平成463日目

平成2年4月15日(日)

1990/04/15

【競馬・第50回さつき賞】ハクタイセイが制覇


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クラシック三冠レースの第一弾、第50回さつき賞は15日、良馬場の中山競馬場2000メートル芝コースに18頭が出走して争われ、南井克巳騎乗の関西馬ハクタイセイが2分2秒2で快勝、賞金8300万円を獲得した。同馬は昭和48年に制した父親のハイセイコーに次いで親子二代のさつき賞制覇。

レースはフタバアサカゼが先行し、単勝一番人気のアイネスフウジンが二番手を追走。好位置を進んだ三番人気のハクタイセイが直線に入って末脚を伸ばし、逃げ込みを図るアイネスを首差かわして勝った。連勝複式は①-⑦で610円の配当。

同レースの売り上げは、236億6695万300円のレコードとなった。

ハクタイセイは四歳牡馬。北海道三石郡三石町、土田農一場生産。父ハイセイコー、母ダンサーライト。戦績は10戦6勝。総収得賞金は1億6967万円。布施正調教師、南井騎手はともにこのレース初勝利。《共同通信》




【ダイエー・田淵幸一監督】開幕6戦目で悲願の1勝目

ダイエー5−3西武◇15日◇平和台

初勝利を手にした田淵監督は、欲しいものを買ってもらった子供のようだった。3万4000人と超満員に膨れ上がった平和台球場。その中でナインと思い入れたっぷりに握手し「やっぱり鳥肌が立つね。今日は俺にとって記念すべき日」と今季初めて本当の笑顔をつくった。《共同通信》

【ジャパンオープンテニス】ステファン・エドベリ選手が3度目のV

テニスのサントリー・ジャパンオープン最終日は15日、東京・有明テニスの森公園で男女シングルス決勝などを行い、シングルスの男子はステファン・エドベリ、女子はカタリナ・リンドクイストとスウェーデン勢が制した。エドベリは2年連続3度目の優勝で賞金13万7500ドル(約2200万円)を獲得、リンドクイストは初制覇で、2万7000ド(約430万円)を手にした。

第2シードのエドベリは第1セット2-4の劣勢から積極的なネットプレーで4ゲーム連取して第4シードのアーロン・クリックステイン(米国)を逆転。第2セットも5オールから第11ゲームを破り、結局6-4、7-5で競り勝った。エドベリは今季2勝目。

女子第1シードのリンドクイストはエリザベス・スマイリー(豪州)のストロークのミスにつけ込んで6–3、6-2で下し、女子プロツアーで4年ぶりの優勝を飾った。《共同通信》

【自民党・小沢一郎幹事長】選挙制度改革「海部首相は不退転で実現を」

自民党の小沢幹事長は15日午前、政経文化パーティー出席のため訪れた水戸市内のホテルで記者会見し、今月末に予定される選率制度審議会(小林与三次会長)の答申に関連して「(選挙制度改革は)この時を除いては当分の間できなくなる」と強調し「海部首相が不退転の決意で実現に当たるべきだ」との考えを表明した。また選挙制度などの改革に当たっては「国民にも訴えながら改革を進めていくようなプロセスも必要な気がする」とも述べ、国民の理解を得ながら、改革を進めていく意向を示した。

小沢幹事長は選挙制度改革について、鳩山、田中の各政権が小選挙区制の導入に失敗したことに触れながら「議員個人個人、政党、地域社会に大きな影響を及ぼす大改革だ」と指摘。選挙制度、政治活動、政治資金などを具体的に挙げて「現行制度の弊害が国民に認識されつつある」と述べべた。その上で、改革の実現について「言葉だけでできるものではない。第一義的には政府、総理・総裁が不退転の決意で実現に当たり、それを受けて全党でその意思を実現する態勢を組むのが最大の要素だ」と指摘、首相の主導力の重要性を強調した。さらに「答申を受けて政府与党でどういう手続き、形で進めるか、最終的に非常な決断をしなければいけない」と党内の抵抗は覚悟で実現に取り組む決意を表明した。 《共同通信》

【中国・北京市】武装警察が市内警備

昨年の民主化運動の引き金となった胡耀邦元共産党総書記死去から一周年の15日、北京市内はこの日の中日友好長城駅伝を理由に1万人以上とみられる公安警官、武装警察隊員が動員され、昨年多数の献花が集まった天安門広場の人民英雄記念碑は立ち入り禁止となった。

中国紙は一周年を黙殺。胡元総書記について触れることが、市民を刺激し運動を再燃させると中国指導部が警戒していることをうかがわせた。

例年、市郊外で実施されてきた長城駅伝は今回、アジア大会とほぼ同じ天安門広場南を通過するコースに変更され、沿道はほぼ5メートルごとに公安警官や武装警察隊員が立って規制に当たった。大学街などの警備拠点では、選手が走り抜けた後に、ひざに銃を置いた解放軍兵士を満載したトラックが移動したり、盾と警棒を持った武装警察隊員の姿が見られた。

【北朝鮮】金主席生誕祝い集

15日の朝鮮中央通信によると、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金日成主席の生誕78周年を祝う15万人規模の大衆集会が同日、平壌のメーデースタジアムで開かれた。集会には各地の朝鮮児童連合会の代表、平壌の学校教師、生徒とその父兄らが参加した。

また李鐘玉朝鮮労働党政治局員(副主席)、崔光同党政治局員候補(朝鮮人民軍総参課長)らの党・政府高官が出席した。

集会では金日成主席にさきげる祝賀メッセージが読み上げられたが、金日成主席とその子息の金正日氏(党政治局常務委員・書記)は姿を見せなかった。《共同通信》

【グレタ・ガルボさん】死去

神話に包まれた往年の美人女優グレタ・ガルボさんが15日、ニューヨークの病院で死去した。84歳だった。ニューヨーク市のコーネル大学医学部付属ニューヨーク病院スポークスマンは同日、入院中だったガルボさんが同日死亡したことを確認したが、死因やいつから入院していたかなど詳細は遺族の意向で公表できないとしている。

ガルボさんは無声映画時代からトーキー初期にかけて、ハリウッドの代表的な美人女優として活躍。1941年、27本目の「奥様は顔が二つ」を最後に、まだ36歳の若さで、人気絶頂とも言える時期に引退した。名指揮者レオポルド・ストコフスキーに求愛されるなど数々のロマンスが伝えられたが、私生活は全く明らかにせず、生涯独身だった。

ガルボさんと同じアパート一に住む人は、最近ガルボさんは健康状態があまり良くなく透析の治療を受けていたと話している。

1905年9月、スウェーデンのストックホルム生まれ。デパートの店員を経てPR映画や喜劇映画に出演、これをきっかけに王立演劇学院に通うようになった。

その後、マウリツ・スティルレル監督に認められ、24年「イエスタ・ベルリングの伝説」に初主演。同監督が米映画会社MGMと契約した際、彼女も契約して渡米。MGMは本名のグレタ・ロビッサ・グスタフソンを「グレタ・ガルボ」と改名させ、ハリウッド式美容術で洗練されたエキゾチックな美女に作り上げた。

米国での主演第一作は26年の「イバニエズの激流」。翌年「肉体と悪魔」でその人気を決定的にし、パラマウント映画がドイツから連れて来たマレーネ・ディートリヒと人気を競った。同映画では共演のジョン・ギルバートとの仲をマスコミが書き立て、ギルバートが彼女に夢中になるといった“神話”も作られ、日本では“神聖ガルボ帝国”という表現が生まれた。

30年の「アンナ・クリスティ」は彼女のトーキー第一作ったが「ガルボがしゃべる」が宣伝文句に。また39年の「ニノチカ」でイメージチェンジを図りガルボ・スマイルが話題になった。41年の「奥様は顔がニつ」が不評だったため「もう二度と映画には出ません」と宣言、スクリーンから姿を消した。その後何人かの巨匠監督がカムバックさせようとしたが、頑として応じなかった。《共同通信》




4月15日のできごと