平成1220日目

平成4年5月11日(月)

1992/05/11

【北方四島ビザなし交流】日本側が出発

日ロ政府間合意に基づく、北方四島との査証(ビザ)なし交流で、北海道庁が送る日本側からの第一陣が11日午前8時30分、北海道根室市の花咲港から、チャーター船「コーラル・ホワイト」(352トン)で出発した。

日本政府の承認の下に北方領土に渡航するのは、旧島民の墓参以外では今回が初めて。一行は北海道北方領土対策本部の中田州哉本部長を団長に、四島の旧島民ら45人。17日までの日程で国後、色丹、択捉の三島を訪問、ロシア人島民との交流会などに臨む。また、日本赤十字社からの医療品約1.5トンを運ぶ。

日本政府は、旧ソ連のビザ発給を受けての北方領土への渡航は、ソ連主権の承認になるとして、国民に自粛を求めてきた。相互交流の障害を取り除くビザなし交流は、昨年4月、ゴルバチョフ元ソ連大統領が来日した際に提案。先月、ロシア側からの第一陣が北海道を訪問している。

花咲港岸壁で行われた出一発式では、中田団長が「熱い心で、なつかしの古里に行ってきます」とあいさつ。団員らは島への土産を抱えて船に乗り込んだ。《読売新聞》



【大相撲夏場所2日目】小錦、貴闘力下し連勝

大相撲夏場所2日目(11日・両国国技館)連覇と横綱を狙う小錦はうるさい貴闘力を一方的に押し出したが、霧島は武蔵丸の押しに完敗、大関は連勝と連敗で明暗が分かれた。

先場所の勢いを持続している安芸ノ島は琴富士を寄り切り、曙らとともに白星を重ねた。琴錦は豪快な二丁投げで寺尾を下して初目を出した。貴花田は舞の海を速攻で破ったが、若花田は三杉里の寄りに屈した。《読売新聞》

【UNTAC・明石康】カンボジアPKO「日本不在目立つ」

来日中の明石康・国連力ンボジア暫定行政機構(UNTAC)代表は11日、都内のホテルで講演し、カンボジアにおける国連平和維持活動(PKO)について「アジア諸国が参加している中で、日本のアブセンス(不在)が目立つことは疑いがない。人的な貢献が必要」だと述べ、日本のPKO参加に期待感を表明した。

これに関連し、明石代表は「シンガポールのような小さな国でさえ文民警察を(UNTACに)出している」と日本のPKO参加の立ち遅れを指摘。また、来春に予定しているカンボジアの民主選挙について明石代表は「無理だという声もあるが、延期はできない。政治的モメンタム(勢い)があるうちにやらなければいけない」と来春の選挙実現に強い意欲を示した。《読売新聞》

【自民党・小渕恵三前幹事長】「私は幕引き専門」

自民党の小渕前幹事長は11日、福井市内での講演で「私は最近幕引き専門になっている」とあいさつ。「昭和天皇崩御の時は、官房長官として昭和の幕を閉じた。これで終わりかと思ったら消費税、リクルート事件で竹下内閣の幕引き、今度は幹事長として海部内閣の幕引き」と、自らの幕引き経歴を披露。

「宮沢さんも今回大臣にしてくれると思ったのに、また幕引きと考えたのか入れてくれなかった」と会場を沸かせたが、最後は「私が幕を引かなくても、だれが引くのかわからないので安心しない方がいいかも」と首相にとっては気になる発言。《福井新聞》

【宮沢喜一首相】PKO法案「今国会で結論」

社会党の田辺委員長は11日夕、宮沢首相を官邸に訪ね、国連平和維持活動(PKO)協力法案について性急な決着を避けるよう求めるとともに、当面の焦点であるカンボジア和平・復興協力に現行法の枠内で全力を尽くすよう申し入れた。

これに対し首相は「各党が水面下で(法案再修正の折衝を)やっているが、現法案を仕上げさせてほしい」と、あくまでPKO法案今国会での成立を期す考えを強調、田辺氏の理解を求めた。

首相は、田辺氏が申し入れた国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)への財政支援拡大について「しゃくし定規に考えるわけにはいかない」と積極的な姿勢を示し、自らのカンボジア訪問については「場合によっては考えたい」と述べた。《共同通信》

【いずみたくさん】死去

5月11日のできごと

「世界は二人のために」などで親しまれた作曲家で参議院議員のいずみたく氏が11日午後3時10分、肝不全のため東京都港区の済生会中央病院で死去した。62歳。東京都出身。

三木鶏郎門下でCMソングの作曲で売り出し「見上げてごらん夜の星を」(ミュージカル)、「夜明けのうた」「世界は二人のために」「恋の季節」など多くのヒット曲を次々と発表し、人気作曲家となった。

昭和52年、ミュージカル劇団「フォーリーズ」を結成、日本のミュージカルづくりに情熱を燃やしていた。

平成元年、参院二院クラブの青島幸男氏の議員辞職に伴い繰り上げ当選、参院議員を務めていた。《共同通信》

【竹田恒徳さん】死去

旧皇族竹田宮家の当主で、東京五輪開催などに活躍したアマチュアスポーツ界の重鎮、竹田恒徳氏が、11日午前11時、東京都新宿区信濃町の慶応大学病院で亡くなった。83歳だった。

北白川宮から出て竹田宮をおこした恒久王と明治天皇の六女昌子内親王の長男として明治42年3月4日に生まれ、大正8年、父の死で宮家を継いだ。陸軍に進み士官学校、陸軍大学卒。終戦時は第一総軍参謀。終戦の翌日、天皇特使として満州(中国東北部)に飛び、関東軍の鎮撫に当たった。この時、同時に溥儀満州国皇帝を日本に連れ帰る密命も帯びていたが、すれ違いで果たせなかった。

昭和22年10月、マッカーサー指令で皇籍を離脱した後は、23年に日本スケート連盟、日本馬術連盟の会長に相次いで就任した。東京オリンピックの招致のために各国を歴訪し、実現に成功した。《読売新聞》



5月11日のできごと