平成6884日目

2007/11/13

【この日の民主党】

衆院勝利へ向けた最善、次善、三善策示す 会見で小沢代表

小沢一郎代表は13日、党本部で定例会見を行い、衆議院で可決、参議院に送付された新テロ対策特別措置法案、衆議院選挙等に関して、見解を示した。

「テロ特措法に関してはふたつの問題がある」と語った小沢代表は、第一として、小泉内閣当時から指摘しているように、「明確・明快な憲法解釈が示されていない」点を問題視。「その都度、その都度言葉でごまかしてきている、言葉の遊戯で軍隊の海外派遣をすることの危険性は歴史が示すところだ。当面の必要性だけで軍隊を派遣するやり方は国を危うくすると思っている」と語った。

同時に、給油活動の実施官庁である防衛省について、「大きな疑惑のなかにある」との認識を示し、疑惑を解明し、国民の前に明らかにすることが大事なことであるとして、「この2点から言っても(採決を)強行するのは当然やってはいけないことだと思う」とした。

続いて、300小選挙区で150以上の議席獲得を目標とする小沢代表に対し、それを前提とした場合、民主党が過半数をとるには比例区では90以上の議席獲得が必要となるが、それは困難ではないか。足らない議席はどう補うかとの記者からの問いに、「それは正しい分析であり認識だと思う」と回答。そのうえで、「私の大目標は単独過半数」だと改めて表明し、当然、150以上の議席獲得が必要となってくるとの認識を示し、小選挙区における200以上の議席獲得が「一番のベストだ」と述べた。

同時に「ただ、それは非常にきびしい目標でもある」との認識を示した小沢代表は、他の野党との連携・調整を行うことで、現在の参議院と同様、「野党でもって、過半数をとれるというのが次善の策である」と表明した。また、「三善の策としては、とにかくできるだけがんばって衆議院で第一党を目指すことだ」と語り、最善、次善、三善それぞれの策を示した。「ただ、とにかく小選挙区で150以上とれば間違いなく第一党となることは達成される、その意味での三善の策は達成される」と言葉を重ねた。

今後の政策協議に関する問いには、「国会の委員会の場で各党で論議して、合意されたものであれば結構」だとの基本認識を示し、委員会の場ではなくて、特定の政党間であたかも談合のような形で行われるものについては「政策協議であってもやらない」と回答。また、「政策協議というものであっても、結果として連立政権を目指すように見られる政策協議もやらない」と表明。あくまでも(1)委員会の場で議論すること、(2)結果として連立政権を目指すようにみられる協議は行わないこと――の2点を強調した。

鳩山幹事長、藤井税調会長、直嶋政調会長、東国原宮崎県知事と会談

鳩山由紀夫幹事長、藤井裕久税制調査会長(最高顧問)、直嶋正行政策調査会長は13日午後、宮崎県の東国原知事を党本部に迎え、道路特定財源の一般財源化や地方分権などについて意見交換した。

東国原知事は道路整備に関する提言活動について紹介、一刻も早い社会資本整備が必要であるとして、道路特定財源の確保へ検討を求める考えを示した。

藤井税調会長は、規制はそのままで補助金を削減するという「三位一体改革」で格差が拡大したという認識を示した上、道路特定財源など税制改革に関する党内の議論について説明。社会資本整備の優先順位を首長の裁量で決められる制度をつくり、地方財政対策を実施する重要性について語った。

鳩山幹事長、直嶋政調会長もそれぞれ、民主党の考える地方分権制度や財源確保策を説明、農業者戸別所得補償や林業再生について知事と意見を交換した。《民主党ニュース》




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【安倍晋三前首相】政治活動再開

安倍晋三前首相は13日、新テロ対策特別措置法案を採択した衆院本会議に出席し、政治活動を再開した。安倍氏が国会に姿を見せるのは、福田康夫首相の指名選挙が行われた9月25日の衆院本会議以来。《共同通信》

【プロ野球・正力賞】中日・落合博満監督

07年度の「正力松太郎賞」の選考委員会が13日、東京都内で開かれ、中日を53年ぶりの日本一に導いた落合監督が選ばれた。同賞はプロ野球の発展に貢献した選手や監督に贈られる。落合監督は選手時代を含めて初受賞。賞金500万円などが贈られる。

落合監督は、正力松太郎賞の初受賞を喜んだ。中日勢として初受賞。53年ぶり日本一を評価され「率直に言ってうれしいというか。数字のタイトルと違って、周囲の人が選んでくれる賞だから、違った重みがある。野球界に尽力された方の賞なので感慨深いものがありますね。選手が野球で勝ってくれたご褒美だと思う。選手、スタッフにありがとうと言いたい」と話した。

ロッテ時代の82年に史上最年少の28歳で3冠王に輝き同賞の有力候補といわれたが、見送られた経緯がある。その後も3冠王に2度輝いたが、現役中は獲得できなかった。「これは一生、縁がないかなという気がしていた。女房(信子夫人)と『ああ、やっと。25年かかったね』という話をした」と話した。《日刊スポーツ》

【稲尾和久さん】死去

鉄腕が逝った。元西鉄ライオンズの投手で、同球団や太平洋クラブ、ロッテの監督を務めた稲尾和久氏が13日午前1時すぎ、悪性腫瘍のため福岡市内の病院で死去した。享年70。稲尾氏は10月30日、福岡市内の病院に入院。検査を続けてきたが、この日、容体が急変し帰らぬ人となった。現役時代は日本シリーズ3連覇の立役者になるなど活躍し、ユニホームを脱いだ後も球界発展に寄与。しかし、最近は体調を崩し、マスターズリーグの福岡ドンタクズ監督、沢村賞の選考委員などの職から離れ、静養していた。

突然の悲報だった。10月末に入院し、検査を続けていた稲尾氏だが、容体が急変し、13日午前1時すぎ、悪性腫瘍のため帰らぬ人となった。当初は1週間程度の検査入院の予定だったが、検査でも病名が特定できず、医師との相談の上、当面の仕事を控えることを決めていた。日刊スポーツの評論家活動をはじめ、地元福岡のテレビ局の出演、すでに開幕したマスターズリーグの福岡ドンタクズ監督の職、名球会の仕事などから離れていた。西鉄時代に「鉄腕」と呼ばれた右腕も病魔には勝てなかった。《日刊スポーツ》



11月13日 その日のできごと(何の日)