平成454日目
1990/04/06
この日のできごと(何の日)
【海部俊樹首相】日米中間報告「痛み伴うが理解を」
海部首相は6日午前、日米構造協議中間報告決着を受け首相官邸で記者会見し、中間報告に盛り込まれた日本側措置について「痛みを伴う場合も予想されるが、わが国の国益の推進に必要であり、国際社会の一員として負うべき責務だ」と実施に向けての国民の理解と協力を求める談話を発表した。
首相は中間報告について、7月の最終報告に向けても「さらなる前進はあるが、根本的なものはこれで変わらない」と、今回の構造協議での事実上の日本側の最終案であるとの認識を示すとともに、日本側措置の具体化に当たり「何らかの仕組みを考える」と実施監視機関の設置などを検討する意向を示し、政策実現に「政府・自民党一体で当たる」との強い意欲を明らかにした。
政府は首相会見に先立ち、中間報告の日本側措置について閣議了解し、実施に向け全力を挙げることを確認した。首相は閣議前に首相官邸に小沢幹事長ら自民党四役を招き、中間報告を説明、政府の方針を党側も了承、協力を約束した。
首相は会見で、今回の構造協議が単に日米間だけでなく日本と世界の相互依存関係を前進させ、日本の国際化を一層推進するものであり世界からも評価されるものだ、との認識を表明する一方、報告の取りまとめに当たって「国民生活の質の向上と消費者利益の増進」を図ることを目標に進めてきたことを強調した。
焦点となった大規模小売店舗法(大店法)の取り扱いを一めぐり難航が確実な今後の国内調整について「線引き、区別による利害対立ではなく大規模店と既存中小小売業との競争的共存の方法を考えたい」と述べ、消費者本位の観点から対応していく考えを示した。《共同通信》
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【衆院予算委員会】
国会は6日から論戦の舞台を衆院予算委員会に移し、平成2年度予算案をめぐり総括質疑に入った。質問の一番手に立った社会党の山口書記長が日ソ関係の打開について政府の見解をただした。
海部首相は北方領土問題を解決して平和条約を結んだ上での関係拡大という政経不可分の原則を今後も貫く考えを示しながらも「今までのような、かたくなな一辺倒ではない」「できる限り人物、文化交流など拡大均衡の形で外交を発展、信頼できる関係を樹立したい」と述べ、日ソ関係で全体の関係強化を図りながら、北方領土問題の解決を目指す柔軟な姿勢を明らかにした。
首相は日米構造協議中間報告合意について「米国だけでなく、他の国にも及ぶ」と強調した。《共同通信》
【政界メモ】
◯…衆院予算委は6日午後、自民党の佐藤信二氏が質問に立った。“身内”同士の論議とあって、盛り上がりはいま一つだったが、最後になって、佐藤氏が「今こんな本が話題になっている」と海部首相に示したのが「さらば桑田真澄、さらばプロ野球」。
「野球選手も立派な仕事だが、政治は最高の道徳だ」と佐藤氏。佐藤氏としてはこの後、「だからさらば海部、さらば議会政治となっては困る」と続ける積もりだったらしいが、「さらば海部、さらば」と言ったところで、社会党席からすかさず「自民党」と大声でやじが飛び、後半部分は聞き取れずじまい。社会党に佐藤氏は一本取られた格好。
○…自民党四役と山口経済調整特別調査会長はこの日朝、海部首相から日米構造協議中間報告について説明を受けるため、首相官邸に。ところが小沢幹事長が定刻を過ぎても現れず、朝食会を兼ねた会合だったこともあって、まず加藤政調会長が「腹が減ったな」と口火を切る。と、「先に食べよう」と同調する声も。
そんな中、山口氏がただ一人「もう少し待ったら」と言うと、西岡総務会長が「君はいつも人を食ってるから腹が減らんのだろう」と不意打ちの一撃。構造協議でも独自に訪米の計画を立てるなど、派手な言動が身上の山口氏に、新自ク以来因縁浅からぬ西岡氏がやんわりくぎを刺した一幕。《共同通信》
【米・ブッシュ大統領】海部首相の指導力を評価
ブッシュ米大統領は六日、ワシントン市内で開かれた全米新聞編集者協会の会合で演説、日米構造協議の中間報告がまとまったことについて「日本は初めて、輸入を阻害している広範な構造的障壁を取り払うことを約束した」と述べ、日本政府と海部首相は「真の指導力を示した」と評価した。
大統領は、米国側も日本に指摘された構造問題に取り組み、米経済の競争力を強化するとの決意を示した。
中間報告については「相当の進展」と指摘するとともに「日米関係強化につながる重要な途中経過」と評価しながらも「具体的成果を見るまでりは、日本の消費者も米国民も納得しないだろう」と実施ぶりを厳しく監視する構えを示した。
大統領は構造協議について「ユニークな試み」としたうえで、通商と投資における「自由」を扱う協議と位置付けた。また、この1カ月で日米間の通商交渉は「本当に成功しした」とも評価、その功績の大部分は海部首相にあるとも述べた。《共同通信》
【ネパール】民主化デモで死者
民主化要求運動に対する強硬派のシュレスタ首相が解任されたネパールで6日、この措置だけでは不満とする合計30万人のデモが再発、目撃者によると、首都カトマンズでは軍・警官隊の発砲により、王宮に向け行進中のデモ隊の約100人が死亡、数百人が負傷したもようだ。
ビレンドラ国王は同日、内閣の交代や政治改革に関する委員会設置を発表したが、デモ隊は複数政党制の導入など早急な改革を要求しており、ネパール情勢は緊迫の度合いを深めている。
カトマンズでは、デモ隊と警官隊が衝突。さらに軍隊も投入され、王宮正門前に通じる道路2カ所で機関銃などを発砲、大量の死傷者が出た。目撃者によると、100人が死亡したもようだが、情報は混乱しており、正確な犠牲者数は分かっていない。
死者数についてインドのPTI通信は少なくとも22人、英ロイター通信は50人以上と伝えている。
非合法政党ネパール会議派(NCP)、左翼政党グループが呼び掛けたゼネストに結集した市民は20万-30万人に達した。警官隊は当初、カトマンズ中心部の街路などを埋めたデモ隊に特別な規制を加えずに見守り、夕刻までは平糖だった。
しかしデモ隊の一部が王宮に向かったため、催涙ガスでの規制に続いて、王宮周辺に配置された軍隊が機関銃などで一斉に発砲、デモ隊が次々となぎ倒されたという。市中心部の旧王宮に通じる通りでは、マヘンドラ前国王の像をデモ隊が倒そうとしたため、警官隊が発砲した。
市内では午後7時から9時まで、民主化勢力の呼び掛けによる「ブラックアウト」で一斉に明かりが消え、一部では放火による火災も発生した。外国人観光客らはホテルに缶詰状態で、在留邦人の一部らも混乱を避けるためホテルなどに一時避難した。また、同国南西部のプトワルでも警官隊の発砲で4人が死亡、中部ポカラなどでも衝突があったもよう。《共同通信》