平成846日目

1991/05/03

この日のできごと(何の日)

【海部俊樹首相】シンガポールで政策演説

東南アジア諸国連合(ASEAN)五か国歴訪中の海部首相は3日午前(日本時間同午後)、シンガポール市内のホテルで、「日本とASEANー新時代の成熟したパートナーシップを求めて」と題した今後のアジア外交政策に関する演説を行った。

この中で、首相は、戦前、戦中を通じてアジア諸国に多大の被害を与えたわが国の過去の歴史に「厳しい反省」の意を表明したうえ、アジア・太平洋地域の平和と安定のために「政治面においてわが国にふさわしい貢献をしたい」と強調した。特にカンボジア問題については、早期和平実現のため最大限の努力を約束するとともに、和平達成後に日本でカンボジア復興国際会議を開く考えを明らかにした。

過去の歴史認識について、首相は、今年が太平洋戦争ぼっ発から50年の節目に当たることを指摘し、「多くのアジア・太平洋地域の人々に耐えがたい苦しみと悲しみを与えたわが国の行為を厳しく反省する」と述べた。

この表現は、昨年5月の盧泰愚韓国大統領との首脳会談での首相発言とほぼ同じ。日本の歴代首相のASEAN訪問中の演説では、昭和58年に中曽根首相(当時)がマレーシアで防衛政策に関連して「過去の反省」に言及したことがあるが、こうした率直な表現でアジア全体に向け、反省の意を鮮明にしたのは初めて。

首相はさらに、「国際社会の平和と繁栄のためにいかなる貢献ができるかを考えるに当たり、何よりもまず日本国民すべてが過去のわが国の行動の深い反省に立って正しい歴史認識を持つことが不可欠」と強調。特にわが国の青少年が近現代史を正確に理解するよう、今後、歴史教育を充実させる考えを示した。

一方、アジア・太平洋地域への政治的貢献の課題と一して首相はカンボジア問題を真っ先に挙げ、「カンボジア各派の和解に向けた真剣な努力が死活的に重要」との観点から、「政治解決への共通認識が生まれるよう、あらゆる努力を惜しまない」と積極的な姿勢を打ち出した。

朝鮮半島情勢については「南北対話の実質的な展開」に期待を表明。対中国政策では「改革・開放政策に基づく中国の近代化努力への協力」を基本方針として改めて示しながら、首相自身、年内に訪中する意向を明らかにした。《読売新聞》

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【海部俊樹首相】シンガポール前首相と会談

シンガポール訪問中の海部首相は3日午後(日本時間同)、宿泊先のホテルで、リー・クアンユー前首相と会談した。

昨年11月にゴー・チョクトン現首相に政権を禅譲したリー氏は、首相在任31年間の経験を踏まえ、「戦後の東アジアの繁栄にアメリカが果たした役割は極めて大きかった。今後、新しい国際秩序をつくるうえでも、引き続きアメリカのプレゼンス(存在)は欠かせない」と強調した。《読売新聞》

【中曽根康弘元首相】中国・江沢民総書記と会談

中国訪問中の中曽根元首相は3日午前(日本時間同)、北京市内の中南海で江沢民党総書記と1時間20分会談した。江総書記は、海上自衛隊の掃海部隊派遣問題について、「航路、国際水路を確保するという意味では理解できる」と述べ、この問題で中国指導部として初めて一定の理解を示した。

さらに、江総書記は関係悪化が続いている米中関係の改善に強い意欲を示すとともに、今月中旬の訪ソについて、ゴルバチョフ・ソ連大統領の訪中(89年5月)に対する答礼であることを強調、「善隣友好関係を発展させていきたい」との考えを明らかにした。

中曽根氏は日本のアジア重視の姿勢を強調した上で、特に掃海艇派遣問題で①武力行使を目的としていない②国際共同行為として非戦闘という限定状況の中で派遣する―などと説明「寛大な理解を得たい」と述べた。これに対し、江総書記は「国際水路確保」という点に理解を示すと同時に、「歴史の上ではいろいろなことがあり、中国、アジアの多くの人々にその記憶が残っている。だから新しい(日本の)行動に警戒心を持っているのではないか」と指摘した。しかし江総書記は「掃海艇問題について言いたいことは以上だ。古い友人だから心からの話をした」と、それ以上の言及は避けた。

江総書記はさらに、関係修復が遅れている米中関係の改善に積極的に取り組む姿勢を示した。《読売新聞》

【三菱自動車】ボルボと合弁

三菱自動車工業は3日、スウェーデン・ボルボ社のオランダ現地生産会社に資本参加、95年から小型乗用車を合弁生産することで最終的に合意し、スウェーデン・ボルボ社、オランダ政府と趣意書に調印した、と発表した。

趣意書によるとオランダ・ボルボ社では1600ccから2000ccの小型乗用車を共同開発し、98年には年産20万台を目指し、三菱自工、オランダ・ボルボ両社の販売ルートを通じて販売する。出資、投資を合わせた三菱自工の当初負担は約700億円に上る。

三菱自工は、これまでヨーロッパでの乗用車生産を合弁で実現するため、複数のメーカーと、提携交渉を進めていたが、昨年11月、小型乗用車への市場参入を狙うボルボ社とオランダで合弁生産を行うことで基本合意し、具体的な経営形態、生産車種や場所について、詰めの交渉を急いでいた。三菱自工は86年、ポルトガルで合弁による商用車の現地生産を始めており、オランダがヨーロッパ第二の生産拠点となる。

オランダ・ボルボ社は、オランダ政府70%、ボルボ30%出資の合弁生産会社。ボルボ社の普通乗用車、V400シリーズを、年間13万台生産している。三菱自工の資本参加後は、基本的に三菱自工が開発した小型乗用車に生産を移行、98年にはデザイン、内装などを両社の販売政策に合わせて独自プランドとしてフル生産する。

オランダ・ボルボ社の出資比率は、オランダ政府が政府持ち株を三菱自工、スウェーデン・ボルボに売却して、三者が約18万株ずつを均等に所有することで三者対等とする。将来はオランダ政府が持ち株をすべて両社に売却して、経営からは手を引き、オランダ・ボルボ社は、新会社として再編成されることになる。《読売新聞》

【ヤクルト・岡林洋一投手】プロ初勝利

ヤクルト4−2中日◇3日◇ナゴヤ

ヤクルトが土壇場で4安打を集中し逆転、連敗を4で止め、勝率を5割に戻した。リリーフの新人・岡林はプロ初勝利。

制球が抜群の西本に杉浦の本塁打以外二塁も踏めなかったヤクルトは球界、柳田、レイの安打で無死一、二塁とし、西本をKO。代わった森田に、秦は三振に倒れたが、池山の右前安打で同点。杉浦敬遠の満塁から、広沢の右前2点打で勝ち越した。

中日は宇野の3号2ラン(通算300本塁打)で一度は逆転したが、追加点のチャンスにバント、盗塁の失敗で、好投の西本を援護できなかったのが最後になって響いた。

ヤクルト・野村監督「九回はツキもあったが、レイがよくつなぎ、池山も大振りせずに打ってくれた。巨人戦を前に一つ勝ってやれやれだ」

ヤクルト・岡林投手「(登板7試合目でのプロ初勝利に)追い込んでからの変化球を打たれていたので、真」っすぐ主体だった。ウイニングボールは記念に持って帰ります」

中日・宇野勝内野手が300号本塁打を記録 3日のヤクルト戦(ナゴヤ)の四回、バートサスから右越え2ランを放って達成。プロ21人目。初本塁打は昭和53年9月26日の阪神戦で谷村から。《読売新聞》



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