平成1209日目

1992/04/30

この日のできごと(何の日)

【宮澤喜一首相】ドイツ・コール首相と会談

訪欧中の宮澤首相は30日午前(日本時間同日午後)、パリ発の日航特別機でドイツのケルン・ボン空港に到着し、午前11時40分(日本時間午後6時40分)からボン市内の首相府で約1時間40分にわたりコール独首相と会談した。

焦点の北方領土問題について、宮澤首相は、「この問題は先進7か国(G7)全体の問題であることを理解してほしい」と、7月の先進国首脳会議(ミュンヘン・サミット)で議長をつとめるコール首相に支持を求めた。これに対し、コール首相は、日本の立場に理解を示した上で「自分としても、エリツィン・ロシア大統領に伝えたい」と述べ、積極的に側面支援していくことを約束した。

また会談では①新多角的貿易交渉(ウルグアイ・ラウンド)の早期決着②有識者による日独フォーラム(日独賢人会議)の設置③地球環境問題で森林保護の推進—などで一致した。《読売新聞》

昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。

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【寺久保エレナさん】誕生日

【ロサンゼルス暴動】全米各地に拡大

黒人男性に集団暴行を加えた白人警察官が無罪となったことに端を発し、29日夕(日本時間30日朝)から米ロサンゼルス市中心部で起きた黒人らによる暴動は、29日夜から30日未明(同30日夜)にかけて、市内全域、さらには同市を中心とするロサンゼルス郡全体に広がった。30日午前8時半(同1日午前0時半)までには警察との銃撃戦での犠牲者を含む死者11人、負傷者170人が確認され、放火による火災は、300件に達した。このため、ロサンゼルス市に続きロサンゼルス郡全体にも非常事態宣言が出され、連邦警備隊2000人が出動、警戒に当たっている。しかし深夜から未明にかけて暴動は銃撃戦も起きるなど、“ゲリラ的”様相も見せ、事態は「1965年のワッツ暴動以来最悪のもの」(トム・ブラッドレー・ロサンゼルス市長)になっている。

ロサンゼルス市警察本部(LAPD)や同市役所などが集まる市中心部の官庁街は、30日午前零時(同30日午後4時)ごろまでに警察、連邦警備隊が制圧、数百人に上った群衆を解散させ、一応の平静は取り戻した。しかし、深夜になって暴動は、発端となった市中心部から南約6キロのサウス・セントラル地区で一層激しさを増し、さらにハリウッドやビバリーヒルズなどロサンゼルス周辺にまで拡大、ゲリラ的様相を見せ始めた。30日朝までに、逮捕者は100人を超えた。このため、ブラッドレー市長はサウス・セントラル地区一帯に夜間外出禁止令を発令するとともに、29日深夜にはテレビを通じ演説、全市民に対して冷静な行動と事態鎮静化に向けた協力を求めた。市当局は、市内の小中高約100校を30日以降休校とすることや公営路線バスの運休などを決めた。《読売新聞》

黒人青年な集団暴行した警官への無罪評決をきっかけに起きた米ロサンゼルス市の暴動は30日、拡大の一途をどり、サンフランシスコ、南部の中心部のジョージア州アトランタにも飛び火、サンフランシスコに非常事態宣言、夜間外出禁止令、アトランタに、夜間外出禁止令が出された。

ロサンゼルスの略奪、放火は、黒人居住区から韓国人街、高級住宅街へ拡大、同日午後8時50分(日本時間1日午後0時50分)現在、ロサンゼルス郡の集計によると、死者23人、負傷者856人、火災1200件、逮捕者530人となり、状況は暴動が警察力を上回り、悪化している。

カリフォルニア州のウィルソン知事は、州兵派遣を2倍の4000人に増やし鎮静化に全力を挙げているが、夜間の到来とともに拡大が懸念されている。《読売新聞》

【自民党・金丸信副総裁】埼玉県知事選「2氏とも不出馬」模索

自民党の金丸副総裁は30日、都内の事務所で原文兵衛・参院議員会長、山口敏夫・党埼玉県連会長ら県連幹部と、6月の同県知事選について協議した。この結果、現職の畑和知事(社会、共産推薦)の不出馬を条件に、出馬を予定している土屋義彦・前参院議長(自民推薦)の立候補断念の可能性を探ることで一致した。金丸氏は連休明けにも山口氏らと再度協議する。

金丸氏はすでに27日、土屋氏に対し直接、畑氏不出馬を条件に立候補断念を要請。30日も、金丸氏は、「勲一等を受けた現職知事と三権の長が対決すると、県政にしこりが残る」と述べ、土屋、畑両氏が出馬をとりやめ、“第三の候補”擁立の可能性を山口氏らに打診するとともに、畑氏が候補を降りることについても自信をみせたとされる。

これに対し、山口氏ら県連側は、「土屋氏と畑氏に政策の違いはなく、土屋氏を擁立したのは多線批判のため」などとしてて、畑氏が不出馬となるなら必ずしも土屋氏出馬にこだわらないとの考えを示し、土屋氏不出馬の方向で支援団体と協議する考えを示した。

しかし、土屋氏は30日、記者団に対し、「畑氏が出ようが出まいが、出馬の意思に変わりはない。金丸氏に降りろと言われて降りるわけにはいかない」と述べ、“土屋降ろし”の動きに強い不快感を示した。

すでに党が推薦を決めた立候補予定者の不出馬を求めるのは異例のこと、背景には、①必ずしも土屋氏に勝算があるとは言えない②土屋氏が敗れ、土屋氏の辞職に伴う参院埼玉選挙区補選でも敗れれば参院で一議席を失う上、夏の参院選本番に悪影響を与える―などの懸念がある。《読売新聞》

【大杉勝男さん】死去

プロ野球で史上初のセ、パ両リーグでそれぞれ1000本安打を記録した大杉勝男さんが30日午前5時38分、肝硬変のため東京都港区内の病院で死去した。47歳だった。

岡山関西高を卒業後、ノンプロを経て昭和40年、東映(現日本ハム)入り。当時の飯島滋弥コーチ(故人)の「月に向かって打て」という教えを受け、長打力で頭角を表した。45、46年には2年連続本塁打王に輝いた。50年、ヤクルトへ移籍。広岡達朗監督に率いられて53年、日本シリーズで阪急を下し初の日本一に。大杉さんはこのシリーズで通算4本塁打をたたき出し、最優秀選手に選ばれた。

56年7月には2000本安打を達成して名球会入り。58年にはセ、パ両リーグでそれぞれ1000本安打、1000試合出場の記録を作り、同年のシーズンを最後に引退した。その後、大洋の打撃コーチ、解説者を務めたが、平成2年11月から、慢性肝炎で入退院を繰り返していた。

通算成績は、486本塁打、2228安打、1507打点。長島、王(巨人)がヒマワリに、野村(南海、現ヤクルト監督)が月見草にたとえられたのに対し、「自分はさしずめカスミ草」とたとえたセリフは有名。《読売新聞》



4月30日 その日のできごと(何の日)