置く場所を指示して農民だけをまず市内に向かわせ、自分たちは街の入り口で待機した。市内では既に、他のポト派部隊と政権軍の戦闘が始まっており、レンさんは武器を置いて戻る途中、流れ弾が肩に当たって負傷、政権軍に捕まった。

レンさんは「強制徴用されてから少しの食糧しか与えられず、つらかった。兵士たちは移動中、無線で盛んにやり取りしていたが、内容は聞き取れなかった。早く家に帰りたい」と話していた。

ポト派部隊約300人は2日深夜から3日未明にかけて同市を激しく攻撃、一時は空港を制圧した。この戦闘で双方の兵士や住民計20人が死亡、多数が負傷した。《共同通信》

【宮澤喜一首相】カンボジアPKO「犠牲出れば休止も」

宮澤首相は24日午後の衆院予算委員会で、カンボジアで日本人派遣要員に新たな犠牲が出た場合の対応について「これ以上任務を行えないような状況が起これば、引き揚げることはないが任務の中止と判断せざるを得ないことがあるかもしれない」と述べ、国連平和維持活動(PKO)任務の一時休止の可能性に言及した。

社会党の目黒吉之助氏に対する答弁。目黒氏が犠牲者が出た場合の政治責任をただしたのに対し、首相は「部隊、要員の諸君にどうあってもらうか、(一時休止を)決断するか、しないかをきちんとすることが私の責任」と説明した。

首相は自衛隊部隊の武力行使に関し「国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が、例えばポル・ポト派のような(和平努力に対し)妨害に出てくる勢力に、武力を持って対抗すると決断すれば、わが国の要員がこれに協力する義務はない」と述べ、任務遂行のための武力行使には参加しないと強調した。

首相は衆参同時の選挙制度改革について「衆院改革と参院改革が無関係に処理されることがあってはならないという議論はもっともだ」としながら「時間の問題として同じ時期から新しいもの(制度)を行わなければならないと言うのは現実的ではない」と述べた。

河野官房長官は小選挙区比例代表連用制について「恐らく大勢の方にとって分かりにくいだろうと思っている」と、評価しない姿勢を示した。

この日午後の質問者は目黒氏のほか社会党の元信尭、関晴正、公明党の日笠勝之、石田祝稔の各氏。《共同通信》

【政界談話室】

○…宮澤首相は24日、大相撲千秋楽の貴ノ花と曙戦の感想を国会内で記者団に聞かれ「同じ星で当たって、両方ともああなるとつらいな」と、ライバル二人の気持ちをおもんばかった。貴ノ花とは、負けが先行し苦戦した初場所後に会ったことがあるせいか「あの人はあの時偉かった。あれだけ負けていたのに勝ち越したんだから」と持ち上げ、すぐに「つらいな」と曙に対してもしっかり気遣い。首相の立場を考え「不偏不党」を貫いたようだが、日米関係が厳しさを増しているとあって「対米配慮か」と勘ぐる声も。

○…この日、三塚政調会長は党本部でロシア改革派のガイダル前首相代行と会談。「国鉄改革に注目している。(成功の)ノウハウを聞かせてほしい」と質問を受けると「これも保守派との戦いだった。野党だけではなく自民党の中にも強い反対があった」といかに困難な仕事だったかアピール。さらに「周到な準備、戦略、断固たる意思。この三つがそろった時に、党内の保守派も納得し中道野党の賛成が得られた」と思い入れたっぷりに説明。「改革派」を自認する三塚氏だけに、展望が開けてこない政治改革でも「夢よもう一度」の決意の表れか。《共同通信》

【社会党・山花委員長】野党党首会談を提唱

社会党の山花委員長は24日午後、京都市内のホテルで記者会見し、政治改革について「第一段階として野党党首で決意を確認し合った上で、そろって自民党に対して会談を要求したい」と述べ、公明、民社、社民連、民主改革連合、日本新党の各野党に対して今週中に党首会談を開くよう提唱、野党が一致して宮澤首相に政治決断を求めていく考えを表明した。

山花氏は選挙制度改革の合意づくりに関して、「(小選挙区比例代表)連用、(同)併用制を軸にして調整を図ることが可能だ」と述べるとともに、自民党内の一部で出ている、一昨年に廃案となった小選挙区比例代表並立制には応じない考えを明確に表明した。

山花氏は「自民党一党支配を打破するチャンスが与えられている」として、連立政権準備会の結成を提案。新選挙制度を前提に300人の共同候補者の擁立を目指し、共産党を除く野党間の選挙協力も呼び掛けた。

一部で出ている国会の会期延長論については「今国会で仕上げる」としながらも「政治改革(の議論)がある程度進んで、ここまで会期を延長すれば大丈夫ということなら議論の対象になる。継続審議は考えていない」と述べ、政治改革法案成立のめどが立った上での、短期の延長には理解を示した。《共同通信》

【雲仙・普賢岳】火砕流頻発

長崎県島原市は24日、雲仙・普賢岳の火砕流が北東側の千本木地区に頻発しているため、同地区の一部を同日正午から立ち入り禁止の警戒区域に指定した。同地区には一昨年8月に警戒区域に指定されてから徐々に規制が緩和されていたが、再び警戒区域に指定する措置は普賢岳の噴火災害で初めて。

警戒区域になったのは、島原市北千本木町の一部と南千本木町の大半の計84世帯328人。また両町の残る地域全域や上折橋町の一部計122世帯495人を再び避難勧告地域に指定した。指定期間は6月30日正午まで。《共同通信》

【韓国・金泳三大統領】軍首脳を電撃更迭

韓国の金泳三大統領は24日、1979年に当時国軍保安司令官だった全斗煥・元大統領や第九師団長だった盧泰愚前大統領らが軍の実権を握った「12.12事件」に関与するなどした李弼燮合同参謀本部議長ら軍首脳3人の電撃的更迭を決めた。また、将官昇任人事をめぐる贈収賄事件に絡み金鐵宇海軍参謀総長の辞表を受理した。

李議長は現役軍人のトップで、当時第九師団第二十九連隊長として盧前大統領の直属の部下だった。金大統領が今年3月、任期途中の陸軍参謀総長を突然更迭したのに続く決断で、韓国政治史上、強大な権力を振るってきた軍部に対する文民統制を確立させる狙いとみられ、25日の閣議で正式発令する。

大統領スポークスマンは、今回の更迭について「韓国憲政史に汚点を残してきた軍の政治介入を防ぎ、軍が国土防衛の神聖な任務だけを遂行するようにし、軍の統帥体系を確立するためだ」と説明した。

更迭されるのは、李議長のほかに、陸軍第二軍の金鎮渲司令官と安秉浩副司令官。金大統領は後任の合同参謀本部議長に李養鎬空軍参謀総長を内定、第二軍司令官には朴世煥教育司令官を大将に昇進させて任命する予定。

「12.12事件」は朴正熙元大統領暗殺直後の79年12月12日に全元大統領や盧前大統領ら軍の少壮派が陸軍参謀総長らを逮捕して軍の実権を奪った“クーデター”。今月上旬、事件の評価が政治争点化した際、金大統領は「下克上のクーデター的事件」として非合法行為と規定しており、今回の人事はこれを受けたものと言える。《共同通信》



5月24日 その日のできごと(何の日)