平成1248日目

平成4年6月8日(月)

1992/06/08

【競輪・中野浩一選手】引退会見

「一生懸命練習して、精一杯走っても、結果が出なくなってしまった」—。自転車の世界選手権プロスプリント十連覇を始め長年、日本競輪界のトップスターとして君臨してきた中野浩一選手(36)が8日、東京都内のホテルで引退の会見を行った。ふだんのユニホーム姿とは違い、この日の中野選手は濃紺のスーツ姿。「昨年の全日本選抜で惨敗し(引退を)決意した。最後の高松宮杯は自分のレースができたし、悔いはない。ファンの『まだやれるぞ』という言葉がとてもうれしかった」と選手生活を振り返った。

前人未到の十連覇については「レースの記憶はあまりない。十連覇の時、ロッ骨を折りながら練習に励んだことの方が思い出深い」とも。

「一番うれしかったことは」と質問されると「世界選手権で初優勝して帰国した時には、マスコミが3人しかいなかった。17年かかってきょうはこんなに大勢の人が集まってくれた」と、感極まって声を詰まらせた。

「競輪をスポーツ競技として見てもらいたい」という持論を実践してみせた中野選手。今後は後進の指導とともに、ツール・ド・スイスやバルセロナ五輪の観戦などを通じ、スポーツ全般にかかわっていきたいとしている。五輪では自転車競技のテレビ解説を務める。《読売新聞》



【宮沢喜一首相】韓国・崔副首相と会談

宮沢首相は8日、首相官邸で、来日中の崔珏圭・韓国副首相兼経済企画院長官と約40分間会談した。首相はロシア、韓国両政府が北方領土周辺水域内での韓国漁船の操業を認めることで合意した問題について、「日本政府の立場を(韓国)政府に理解してもらっていることに感謝する。韓国、ロシア(両政府間)の話し合いが残っているが、今後もよろしくお願いする」と述べ、北方領土周辺での操業を差し控えるよう求めた。崔副首相は「円滑に解決するよう努力したい」と答えた。

また首相は、韓国への技術協力促進に前向きの姿勢を表明。1月に訪韓した際、韓国側から提案された民間レベルの技術協力のための財団設立について、「財団ができたら、政府としても支援することは考えたい」と約束した。これに対し崔副首相は「今後の韓国の発展は、技術開発にある。技術交流の面で協力してほしい」と述べ、日本の技術協力に強い期待感を表明した。《読売新聞》

【宮沢喜一首相】渡辺外相を見舞う

宮沢首相は8日、胆石症のため入院中の渡辺美智雄副総理兼外相の進退問題について、同外相が手術しても病状の回復を待ち、7月の先進国首脳会議(ミュンヘン・サミット)後も続投させる方針を決め、同日、東京・新宿の東京女子医大病院に同外相を見舞いに訪れた際、その方針を伝えた。これに関連して、政府首脳は、サミットまでに同外相の病状が回復しない場合は、サミット期間中だけ外務官僚などを外相臨時代理に充てる可能性を明らかにしたが、政府の一部には現職閣僚に落ち着くとの見方もある。

臨時代理の候補にはOBを含めた外務官僚として、松永信雄元駐米大使、斉藤邦彦外務審議官、また、現職閣僚では加藤紘一官房長官の名前が挙がっている。

首相はこの日、同病院に入院中の渡辺外相の見舞いを兼ね、約40分間会談した。首相は、外相の病状が回復するまでは首相が臨時代理を務める考えを明らかにするとともに、外相の病状が回復すれば直ちに公務に復帰するよう要請した。

【渡辺美智雄外相】「災い転じて福」

渡辺美智雄外相は8日夕、先月31日の入院以来8日ぶりに病室の外に姿を見せた。入院先の東京・新宿の東京女子医大病院の屋上を散歩する姿を公開したもので、やや青白い顔ながら記者団の質問にも比較的しっかりした口調で答えた。この中で外相は、宮沢首相が外相臨時代理を務めていることについて「すべて党と内閣に任せてある」と述べ、進退を含めて宮沢首相に一任していることを明らかにした。

和服に運動靴という姿で、東京女子医大病院の屋上に姿を現した渡辺氏は、開口一番、「過労だよ、過労。外遊などで疲れがたまって」。そのあと、背伸びしたり、足踏みしたりと、元気なところを見せた。

国連平和維持活動(PKO)協力法案の審議については、「毎日、テレビで見て慚愧にたえない(自公民の)3党合意ができて気が緩んだ感じだ。最後の仕上げに立ち会えなくて残念至極だ」と、気が気でない様子。

渡辺氏は今週中、手術する段取りとなっているが、「すべて医師に任せている。大船に乗った気分だ」「人間万事塞翁が馬。災いを転じて福となす」と、心境を吐露した。

宮沢首相が、渡辺氏の外相続投の方針を決めた背景には、副総理兼外相という内閣の要である渡辺氏が閣外に去る事態になれば、政権基盤が不安定になりかねないとの判断が働いたほか、渡辺氏にとっても、ポスト宮沢の有力候補として、こうした形での外相辞任は、自らの政治的立場を弱めるとの懸念があったものとみられる。《読売新聞》



6月8日のできごと