平成948日目

平成3年8月13日(火)

1991/08/13

【シベリア抑留】26人埋葬地、遺骨確認

ソ連バイカル湖西方のイルクーツク州ウソリエ・シビルスク地区で、シベリア抑留中に死亡、現地に埋葬された旧日本将兵とみられる遺骨が13日までに多数見つかった。全国抑留者補償協議会(全抑協、本部・山形県鶴岡市)の斎藤六郎会長らが現地を訪れ、確認した。

今春、ソ連側から日本側に引き渡された死亡者名簿によると、同地区では26人が死亡している。全抑協によると、同地区にあった第32地区第11収容所の日本人埋葬地はここ1か所だけで、遺骨はこの26人のものとみられる。

シベリア抑留で死亡した邦人の遺骨については今月に入り、ソ連側がマガダン市内の永久凍土から6遺体を発掘、また戦友らの墓参調査団がバイカル湖東方で日本人として初めて遺骨2体を確認しているが、これだけ多くの遺骨が確認されたうえ、死亡者リストと埋葬地が一致したのは今回の調査が初めて。

全抑協によると、第32地区第11収容所には、約400人の日本兵が抑留され、木材の伐採作業などに従事していた。

ゴルバチョフ大統領の来日に伴い、今年4月発表されたソ連側の死亡者名簿によると、このうち26人が昭和20年10月から翌年5月にかけ死亡している。

今回、遺骨が見つかったのは同地区西部の日本人埋葬地跡。カラマツ林に囲まれた草地で、埋葬地には、深さ7、80センチ、長さ1メートルがの穴計30ほどがあり規則正しく並んでいる。土をかけた形跡はなく、穴の中やその周囲50メートル四方には遺骨が散乱していた。野犬などに荒らされ、ほとんどがバラバラの状態。遺品などは見つからなかった。

全抑協によると、埋葬されたのは、満州独立歩兵大隊所属の将兵とみられる。斎藤会長は「穴は抑留されて間もない昭和20年秋に掘られ、死亡した順に埋葬されたが、冬で地表が東っていたため土はかけず、雪で表面を覆ったのではないか」と話している。《読売新聞》

【海部俊樹首相】モンゴル入り

海部俊樹
https://www.kantei.go.jp/

中国訪問を終えた海部首相は13日午前11時すぎ、ウランバートル空港に到着、日本の首相としては初めてモンゴル入りした。特別機から降りた海部首相は、空港で歓迎式典に臨んだ。出迎えたビャムバスレン首相と握手。両国国歌が吹奏され、続いて21発の礼砲が鳴り響いた。《共同通信》

モンゴル訪問中の海部首相は、13日午後2時25分(日本時間同)から約1時間半、市内の政府庁舎で、ダシン・ビャムバスレン首相と会談した。

海部首相は、モンゴルが進めている民主化、経済改革の努力を高く評価、日本として積極的に協力する考えを表明。緊急援助として20億円を無償供与することを約束した。また両首脳は、今回の訪問で両国関係が「新しい一ページを開くことができた」との認識で一致、ビャムバスレン首相は訪日招請を受諾した。日本の首相がモンゴルを訪問したのは、建国(1922年)以来のことで、西側首脳としても初の訪問。

海部首相はまた、モンゴルの鉄道整備などに日中両国が協力して取り組むことを明らかにし、援助物資の調達、輸送にあたることを表明した。このように日中両国が共同して第三国への経済協力をするのはこれが初めてだ。

このほか、海部首相は、①税務行政専門家養成のための実務者派遣②査証簡素化③2年間で1億ドルの貿易保険枠設定④「日本モンゴル青年友情計画」を発足させ20人のモンゴル青年を招待の⑤ンゴル伝統文字復活支援、遺跡保存・修復協力―も表明。ビャムバスレン首相は、感謝の意を述べるとともに、日本人抑留者問題解決への全面協力として、①遺骨収集、遺留品返還②墓地整備③全墓地墓参④名簿公表―を示した。なお、両国政府は、これら会談の成果を盛り込み、共同新聞発表した。《読売新聞》

【大阪地検】東洋信金元支店長ら逮捕

東洋信用金庫(本店・大阪市淀川区高羽貞彦理事長)の支店長が、大阪市内の料亭の女性経営者と共謀、架空預金証書を使って、3420億円をノンバンクから不正融資させていたことがわかり、大阪地検特捜部は13日、支店長と女性経営者の2人を有印私文書偽造、同行使などの容疑で逮捕、支店など6か所を家宅捜索した。女性経営者は大手金融機関から多額の金を引き出し、株資金などに投入していた。

同じ手口で架空預金証書を使った不正融資は、富士、東海、旧埼玉の3都市銀行で7月末に発覚、金融機関のモラルを問う大きな社会問題になっているが、逮捕者が出たのは初めて。この事件により、東洋信金の経営危機も浮上、日銀、全国信用金庫連合会などは13日、全面支援を決めた。《読売新聞》

【ベルリンの壁】建設から30年

ベルリンの壁が建設されてから13日で30周年。逃亡を図って射殺された東独市民を悼む式典が同日ベルリンで催され、ディープゲン市長らが、記念碑に花輪をささげた。かつて西ベルリンを取り囲んでいた全長約170キロの「壁」は、数キロを残してほとんど撤去されたが、逃亡者殺害の刑事責任の本格的追及はこれからで、「壁」がドイツ人に残した傷跡は今後もうずき続けそうだ。

コール首相は、「壁」建設記念日に際して談話を発表、東西ベルリン、東西ドイツの境界で射殺された約200人の犠牲者に思いを寄せるように呼びかけ、「我々は(殺害の)責任者に釈明を求める義務を負う」と述べ、真相究明の決意を示した。

逃亡者殺害については、ベルリン検察当局が捜査を行っており、シュトフ元首相、ミールケ前国家保安相、ケスラー元国防相ら東独指導者を、射殺命令を下した容疑で取り調べている。その一方で実際に発砲した元国境警備兵も捜査の対象となり、9月には初公判が開かれる見込みだ。現在約160件の逃亡者殺害が捜査されている。

東独は1961年、西への労働力流出による経済崩壊を防ぐために、ベルリンの壁建設に踏み切り、その後、逃亡者への発砲を合法化していた。このため法律専門家の間では、「壁」での射殺を犯罪として裁けるかについて、疑問の声があがっている。

国境警備兵は、東独時代に忠実に任務を遂行したために、ドイツ統一後は被告になった訳で、起訴されたうちの一人は、雑誌インタビューに対し「あの夜、あの場所で見張りに立ってさえいなかったら」と我が身の不幸を嘆いている。だが、主要政党は「壁」での射殺の刑事責任追及を支持しており、統一ドイツの政治の潮流は、鉄条網と壁で国民を閉じ込めていた東独国家のあり方自体を、犯罪として問うことを選択したといえる。《読売新聞》



8月13日のできごと