平成4145日目

2000/05/14

この日のできごと(何の日)

【小渕恵三前首相】死去

脳梗塞で東京都文京区の順天堂大付属順天堂医院に入院していた小渕恵三前首相は14日午後4時7分、脳梗塞のためのため同病院で死去した。62歳だった。小渕氏は4月2日未明、体調不良を訴えて緊急入院し、こん睡状態が続いていた。

小渕氏は1998年7月、参院選で惨敗した橋本龍太郎首相(当時)の退陣を受け、第84代首相に就任。「経済再生」を内閣の最重要課題に掲げ、財政構造改革法を凍結するなど積極財政を展開、景気回復に尽力した。 また、ロシアとの平和条約締結交渉にも積極的で、2000年の条約締結実現へプーチン新大統領との非公式首脳会談を設定するなど実績づくりを進めた。

こん睡状態に陥った後に発表された青木幹雄官房長官の首相臨時代理就任や総辞職は、手続きの不透明さが議論を呼んだ。小渕氏自身は、そのまま意識を回復することはなかった。《共同通信》

いまにも降りだしそうに黒く曇った空の下、パトカーに先導された寝台車が首相官邸前をゆっくりと通過する。その瞬間、すさまじい雷鳴がとどろき、小渕恵三前首相は1年8カ月執務した官邸に無言のまま別れを告げた。

東京都文京区の順天堂医院。午後4時すぎに死去の報が伝えられ、青木幹雄官房長官、次いで瓦力防衛庁長官、さらに閣僚、与野党首脳が続々と弔問に。霊安室で小渕氏に別れを告げた瓦氏は「ふだんと変わらないお顔で、眠っているような感じだった。天上で静かにお休みいただきたい」と語った。同氏はさらに「私が(昭和63年の)自衛隊潜水艦・釣り船衝突事故で防衛庁長官を引責辞任する際、官房長官だった小渕氏に辞表を手渡した経緯があったからこそ、私に(小渕内閣で)再び防衛庁長官の任務を与えてくれたのかもしれない」と述べ、小渕氏をしのんだ。

午後7時すぎ、ひつぎを乗せたグレーの車が地下駐車場から出ると、玄関前に整列した医師、看護婦ら約40人が深々と頭を下げた。

車には千鶴子夫人が乗り込み、病院関係者に何度も黙礼。黒っぽい服装の長女と二女は後続車で伏し目がちだった。車は帰路、永田町を経由。屋上に半旗が掲げられた官邸は前首相を迎えるため正面玄関を開け放ち、前面の部屋の明かりも全部ともされた。

遺体は午後8時前、東京都北区の私邸に到着。森首相は同11時前、弔問に訪れた。

森首相は弔問後、東京・瀬田の私邸前で「残念だったろう。悔しいだろうと思う。43日間の闘病生活はご苦労だったろう。沖縄訪問と主要国(G8)訪問を全部報告した」と記者団に述べた。《共同通信》

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【森喜朗首相】小渕前首相死去「運命感じた」

森喜朗首相の耳に小渕恵三前首相死去の報が飛び込んできたのは14日午後、前首相が準備に心血を注いだサミットの開催地・沖縄で視察日程を終えた直後だった。「きょう旅立たれたことに運命的なものを感じる」。前首相の突然の入院から43日目。「気配りの人」の悲報を受け、解散・総選挙に向け走り出している政界関係者は一様に「断腸の思いだ」と繰り返したが、森首相は記者団に「小渕さんの思い、やりたかったことを一番知っているのは自分だ」と言い切り、唇をかみ締めた。

森首相は、名護市から那覇市に移動中、小渕氏の訃報を受け、走行中の車を正めて随行の秘書官らと対応を協議しが、その後の予定は一切変更しないまま。しかし、那覇市で開かれた小中学生サミットのあいさつでは、森首相は事前に用意された原稿から目を離して顔を上げ、急きょ「生命を大切にしよう」と訴えた。「小渕前首相の思いを大切に、沖縄サミットを何としても成功させたい」。直接、あいさつの中で小渕氏の死に触れることはなかったが、締めくくりにサミット成功を誓う森首相の声はやや上ずって会場に響いた。

首里城視察では、森首相は握手を求めてくる沖縄県民一人一人に「小渕前首相の気持ちを考えると笑顔になれない。皆さんもめい福を祈ってほしい」と厳しい表情で語り掛けた。

沖縄県庁で稲恵一知事と向かい合った際には、地元報道機関が懇談前の握手を求めたのに対し、首相は「いま笑顔で握手というのは(できないと)理解してほしい」と突っぱねてみせる場面も。懇談の中でも、稲領知事には「小渕前首相の労に報いなければならないことをわれわれは確認したい」と切り出した。

小渕氏は、森首相の早大雄弁会の二年後輩に当たり、二人は同じ昭和12年生まれの同年齢でもある。かねて森首相は小渕氏を「派閥は違うが、気心の知れた仲間」と周囲に語っていた。サミットに向けた3月の沖縄視察で「沖縄は第二の故郷だ。私はこれにかけている」と語った小渕氏を意識してか、森首相は「『小渕の方が沖縄への思い入れは強い』と言われるが、私も負けない」と胸を張ってみせ、サミット議長への意欲もにじませた。《共同通信》

【民主党・鳩山由紀夫代表】小渕前首相逝去を悼み談話

民主党の鳩山代表は14日、小渕前首相の逝去を受けて談話を発表した。

2000年5月14日
小渕恵三前内閣総理大臣の逝去を悼む
民主党代表鳩山由紀夫

本日、小渕恵三前内閣総理大臣が逝去されました。激務の中での突然の発病に驚き、ご回復を心からお祈りしておりましたが、闘病のかいなく帰らぬ人となられたことは悲しみの一言に尽きます。

ご遺族のみなさまに対しまして、衷心よりお悔やみを申し上げますと共に、前総裁を失われた自由民主党に対しましても謹んでお見舞いを申し上げたいと存じます。

小渕前総理は、内外の課題が山積する二十世紀末の日本を担い、現連立与党の結集に大きな役割を果たされると共に、国会における党首討論の導入、沖縄サミットの実現などに尽力されました。 政治に対する熱意あふれる一貫したその姿勢は、党派を超えて評価されるべきだと考えます。

民主党は、小渕総理・総裁率いる連立与党勢力と正々堂々と対抗し、総選挙によって雌雄を決すべく全力を尽くしてきました。よき政敵を失った残念の思いは、民主党議員一同共通のものです。

職務の途中にあって倒れられた小渕前総理を悼み、残された者の務めとして日本の現在と未来に対する責任を全うするため、なお一層身を引き締めてまいりたいと考えます。《民主党ニュース》

【森喜朗首相】沖縄県訪問

5月14日のできごと【森喜朗首相】沖縄県訪問

5月14日、森首相は就任後初めて沖縄を訪問し、7月の九州・沖縄サミット(主要国首脳会議)の主会場となる万国津梁館の落成式に出席するとともに、首里城などのサミット関連施設を視察した。万国津梁館の落成式では、「沖縄から力強いメッセージを発信したい」とあいさつした。

また、森首相は、子どもたちが21世紀の地球環境を考える「小中学生サミットIn Okinawa 」(主催・沖縄県サミット推進県民会議)にも出席、同サミットでまとめられた宣言文を受け取った。《首相官邸》

【大相撲夏場所】8日目

大相撲夏場所8日目(14日・両国国技館)両横綱が1敗を守った。曙は小城錦を押し倒して快勝。貴乃花は物言いの付く際どい勝負の末、関脇栃東を突き落としで下した。大関陣は、かど番の貴ノ浪が小結魁皇に寄り切られ3敗となった。魁皇は7勝目。千代大海は関脇雅山を送り出して6勝目を挙げた。雅山は5勝3敗となり、大関とりが苦しくなった。出島は玉春日を寄り切って5勝3敗。両横綱と魁皇、新入幕の栃乃花が7勝1敗でトップ。十両は高見盛と若の里が1敗で首位に並んだ。《共同通信》

【米国】銃規制求め母100万人行進

「母の日」の14日、子供を銃犯罪で亡くした母親ら計約100万人が参加して銃所有の免許など規制強化を求める「100万人母親大行進(ミリオン・マム・マーチ)」が全米62都市で行われた。

米国では銃暴発や犯罪で毎日平均13人もの子供が死亡している。

10万人を超える参加者が見込まれる首都ワシントン中心部の行進には、1992年10月に留学先の米ルイジアナ州で射殺された名古屋市の高校生、服部剛史君=当時(16)=の母、美恵子さん(52)も参加、短いスピーチを行う予定。美恵子さんは「悲劇が繰り返されないよう訴えたい」と話している。

クリントン大統領も「行進」を全面支援。13日のラジオ演説では「子供の死はもうたくさんだという声に耳を傾け、議会は銃規制法を通過させるべきだ」と強調、全米ライフル協会(NRA)の圧力で規制に及び腰な共和党議員らを批判した。

14日にはNRA支持者ら武器所有の権利を守ろうという勢力の行事も予定されている。《共同通信》

銃規制強化を求める母親らが母の日の14日、首都ワシントンで行った「100万人母親大行進(ミリオン・マム・マーチ)」で、米国留学中に射殺された名古屋市の高校生服部剛史君=当時(16)=の母、美恵子さん(52)が「米の銃規制強化を支持していきたい」と、集まった数十万人の母親らに連帯を訴えた。

美恵子さんは、米議会前の芝生広場の会場で、1999年4月に米コロラド州で起きた高校銃乱射事件の被害者遺族らとともに演壇に上がり「息子はマグナム銃で射殺された」と説明。「銃規制強化を求める運動は米国の良心だ。規制強化に反対する全米ライフル協会(NRA)に対抗しましょう」と呼び掛けた。

ホワイトハウスで母親大行進の出発を見送ったクリントン米大統領は「自動車の運転には免許が必要だ。どうして銃所有に免許制度を導入できないのか」と指摘、規制強化に反対するNRAや議員を批判した。《共同通信》

【三浦洋一さん】死去

三浦洋一氏(俳優)14日午後0時7分、食道がんのため千葉県芝山町の病院で死去、46歳。愛知県出身。

早稲田大在学中に劇作家つかこうへい氏と知り合い、演劇の道を選ぶ。昭和49年に舞台「初級革命講座」でデビュー。53年に映画「星空のマリオネット」で主役の暴走族青年を演じ注目された。テレビドラマ「さすらい刑事旅情編」では人情味あふれる役で好評を得た。《共同通信》



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