平成1018日目

平成3年10月22日(火)

1991/10/22

【オランダ・ベアトリックス女王】大戦に言及

国賓として来日したオランダのベアトリックス女王を歓迎する天皇、皇后両陛下主催の宮中晩さん会が22日夜、皇居・宮殿で開かれた。席上、女王は「(国民の中には)今なお苦しみに悩まされている」と第二次大戦中、旧オランダ領東インド(現インドネシア)での日本軍との戦いや、戦後もオランダ国民に残る傷跡について国賓としては異例の厳しい言葉でスピーチ。

陛下は「戦争の惨禍を再び繰り返さないよう生きる決意をした」と、先の東南アジア歴訪時とほぼ同じお言葉を述べ、戦後初めて来日したオランダの元首に対し、平和への決意を表明された。晩さん会には皇族方、海部首相夫妻ら約120人が出席した。《共同通信》



【プロ野球日本シリーズ第3戦】西武1−0広島

1991年プロ野球日本シリーズ、広島ー西武第3戦は22日、2万8000人の観衆を集めた広島球場で行われ、西武がシリーズ史上4人目となる2試合連続完封をマークした渡辺久の快投で1−0と広島を下し、2勝1敗とした。

渡辺久は球威のある速球とフォークボールで小気味よく投げ5安打無失点。昨年の巨人とのシリーズ第1戦に続く完封だった。西武の1点は、八回の先頭打者、秋山が北別府の初球を左中間席へ2号本塁打して挙げた。シリーズ未勝利の北別府は得意のスライダーを武器に好投したが、打線の援護なくまたも敗れた。《共同通信》

【政府】南ア制裁を解除

政府は22日の閣議で、南アフリカ共和国のアパルトヘイト(人種隔離政策)の撤廃を求めて実施してきた経済制裁を解除することを正式に決めた。日・南ア関係はこれで新たな段階を迎え、政府はこれを契機に、南アの復興・開発に全面的に協力していく方針だ。同時にアフリカ地域の開発を促進するため、アフリカ諸国代表(首脳レベル)による「アフリカ開発会議」の93年日本開催実現に向け本腰を入れるなど、本格的な対アフリカ政策を進めることにしており、わが国のアフリカ外交も転機を迎える。

今回の決定で制裁が解除されるのは、①投融資規制②銑鉄・鋼材の輸入禁止③航空機相互乗り入れ停止④クルーガーランド金貨を含む南ア産金直輸入自粛要請―の4項目。関係省庁の内部手続きなどを経て月内にも実施される。また、政府はこれを受け、領事関係にとどまっている南アフリカとの外交関係樹立を急ぐ。

政府の今回の制裁解除は、デクラーク政権のアパルトヘイト撤廃と民主化推進の動きを評価したもの。経済制裁としては、なお武器輸出禁止と軍隊・警察などアパルトヘイト執行機関へのコンピューター輸出禁止の二つの措置は残るが、武器輸出禁止は別として、コンピューターに関してはアパルトヘイト完全撤廃が確認された段階で解除される。《読売新聞》

【吹上新御所】起工式

天皇、皇后両陛下のお住まいとなる吹上新御所(仮称)建設工事の起工式が22日午前、皇居・吹上御苑で行われた。工期は1年半の見込みで、両陛下は平成5年の夏ごろまでには、紀宮さまとともに新居に移られる。

新御所が建設されるのは、うっそうとした森が広がる吹上御苑の南端で、皇太后さまのお住まいの吹上御所から南へ150メートル離れた所。宮内庁によると、鉄筋コンクリート造り一部2階建てで、屋根は銅板ぶき。延べ床面積は約4500平方メートルとなり、現在の赤坂御所よりやや狭くなる。

建物は、内外からの客をもてなす公室部分、両陛下と紀宮さまの居室となる私室部分、側近らがつめる事務部分の3棟から成り、回廊が日本風の中庭を囲んでそれぞれの棟を結ぶ雁行形式といわれる伝統様式がとり入れられている。

昭和天皇時代の吹上御所には接客用スペースはなかったが、新御所は、公私にわたって客を招かれる機会の多い両陛下の意向で赤坂御所と同様に迎賓機能をもたせることになった。公室部分の大広間は110平方メートルで、午さん会や小音楽会などのための多目的ホールとなるという。

私室部分の部屋割りは公表されていないが、両陛下の居間や書斎、紀宮さまの個室などのほか、三種の神器のうち剣と曲玉を保管する「剣璽の間」も。蔵書が増えたため、地価に書庫も作られた。

宮内庁では「日本の伝統様式を反映させたほか、周りの自然と調和させるようにも努めた」としている。総工費は50億円余で、建設会社5社の共同企業体の施工。両陛下が引っ越された後の赤坂御所には、現在、東宮仮御所にお住まいの皇太子さまが入られる。《読売新聞》

【ウクライナ】共和国軍の創設決定

独立志向を強めるソ連ウクライナ共和国最高会議は22日、陸海空3軍からなる独自の共和国正規軍と国土防衛・国境警備隊などの創設に関する一連の法案を基本承認した。18日行われた経済共同体条約への調印を拒否したウクライナに対しては、ゴルバチョフ連邦大統領とエリッィン・ロシア共和国大統領ら7共和国首脳が連名で22日、新連邦への加盟を呼びかけたばかり。新連邦条約で認められていない正規軍の創設を決めたことは、ウクライナの同条約加盟拒否の姿勢を決定付けるものといえる。

タス通信によると、同最高会議が承認したのは、①国防法②ウクライナ軍法③共和国国土防衛隊に関する法④国境法⑤国境警備隊法の計5法案。

「独立と領土保全、侵略からの防衛」を目的に計42万人からなる陸海空軍と最高3万人までの国土防衛隊の創設をうたうとともに、「非核原則」を基礎としながらも将来の一定時期に戦略部隊を保有する」権利を留保すると表明した。また、国土防衛隊長にクハレツ陸軍大佐、国境警備隊長にグベンコ陸軍中将をそれぞれ任命した。《読売新聞》

【春日八郎さん】死去

「お富さん」「別れの一本杉」などのヒット曲で戦後の演歌界を支えてきたベテラン歌手の春日八郎さんが、22日午後8時38分、心不全のため、東京都新宿区の東京医科大病院で亡くなった。67歳。

春日さんは大正13年、福島県会津坂下町生まれ。早稲田工手学校を中退し、東洋音楽学校声楽科に学んだ。下積み生活の後の昭和27年、「赤いランプの終列車」でデビュー、29年、「お富さん」の大ヒットでスターの仲間入りをした。

その後も「別れの一本杉」(30年)、「あん時ゃどしゃ降り」(32年)、「長崎の女」(38年)と大ヒットを続けた。高音でハリのある声、抜群の歌唱力で「叙情演歌」と呼ば一れる独特の“春日節”がファンの心をつかんだ。

昭和59年には「その後のお富さん」で健在ぶりを示し、平成元年からは毎年、三橋美智也、村田英雄さんと「三人の会」と題するチャリティー・コンサートを行っていた。

デビュー後の通算吹き込み曲数は千数百曲、レコード売り上げ枚数も七千万枚を超える。

最近では、昨年9月、日本テレビのドラマ番組にしぶい父親役で登場、話題をまいたほか、無類の馬好きでも知られ、馬主となった馬は延べ100頭にものぼる。

昭和48年、リサイタル「演歌とは何だろう」で、芸術祭大賞を受賞、平成元年11月には、紫綬褒章を受けた。

春日さんは、今年初め、足の痛みを訴えて入院、6月に左大たい部腫瘍の手術を受けた。経過は順調で、8月には大阪でステージに立ち「お富さん」を熱唱したが、その後容体が悪化、9月に再手術を受けた。今月末の退院を見込んで、リハビリに励んでいたが、22日午後、突然意識不明に陥り、妻の恵子さんや娘たちが見守る中、息を引き取ったという。《読売新聞》



10月22日のできごと