平成1313日目
1992/08/12
この日のできごと(何の日)
【神奈川県警】本部長ら18人処分
神奈川県大和市と川崎市で先月、相次いで起きた警察官殺傷と連続婦女暴行事件の容疑者2人の逃走事件で、国家公安委員会と神奈川県警は12日、横尾敏夫・同県警本部長を1か月間減給10分の1とするなど、幹部ら関係者18人に対する同日付の懲戒処分などを発表した。
処分は、減給5人、戒告6人、本部長訓戒5人、所属長訓戒2人。横尾本部長を除く内訳は、大和市の事件では知念良博・刑事部長など同部関係者が5人、川崎市の事件では斉藤真康・総務部長ら同部と麻生署の関係者12人。この中で、緒方一隆・県警捜査一課長は戒告、横尾一夫・麻生署長は3か月間減給10分の1として現職を更迭、17日付で、警務部へ異動させる。
処分の理由として大和市の事件では、容疑者が短銃を所持していたと予想できず、短銃や無線を携帯しなかったという情勢判断の誤りを挙げている。連続婦女暴行容疑者が治療先の病院から逃走した川崎市の事件では、手錠が緩かったうえにナイフの所持を見逃すなど留置、護送について保安上の基本が守られていなかったためとした。
しかし、川崎市の事件では、容疑者のナイフ入手方法について、薬を入れた段ボール箱に隠し持って留置場に持ち込んだという容疑者の供述を「十分確認できない」とするなど、事実関係について不透明な部分を残す形となった。《読売新聞》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
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【日航ジャンボ機墜落事故】発生から7年
520人の犠牲者を出した昭和60年の日航ジャンボ機墜落事故から丸7年の12日、墜落現場の群馬県・上野村の御巣鷹の尾根には早朝から遺族が慰霊登山、午後からはふもとの「慰霊の園」で追悼慰霊式が行われた。この日上野村はぐずついた雨模様の天気だったが、65家族216人の遺族が早朝から花や水を持って約2キロの山道を御巣鷹の尾根まで黙々と歩き、犠牲者の墓標に手を合わせた。《共同通信》
【第74回全国高校野球】第3日
(12日・甲子園)帝京(東東京)、春夏連覇ならず―帝京は尽誠学園(香川)の渡辺を打ちあぐみ、自慢の打線が4安打で完されて初戦敗退。選抜に続く全国制覇の夢を絶たれた。
創価(西東京)も、終盤反撃したが及ばず、熊本工(熊本)に敗退。昭和49年に東京が東西に分かれて以来、東京勢がそろって初戦敗退したのは6年ぶり5度目。
近大付(大阪)はエース森岡が松商学園(長野)を4安打完封。打線も七回に爆発して快勝した。創部4年目で初出場の桐陽(静岡)は八回に京都西(京都)を逆転、初陣を飾った。《読売新聞》
【渡辺美智雄外相】退院、静養へ
胆のう胆管結石の手術を受け、先月13日に公務に復帰した後も、入院先の東京女子医大病院から外務省などに通勤していた渡辺外相は12日、5月31日の入院から2カ月半ぶりに退院した。外相はこの後地元の栃木県内で1週間程度静養、体力回復に務め、エリツィン・ロシア大統領来日準備のため、8月末からのロシア訪問に備える。
外相は病院前で記者団に現在の体調について「非常にいい。しかし2カ月も入院していると、体力が弱る。特に足だ。(静養中に)ゴルフのハーフ(半ラウンド)ぐらいはできるようにしたい」と述べた。《共同通信》
【ジョン・ケージさん】死去
米国を代表する前衛作曲家のジョン・ケージ氏が12日、脳卒中のためニューヨーク市の病院で死去した。79歳だった。ロサンゼルス生まれ。
シェーンベルク、ワイスらに学び、ニューヨークに出て1940年代から独創性豊かな作曲活動を展開した。50年代にかけ、ピアノの弦に消しゴムやボルトを挟んで音質を変化させるプリペアド・ピアノの手法を考案したり、磁気テープによる作曲法を開発するなど「実験音楽の父」と呼ばれ、米国内だけでなく、欧州、日本の現代作曲家たちに大きな影響を与えた。《共同通信》
【中上健次さん】死去
戦後世代の代表的作家の中上健次氏が12日午前7時58分、腎臓がんのため、和歌山県東牟婁郡の日比記念病院で死去した。46歳。和歌山県出身。
昨年6月ごろから体の変調を訴え、今年になって腎臓がんが見つかった。東京・信濃町の慶応病院で手術を受け6月には退院。その後、故郷の和歌山県新宮市に帰っていた。
和歌山県立新宮高校を卒業後、上京してジャズや映画演劇に熱中、新左翼運動にも関係した。「文芸首都」同人になり、肉体労働をしながら小説を書き続け、昭和49年やり場のない若者の焦燥感を描いた第一創作集「十九歳の地図」で注目を浴びた。
51年、故郷紀州の被差別地域を舞台に、濃密で入り組んだ血縁の世界を描いた「岬」で芥川賞を受賞。翌年、それを神話的なスケールまで発展させた「枯木灘」を発表。毎日出版文化賞と芸術選奨新人賞を受け、一躍戦後世代作家のトップランナーとなった。《共同通信》