平成330日目
1989/12/03
この日のできごと(何の日)
【マルタ会談】東西冷戦終結を宣言
ソ連、東欧の改革の進行に対応するため開かれた米ソ緊急首脳会談は3日、欧州新時代に向けての新米ソ協調時代入りを宣言して終了した。しかし、東ドイツではこの日開いた社会主義統一党(共産党)中央委員会総会でクレンツ党書記長はじめ党中央委員会の総退陣を決定した。また、チェコスロバキアでは新政府が初閣議で同国駐留のソ連軍撤退を要求する交渉開始を決議した。こうした動きは東欧の激動が米ソの対応をはるかに超える速度で進んでいることを劇的に示すもので、米ソ協調体制の多難さを象徴している。《読売新聞》
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地中海のマルタで行われていたブッシュ大統領とゴルバチョフ最高会議議長兼共産党書記長の米ソ首脳会談は3日終了、両首脳は会談場のソ連客船「マキシム・ゴーリキー」号で共同記者会見を行い、「米ソ関係は全く新しい時代に入った」(大統領)、「冷戦は過去のものになった」(議長)と宣言した。
両首脳は、戦略核削減交渉(START)合意を目指す米ソ首脳会談を6月に開催することを確認するなど、広範囲にわたって米ソ協調を強化、拡大することで一致した。また、激動する東欧問題では、欧州の分断と軍事的な対立を克服するため、米ソが共に貢献していくことを誓った。《読売新聞》
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【米・ブッシュ大統領】ブリュッセル入り
ブッシュ米大統領は3日夜、マルタでの米ソ首脳会談を終えてブリュッセル入りし、マルテンス・ベルギー首相と会談した後、コール西ドイツ首相と夕食をともにした。
両首相とも、マルタでの米ソ首脳会談を「成功」と称賛、今後とも「平和的変化」のために欧州共同体(EC)、北大西洋条約機構(NATO)を中心とした協力を強めることで一致した。
会談後、コール首相は「大統領とは東西ドイツ再統一を目指したドイツの10項目提案についても討議し、(ポーランドとハンガリーの)改革を成功に導くためあらゆることをする必要があるとの合意に達した。改革が成功しなければ、とりわけ東ドイツでひどいはね返りがあるだろう」と語った。《共同通信》
【相撲・成松伸哉選手】アマ日本一に
第38回全日本相撲選手大会は3日、東京・両国国技館で70選手が出場して行われ、25歳の成松伸哉(山口・大津高教)が初優勝し、ことしのアマチュア相撲日本一に輝いた。
日大OBの伏兵、成松は173センチ、105キロの小兵ながら相模巧者ぶりを発揮。準決勝でことしの学生横綱、林正人(近大)を切り返しで下し、決勝では大会二連覇を狙う斉藤一雄(日体大)と対戦。一気に攻め込んだ成松の寄りを斉藤が左上手出し投げでかわそうとして物言いがつく際どい勝負となったが、成松が寄り切りで勝ち、出場6度目でアマチュア横綱のタイトルを手にした。
社会人の優勝は第35回大会(昭和61年)の安井和男(東農大職)以来3年ぶりとなった。《共同通信》
【東ドイツ】指導部が総退陣
東ドイツのドイツ社会主義統一党は3日開いた第12回中央委総会で、エゴン・クレンツ党書記長を含む政治局・中央委の総辞職を決定、15日から17日まで開く特別党大会で新指導部と新たな党政策を決めるための作業グループを設立した。同グループがこの間の暫定執行部の役割を務めるが、党指導部が一時不在の異常事態となった。
同中央委総会はまた、ホーネッカー前書記長、シュトフ前首相、ジンダーマン前人民会議議長ら前指導部党幹部12人の党除名を決めた。統一党はホーネッカー前指導部の残存物をすべて切り捨て、再出発を図るとみられ、クレンツ書記長の再登場の可能性はほとんどなく、クレンツ政権は1ヵ月半の短命に終わった。《読売新聞》
【フィリピン】反乱部隊鎮圧
フィリピン国軍の一部がアキノ政権打倒を図り反乱を起こした事件は3日午後、マニラ首都圏内のアギナルド国軍基地やビジネス街マカティ地区での激戦の後、物量で勝る政府軍が反乱軍主力部隊を制圧、一部で抵抗が続いているものの発生から3日目でほぼ収束した。
右派の国軍改革運動(RAM)のホナサン元中佐を首謀者とする今回のクーデター未遂事件は、巻き添えの市民を含め100人近く、負傷者数百人を出して終わり、アキノ政権は1986年2月の発足以来、最大の危機を辛うじて乗り切ったものの、内外での威信失墜の大きな痛手を受けた。
鎮圧の過程で米軍の介入を要請したアキノ大統領は、統治能力と対米依存体質を問われることになり、フィリピン情勢は再び混迷に向かう恐れが出てきた。《共同通信》
【田中角栄元首相】お国入り
田中角栄元首相(71)が3日、半年ぶりに新潟県刈羽郡西山町の生家に里帰りした。お国入りは10月14日、政界からの引退を表明して以来初めてで、5年近く前、脳梗塞で倒れてから4度目。引退のあいさつのためで、後援会「越山会」幹部に事前連絡があり、新潟三区各地では代議士としての元首相の姿を見納めしようと、約800人の支持者らが出迎えに詰め掛け、引退を惜しんだ。
田中元首相はこの日、午前9時40分すぎに東京・目白台の自宅を出発。助手席には娘婿の田中直紀衆院議員、後部座席に長女の真紀子さんが同乗し、関越、北陸道から新潟へ。見附、三条、加茂各市など選挙区内の都市部を回り、午後3時半すぎに生家入りした。
訪れた各地で出迎えた30〜300人の支援者に対し、田中元首相は乗車したまま窓を開け、左手を挙げたり握手で応じた。生家前で握手した近所の主婦(70)は「お元気そうで握ってくれた手に力があった。(引退は)残念ですが、仕方ありません」と話していた。《共同通信》