平成5106日目

2002/12/31

この日のできごと(何の日)

【日本経団連】消費税16%を提言

日本経団連は31日、経済界が求める2025年までの日本の国家像を示す提言「活力と魅力あふれる日本を目指して」(奥田ビジョン)を正式発表した。その中で、与野党の政策・実績を評価して加盟企業や団体に献金先の指針を示す方針を打ち出し、約10年ぶりに政治献金へのかかわりを復活した。

このほかに消費税率を2014年度に16%まで引き上げ、法人税の実効税率をできるだけゼロへ引き下げることを提言している。ビジョンは政治、経済、社会。国際の4分野について、44の提言を盛り込んでいる。《読売新聞》

昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。

情報量が少ない日は随時加筆中です。

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古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。

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【松井秀喜外野手】恩師訪問

米大リーグのヤンキースに入団する松井秀喜選手は31日、星稜高野球部時代の恩師山下智茂監督の自宅を訪ねた。山下監督が「体に気を付けて思い切り頑張ってこい。応援にいく」と激励すると、松井選手は「応援よりも甲子園に出てください」と後輩の奮起を促し、新年の飛躍へ健闘を誓い合った。

山下監督は松井選手に「流星」と銘打った県内日展作家による陶芸の置物と、4冊の本を贈った。「流星」には「星稜出身の松井選手に星のごとく輝いてほしい」との願いが込められている。本は世界の舞台で成功したプロゴルファー丸山茂樹選手と大リーガー、実業家をテーマにした内容だという。

松井選手あての年賀状にはメジャー元年の目標「3割30本100打点」と、「チャンスにピンチに打席で有難うを」とのメッセージを記した。

松井選手はこの後、星稜高を訪れ「ここにいると気持ちは昔のまま。年が明ければ新たな気持ちも出てくる」と、ほっとした表情を浮かべた。帰郷した30日夜は、根上町山口町の実家で家族と食事をとるなど久しぶりにくつろいだという。《北國新聞》

【韓国・盧武鉉次期大統領】韓国が米朝対話を仲介

韓国の盧武鉉・次期大統領は31日、記者会見で、北朝鮮の核問題で米国が「包括的な北朝鮮封じ込め戦略」を固めたと伝えられていることに「北朝鮮を屈服させるのに効果があるか、懐疑的だ」と述べ批判的見解を示し、韓国が米朝対話を仲介して平和的解決を目指す方針を改めて強調した。

「対話と説得」を重視する盧氏の政策と、北朝鮮封じ込めも視野に入れる米国の戦略の隔たりは大きく、1月に予定される米韓間の協議でどこまで調整できるかが焦点となる。《読売新聞》

【中国・上海】リニア開通式典

世界初の実用リニアモーターカー線の開通式典が中国上海市で31日開かれ、技術を提供したドイツのシュレーダー首相と中国の朱鎔基首相らがテープカットの後に試乗して最高時速430キロを体験、リニアの実用性をアピールした。

朱首相は試乗後のあいさつで「リニアは速い上に環境への影響もなく、非常に安全」とした上で「リニアは中国では広い前途がある」と積極推進を表明した。

中国が計画中の北京−上海間(約1300キロ)高速鉄道にリニアを採用するか日本などが推す新幹線方式にするかは、上海リニアのデータをみて決めると中国当局が既に明らかにしており、今後行われる試験運行の状況が注目される。《共同通信》

【北朝鮮】IAEA査察官が退去

核施設監視のため朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に駐在していた国際原子力機関(IAEA)の査察官2人が31日、北朝鮮による追放決定を受けて平壌から退去し、空路、北京入りした。

核施設の封印解除や監視カメラに続く査察官退去により、IAEAは北朝鮮の核開発に対する監視手段を完全に失い、北朝鮮の核問題を国連安全保障理事会に委ねるしか対応策がなくなった。

北朝鮮の核問題はさらに深刻な事態に発展、米朝関係も緊張を高めそうだが、米政府は懸念を強めつつも、外交手段で問題解決を図る構えを崩していない。

退去した査察官は男女各1人で、北京国際空港の到着ロビーで報道陣に対し「われわれはウィーンの(IAEA)本部に向かう。IAEAが発表した以上のことはコメントできない。みなさんが関心を持っていてくれることに感謝している」と語った。

しかし、北朝鮮の対応についての感想や今後のスケジュールについては「できるだけ早く本部に向かいたい」と答えただけで、あとは「コメントできない」と繰り返した。

IAEAの査察官は米朝枠組み合意を受け、1994年から北朝鮮の核施設のある平安北道寧辺などに交代で約8年間にわたり駐在してきた。退去した2人は12月29日に寧辺から平壌へ移っていた。《共同通信》



12月31日 その日のできごと(何の日)