平成826日目

1991/04/13

この日のできごと(何の日)

【東京六大学野球】東大、通算200勝達成

東大が通算200勝達成ー。東京六大学野球春季リーグ戦は13日、神宮球場で開幕。開会式に続く第1試合で東大が昨秋優勝の立大を4―1で下し、連敗を70で止めるとともに念願の区切りとなる勝利を挙げた。慶大は7ー6で明大に先勝した。

東大は1点リードされた八回二死三塁から失策と4短長打で一挙に4点を奪い、救援今西がその裏の二死満塁のピンチをしのいで、1987年秋の慶大1回戦以来の白星を手にした。

慶大は九回に代打梅沢の右中間2点二塁打で逆転し、雨中の競り合いをものにした。《共同通信》

1点をリードされた八回だった。東大は二死三塁で吉江が投手左へセーフティーバント。慌てた高橋が一塁へ悪送球して同点に追い付くと、トップ古川以下の上位打線が4短長打を集めて計4点を挙げた。その裏の一死満塁のピンチをゴロ併殺で切り抜け、足かけ5年にわたり目標となっていた通算200勝をやっと達成させた。

好投の船山から今西への思い切りのいい投手交代。そして同点にしたセーフティーバント。1981、82年に指揮を執り、9年ぶりにカムバックした平野監督は「船山を代えたのは予定通り。吉江には口でセーフティーバントをやれ、と指示した。選手が思うように、しっかりやってくれた」と勝利の喜びに浸る。

それでもチームは連敗という屈辱にあえいでいたこともあって「リードしてから選手に落ち着けといったが、胃がいくつあっても足りない感じだった。監督は厳しいものですね」と率直な感想も。

81年春には6勝を挙げて4位に入った実績を持つ平野監督は、クールで強気だ。その監督が就任の時、「野球はお前たちがやるものなんだ」と選手の自主性を促した。ナインは、これを受けてプロ野球・西武のキャンプを見学したり、社会人のプリンスホテルの練習に参加したりして新しいものをつかもうとした。

藤沢主将は、そこから「楽しんで野球をやることを学んだ」という。楽しむということは、平常心でふだんのプレーをすることから始まる。バッティングを強化した“平野東大”は、この日七回二死までパーフェクトに抑えられていたが、「打てそうな感じがあった」(藤沢主将)「1点先行されて、やる気が出た」(古川)そうで野球を楽しむ余裕があった。

「こんなもんかな」と通算200勝を冷静に受け止める藤沢は「これでリーグ戦が終わったわけじゃない」と、きっぱり言い切った。《共同通信》

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【オリックス・土井正三監督】開幕6戦目で初勝利

オリックス6−1日本ハム◇13日◇東京ドーム

開幕5連敗と低迷していたオリックスが6−1で日本ハムを突き放し、ようやく今季初勝利を挙げた。試合を決めたのは主砲石嶺のバット。1−1で迎えた七回一死一、三塁から松浦のシュートをライナーで左翼席に運んだ。勝ち越しの3点本塁打。六回までの拙攻を一気に吹き飛ばすような快打だった。

苦しんだ末にやっと手にした待望の初勝利。開幕6連敗を免れ、土井新監督はまず「長かったね」。肩の荷をおろしたようなホッとした表情が広がった。《共同通信》

【自民党・渡辺美智雄元政調会長】「竹下再登板」反対せず

自民党の渡辺元政調会長は13日午前、民放テレビ番組に出演し、ポスト海部をめぐり党内などで取りざたされている「竹下元首相再登板説」について、「私はあったっていいと思う。時と場合によって国民が承服するというムードを作って…。ともかく実力のある人だから」と述べ、政治状況いかによっては、竹下氏が海部首相から再度政権を受け継ぐことに反対しない考えを明らかにした。

これは司会者の「竹下氏再登板は渡辺氏にとってよくないのではないか」との質問に答えたもので、渡辺氏はさらに今秋の総裁選に触れて「皆の総意をあらかじめ根回ししてまとめておけば、(再登板も)できるのだから。そういうやり方もある」とし、総裁選が公選にならず、話し合いで決まる可能性もあるとの認識を示唆した。

渡辺氏の発言は竹下氏再登板についての一般論を語ったもので、竹下派との連携を模索しながら次期総裁をうかがうという総裁選戦略を踏まえ、竹下氏へエールを送る意味合いも込められたものとみられる。《共同通信》



4月13日 その日のできごと(何の日)