平成5019日目

2002/10/05

この日のできごと(何の日)

【北朝鮮による日本人拉致事件】

曽我さん拉致、情報収集

1978年8月、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に新潟県真野町(佐渡島)で拉致され、生存が確認された曽我ひとみさん(43)について、新潟県警は5日、拉致現場付近の国道350号に沿って約1キロを実況見分、証拠収集を行った。

同県警鑑識課員ら約10人が午前9時半すぎから、曽我さんが行方不明になった当日に立ち寄った商店付近で距離を測ったり、写真を撮るなどした。その後、曽我さんの父親茂さん(70)の自宅周辺や、曽我さんが連れ去られた経路とみられる近くの国府側の両岸なども実況見分。

曽我さんは政府調査団に対して「買い物の帰りに道路沿いの大きな木のある所で、3人組の男が襲ってきて母とわたしを木の下に引きずり込んだ。口をふさがれ袋に詰められた
」「小さな船に乗せられ、川から海に出て、沖で大きな船に乗り換えた」などと証言。

新潟県警は、証言内容を分析する一方、この日は襲われたとみられる地点や国分川などを詳しく調べ、今後、拉致と認定するための証拠収集を行った。

曽我さんは78年8月12日、母親のミヨシさん=失踪当時(46)=とともに行方不明になった。《共同通信》

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【プロ野球・日本ハム】大島康徳監督に退任を通告

日本ハムの小嶋武士球団社長は5日、東京ドームで大島康徳監督と会談し、来季の契約更改を行わないことを通告した。同球団社長は先月30日の取締役会で、米大リーグ、レンジャーズのトレイ・ヒルマン・マイナー統括部長を来季の監督に招く方針を固め、球団フロントにも説明していたが、大島監督にはこの日初めて正式な通告を行った。

3年契約最終年の今季、Bクラスに終わった大島監督は「1年目から成績が悪ければ、こういうことは覚悟していた」と心境を語り「今さら言うこともない」と話した。《共同通信》

【J1】

Jリーグ1部(J1)第2ステージ第7節第1日(5日・万博記念競技場ほか=6試合)磐田が高原の2ゴールでG大阪に2−0で快勝し、勝ち点を17に伸ばし首位を守った。高原は通算20点で得点王争いで単独トップに立った。浦和も、神戸に3−0で完勝。開幕から6連勝(1分けを挟み)で、勝ち点を6として続いている。東京Vは、エジムンドの7試合連続得点などで市原を下した。清水は3−0で札幌を破り、仙台は広島にVゴール勝ち、柏はF東京に競り勝った。《共同通信》

【寺越武志さん】ふるさとのひととき楽しむ

北朝鮮から39年ぶりに一時帰国し、故郷の石川県に戻った寺越武志さん(53)は5日、母親の友枝さん(71)らとともに紳士服店で買い物をするなど、ふるさとでのひとときを楽しんだ。

4日に石川県入りし、金沢市内の友枝さんの自宅で家族水入らずの一晩を過ごした寺越さんは、5日午後、自宅近くの野々市町の紳士服店へ車で移動。

郊外型の大型店の店内を、珍しそうに見渡していたが、友枝さんと相談しながらスラックス1本と、ワイシャツ2枚を購入。店長によると、「白色は持っているので、色付きがいい」とブルーと黒のワイシャツ1枚ずつを選んだという。

詰め掛けた報道陣にやや困惑の表情だったが、福引で3等賞(2000円の商品券)を当てると笑顔を見せた。

また同日までに、寺越さんは北朝鮮の訪日団が予定している岡山、広島両県への訪問には参加しないことが正式に決まり、東京で訪日団と合流した後、12日に離日する。《産経新聞》

【自民党・麻生太郎政調会長】小泉首相に政策転換を要求

自民党の麻生太郎政調会長は5日、大阪府高槻市で講演し「デフレの下での不況だから、政府が公共投資、減税、規制緩和を率先してやる以外、手がない」と述べ、財政出動の必要性をあらためて強調した。

「景気を回復させないでおいて、財政再建に手をつければデフレになる。そろそろやめたらどうか」と小泉純一郎首相に財政運営の転換を求めた。《共同通信》

【自民党・野中広務元幹事長】「公明党は原点に返れ」

「公明党は3年前を忘れてしまったのではないか」。自民党の野中広務元幹事長は5日、大阪市内で開かれた公明党衆院議員の会合で講演し、神崎武法代表らを前に、3年前の連立政権参加当時の姿勢を忘れず、もっと独自色を発揮すべきだと注文を付けた。

野中氏は当時の小渕内閣の官房長官。公明党とのパイプ役として、同党が求めた地域振興券実現などに尽力した。当時と比べ「小泉純一郎首相に甘すぎる」との思いからか、野中氏は「政権に溶け込むのではなく、ものを言う時はしっかり言い、ブレーキを踏むときは踏む(べきだ)」と強調。さらに「平和の党として、不戦を誓った日本を守るために頑張っているんだという証拠を国民に示してほしい」とゲキを飛ばした。《共同通信》



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