平成1375日目
1992/10/13
この日のできごと(何の日)
【カンボジアPKO】本隊が出発
カンボジアでの国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊施設大隊の最後の派遣部隊となる本隊376人が13日午前10時、愛知県の航空自衛隊小牧基地からチャーターした日本航空のジャンボ機でカンボジアに出発した。これで派遣大隊600人全員が、カンボジア入りすることになり、PKO活動は本格的に始動する。
出発式では魚住汎英防衛政務次官が「今回の仕事は歴史的意義を持つものです。健康に留意し任務をまっとうして下さい」と励ました。《読売新聞》
◇
国際貢献への重い責務を担って13日、自衛隊派遣施設大隊の本隊376人がカンボジアに向けて飛び立った。いよいよ、動き出すカンボジアでの国連平和維持活動(PKO)。現地では、酷暑や不発弾の発見、予想外の事態に悩みながらも、今月末の本格工事開始に向けて、先遣隊による受け入れ準備が進んでいる。一方、国内では本隊出発に合わせて、自衛隊派遣反対派グループの反対行動がヤマ場を迎え、愛知県などで過激派によるゲリラ事件も続発する中での本隊出発となった。
376人の派遣隊はこの日早朝、反対行動などの乱を避けて小牧基地に入った、同基地には家族や同僚ら1500人が見送りに訪れ、午前8時過ぎから、基地内の格納庫で別れの時過ごした。恋人と見つめ合う隊員、「元気で」と手を握る妻、子にほおずりして別れを惜しむ隊員。それぞれに決意と不安を胸に秘めての出発となった。
愛媛県から駆けつけたという陸士の父親(47)は「息子はまだ18歳。去年入隊したばかりなので、派遣には驚いているが、無事に任務を果たして欲しい」と話していた。中松博文・二中隊長(32)の父親で元自衛官の文夫さんは「(派遣は)大変うれしい。いまは私たちの時代と違って資材も整っているし、安心して働けるとう」と息子の手を固く掘りしめていた。
隊員たちは、午前9時半から整列して真っ白い機体のジャンボ機へ。いよいよ離陸にかかると、見送る人たちはハンカチで目頭を押さえながら、手を振っていた。
一方基地周辺では、派遣反対や阻止を叫ぶ市民グループ、過激派ら約2000人が抗議行動を繰り広げた。基地正門では、機動隊約30人がガード。前夜から座り込みを続けた反対派学生らとにらみ合う中、午前7時すぎから過激派のグループが「海外への自衛隊派遣反対」などと書いた横断幕を掲げ次々とデモ行進。「PKOは侵略だ」などとシュプレヒコールした。
抗議行動は昼過ぎまで続き、ジグザグデモをする学生と、制止しようとする機動隊員の間で小ぜり合いが数か所で起きた。また、正面ゲート前の道路に約300人の反対派が1時間以上にわたって座り込んだ。《読売新聞》
◇
カンボジアでの国連平和維持活動(PKO)に参加す自衛隊派遣施設大隊の本隊376人が、13日午後1時24分(日本時間同3時24分)、チャーター機で、中継のタイ東部・ウタパオ空港に到着した。 先遣隊員2人と研修中だった医官1人を含む計379人は、14日午前7時(日本時間同9時)、国連カンボジア戦定統治機構(UNTAC)が用意したC-130、輸送機5便に分かれでウタパオ空港を離陸、同日中にプノンペンのポチェントン空港に到着する。
◇
カンボジアで展開中の国連平和維持活動(PKO)の文民警察部門に参加する警察官75人が13日午後4時、成田空港発のパキスタン航空機でカンボジアに向け出発、同夜バンコクに到着した。14日、プノンペン入りする予定。 山崎裕人警視正(40)はじめ警察庁4人、全国都道府県警察官71人の計75人で、任期はか月間。日本警察としては初のPKO参加となる。 75人はプノンペン入り後、約1週間、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)でカンボジアの習慣や文民警察業務の内容などの研修を受け、地方のオフィスに配置される。《読売新聞》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
情報量が少ない日は随時加筆中です。
引用記事は名前、住所など一部修正の上、抜粋してあります。
外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)
古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。
【毛利衛さん】総理大臣顕彰受賞
宮澤首相は13日午前、米スペースシャトル「エンデバー」に搭乗した宇宙飛行士の毛利衛さん(44)を首相官邸に招き、エンデバー内で第一次材料実験「ふわっと’92」を無事遂行するなどの業績をたたえ、総理大臣顕彰を贈った。
表彰式で首相は「(実験は)わが国の宇宙開発上、極めて重要な意義を持つ事業であり、宇宙環境利用の推進に貢献するところ誠に顕著」とする顕彰状を読み上げ、記念品の盾の目録と併せ毛利さんに手渡した。《共同通信》
【大洋漁業】来年9月から「マルハ」に
大洋漁業は13日、来年9月1日から社名を「マルハ株式会社」に変更すると発表した。丸に「は」の字の商標も来年1月から新しい商標に変える。今回の社名、商標の変更は、漁業会社から総合食品会社への脱皮を目指す同社が進めている会社再建計画の一環。社名の変更は約50年ぶり、商標は創業時(1880年)以来初めて変更する。
兄弟会社のプロ野球球団「大洋ホエールズ」も来シーズンから「横浜ベイスターズ」に名称変更することが決まっている。《共同通信》
【パ・リーグ】全日程を終了
パ・リーグは13日、藤井寺の近鉄―日本ハム戦で全日程を終了した。
個人タイトルは、ダイエーの佐々木が打率と盗塁の2部門を獲得。これは昭和39年の広瀬(南海)以来。本塁打王のデストラーデ(西武)は3年連続、ブーマー(ダイエー)の打点王は3年ぶり4度目。投手5部門は勝率を石井(西武)が初めて手にしたほかは近鉄勢が占めた。野茂はこの日18勝目を挙げ、新人からの3年連続最多勝。これは2リーグ制になってからは初めて。赤堀の防御率1点台は10年ぶり。1人の投手が防御率、SPを獲得したのもSP制度が出来てから初めて。
MVP、ベストナイン、新人王のタイトルはセ・リーグとともに、日本シリーズ終了の2日後に発表される。観客動員は952万2000人となり、過去最高だった昨年を上回るリーグ新記録を達成した。《読売新聞》
【自民党・金丸信前副総裁】議員辞職を決断
佐川急便事件に絡む5億円献金問題で厳しい批判にさらされている自民党竹下派の金丸前副総裁は13日、責任をとって衆院議員辞職を決断、竹下元首相ら同派幹部に伝えた。14日中にも正式表明する。金丸氏は次期総選挙にも出馬しない考えで事実上の政界引退となる。
政界最大の実力者の辞職決断は政界全体にも深刻な影響を与えるのは避けられず、金丸氏を中心にした竹下派に党、国会運営全般を依存してきた宮澤政権の基盤が大きく揺らぐことになろう。
金丸氏の重みで派の統一を保ってきた竹下派は既に「ポスト金丸」をめぐって小沢会長代行のグループと反小沢氏の勢力が激しく主導権を争い、金丸氏の辞め方でも対立が続いており、派閥分裂の様相を見せ始めた。《共同通信》
【宮澤喜一首相】政府、党、現体制で
宮澤首相は13日午後、自民党の綿貫幹事長を首相官邸に呼び、内閣改造・党役員人事について、臨時国会は政府、党とも全員留任し、現体制で乗り切るよう指示した。首相はすでに、人事を臨時国会後に先送りする意向を固めていたが、この方針が最終的に確定した。
内閣改造・党役員人事については、臨時国会前に、「佐川関係者外し」を狙った改造人事を断行するべきだとの考えが有力だった。しかし、①現在までのところ、事件が閣内に波及する公算は小さい②金丸信・前副総裁(竹下派会長)の5億円違法献金問題などで竹下派内の確執が深まり、首相が竹下派から出すよう求めている幹事長人事も難航が予想される③金丸問題で紛糾が予想される臨時国会を乗り切るには、梶山静六・国会対策委員長が留任し、現体制で臨む方がよい―などから、首相としても最終的に内閣改造先送りを決めた。《読売新聞》
【太地喜和子さん】死去
13日午前2時20分ごろ、静岡県伊東市和田の伊東港・観光桟橋で、東京都渋谷区の女優太地喜和子さんら4人が乗った乗用車が海中(水深3.3メートル)に転落、通報で駆けつけた伊東署員らが車内後部座席に閉じ込められていた太地さんを助け出して市内の病院に収容したが、大量の水を飲んでおり、約45分後に死亡した。死因は水死。車には太地さんのほか、男性2人と女性1人も乗っていたが自力で脱出。海面から助けを求めているところを同署員や市消防署員らに救出された。
救助された三人のうち、同市川奈、スナック経営A子さん(43)は意識不明、横浜市緑区、文学座俳優B(33)さん、東京都渋谷区、同Cさん(38)はともに軽いけが。調べによると、車はA子さんのオートマチック車で、A子さんが運転。幅約10メートル、長さ約100メートルの桟橋をバックで転回中、誤って海に落ちたらしい。
太地さんは、太地さん主演の文学座の「唐人お吉ものがたり」を巡業中で、10日に同県三島市で公演したあと、スタッフを連れて12日に伊東入り。同日午後6時から9時まで同市観光会館で公演、終了後、A子さんのスナックで劇団員らと酒を飲んでいた。太地さんが「海を見に行きたい」と言い出したため、A子さんが車を取りに行き、ドライブに出掛けたという。
太地さんは昭和42年に俳優座養成所を卒業して文学座入り。「杉村春子さんの後継者」と期待され、同50年に「藪原検校」「越後つついし親不知」で紀伊国屋演劇賞、56年には「元禄港歌」「雁の寺」の熱演で芸術選奨文部大臣賞新人賞を受賞した。
「五番町夕霧楼」「飢餓海峡」「好色一代女」などの舞台で耐える女や奔放な女を演じ分けてきたほか、映画やテレビでも活躍、“女のさが”を表現したベテランの味に評価が高かった。きっぷがよく、あでやかであると同時に哀れと悲しさを兼ね備えた女優だった。
私生活でも、「恋多き女」と呼ばれてきたが、一昨年「出雲の阿国」で「芸に生きる女」を演じた際には「私も恋には流されない女。流したい方ですから」とも。ウイスキーならボトルを一本空けてしまうほどの酒豪でもあった。
最後の舞台で、いまも上演中の「唐人お吉ものがたり」はさる8月13日から東京・三越劇場でスタート。初日を前に「十年来の念願の役。当たり役にしたい」と張り切っていた通り、舞台では、身を持ち崩し、酒浸りの日々を送りながらも、権力の横暴に立ち向かう女を見事に表現。「大酒飲みの役だから、私に向いているって言うんですか、あはは」と照れ笑いを浮かべていた。
太地さんは、物語の地元である静岡県下田市できょう13日とあす14日に上演の予定だったが、中止となった。その後の全国の30ステージは、小野洋子さんが代役を務める。《読売新聞》