平成645日目
1990/10/14
この日のできごと(何の日)
【プロ野球・オリックス】西宮球場で最後の試合
来季から本拠地をグリーンスタジアム神戸に移し、相性も「ブルーウェーブ」と改めて再スタートを切るオリックスは14日、西宮球場で行われたダイエー最終戦で今季の全日程を終えた。1947年から44年間親しまれてきた「ブレーブス」に別れを告げ、指揮を執った上田利治監督(53)も阪急時代から通算15年間の監督生活にピリオドを打った。
雨模様の悪天候にもかかわらず「勇者」の最後の試合を見ようとスタンドは3万人の観衆で埋まった。一塁側ではオリックスの青の帽子に交じり、阪急時代の赤と黒を基調とした帽子やユニホームをまとった一団が、消え行く伝統を惜しむかのように声を枯らした。《共同通信》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
情報量が少ない日は随時加筆中です。
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外国の方のお名前、地名などは現時点で一般的に通じるものに書き換えています。(例・ロシアのプーチン氏はかつてプチン氏と表記されていました)
古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。
【イラン、イラク】大使館を再開
14日付のイランの有力英字紙テヘラン・タイムズは消息筋の話として、イランとイラクが14日にも、相互に相手国駐在の大使館を再開すると報じた。大使館には当面、臨時代理大使が配置され、イランの代理大使には外務省湾岸局長を務めるトルカバディ元駐クウェート代理大使が就任するとみられている。
大使館再開は、テヘラン訪問中のイラクのザハウィ外務次官(国際問題担当)とイランのモタキ外務次官(同)の会談で合意された。
国連経済制裁に苦しむイラクはこれまでイランに対して、食糧、医薬品の供給、イラク原油の引き取りなど、“制裁破り”への協力を求めてきたが、大使館再開で今後は外交ルートを通じた働きかけが可能になる。
両国の外交関係正常化は先月、イラクのアジズ外相がイランを訪問した際、合意した。《共同通信》
国営イラン通信によると、イラン外務省は14日、イラン、イラク両国が外交関保を復活させ、同日付で互いに相手国に設置していた大使館を再開することで合意したとの声明を発表した。当面、大使館には臨時代理大使が置かれるが、イラクの臨時代理大使と館員は同日テヘランに到着、イラン側要員も近くバグダッドに向かうという。
この声明は14日までテヘランを訪問していたイラクのザハウィ外務次官の帰国にあたって発表された。
イラクはこれまで国連の経済制裁に対抗するため、イランに食糧や医薬品の供給、イラク原油の引き取りを求めてきたが、外交関係再開でその動きを一層強めるとみらる。両国の修交交渉は先月中旬、イラクがイラン人捕虜の送還を中止したため難航していたが、今回のザハウィ次官の訪問で打開されたもようだ。
イラン国内ではイラクのイスラム教シーア派の聖地カルバラやナジャフへの巡礼を願う声が強く、大使館設置で巡礼再開も近付いた。
両国は1980年のイラン・イラク戦争開戦後も大使館を維持していたが、87年10月に閉鎖、外交関係を断絶。先月上旬、イラクのアジズ外相がイランを訪問して復交が合意されていた。《共同通信》
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【旧東ドイツ州議会選挙】保守派大勝
旧東ドイツに5つの州を復活させる州議会選挙は14日投票、即日開票され、コール首相の与党キリスト教民主同盟(CDU)が、ザクセン州で単独過半数を制したほか、3州で第一党の座を確保する大勝を収めた。
また、旧西ドイツ・バイエルン州で同日行われた州議会選挙でもCDUの姉妹政党キリスト教社会同盟(CSU)が過半数を維持、コール首相は同夜「有権者に感謝する」と勝利を宣言した。
最大野党社会民主党(SPD)はブランデンブルク州で第一党となったものの、他の4州ではいずれも第二党の座に甘んじ、各州代表で構成する連邦参議院で過半数を失うことになった。
これにより、保守中道連立政権を率いてドイツ統一を急速に進めたコール首相は、12月2日に実施される全ドイツ総選挙に向け足場を固めた。
統一の上げ潮にのるCDUは、政権党の強みを背景に旧東ドイツ地域への大規模な住宅建設投資や年金引き上げを公約。経済不安と失業の急増におびえる市民の支持をつなぎ留めることに成功した。一方、中道派連立与党の自由民主党(FDP)は4州で議席獲得に必要な5名以上の得票を達成、残るザクセン州でも議席を得る可能性がある。《共同通信》
【日本政府】協力隊海外派遣は「合憲」
政府は14日、自衛隊の参加する国連平和協力隊の海外派遣について、従来の集団的自衛権の憲法解釈から踏み出し「国連決議に基づく集団的安全保障措置として合憲」とする新見解を打ち出す方針を固めた。これは14日午後、首相官邸で行われた海部首相、坂本官房長官、外務省の栗山事務次官らの協議で確認された。
政府はこれまで、憲法9条と集団的自衛権の関係に関しては「自衛権の行使はわが国を防衛するため必要最小限度の範囲にとどめるべきであり、その範囲を超える集団的自衛権行使は憲法上許されない」との見解を一貫してとってきた。
今回の新見解はクウェートを侵攻・併合したイラク制裁のような国連決議に基づく自衛隊海外派遣は、従来想定していなかった新たなケースとして「集団的自衛権ではなく、集団的安全保障措置に該当する」との新しい概念を導入、自衛隊の部隊、個人が加わる協力隊がより広範囲に国際的危機に対して”貢献”できるよう、道を開こうとするものだ。
政府は、新見解の文言を早急に確定し、22日から予定されている国連平和協力法案を審議する特別委員会の場でこの新見解を示す考えだが、野党側の反発は必至で審議は難航する見通しが強い。《共同通信》
【レナード・バーンスタインさん】死去
ミュージカル「ウエスト・サイド物語」の作曲で知られ、米国が生んだ最も天才的な音楽家といわれたレナード・バーンスタイン氏が十四日、肺気腫とろく膜腫場の合併症悪化のためニューヨーク・マンハッタンの自宅で死去した。72歳。
バーンスタイン氏は指揮者、ピアノ奏者、作曲家として音楽的才能を縦横に発揮、現代の米国音楽界を代表する巨匠だった。1961年以来、度々訪日し、日本にもファンが多い。今月9日、健康悪化を理由に指揮者としての活動から引退すると発表していた。
バーンスタイン氏は1918年米マサチューセッツ州ローレンス生まれのロシア系米国人。ハーバード大学で作曲を専攻。43年11月、ニューヨーク・フィルのカーネギーホール公演で、急病になった故ブルーノ・ワルター氏の代役として指揮を見事に成功させ、一躍スターになった。
44年に最初の交響曲「エレミア」とミュージカル「オーン・ザ・タウン」を発表。57年に発表した「ウエスト・サイド物語」は、映画化作品が大ヒットしたこともあり、クラシック・ファンだけでなく世界中の音楽ファンの心をつかんだ。
68年、10年間務めたニューヨーク・フィルの首席指揮者を退き、終身「桂冠指揮者」の称号を受けた。その後は作曲活動を続けるほか、世界各地のオーケストラに客演。表情豊かな指揮でファンに親しまれた。
ことし6月、札幌で開かれた野外音楽祭にも参加したが、体調を崩し、その後東京で予定されていた公演をキャンセルして帰国。8月19日、米国マサチューセッツ州のタングルウッド音楽祭で指揮台に上ったのが、最後の公演となった。このほか、主な作品にはオペラ「タヒチ島の騒動」、バレエ音楽「ファンシー・フリー」などがある。《共同通信》