平成3640日目
1998/12/26
この日のできごと(何の日)
【武豊騎手】JRA年間最多勝記録を更新
26日の阪神競馬で武豊騎手(29)が、今年169勝を挙げ、JRA年間最多勝記録を更新した。
この日、武騎手は第8レースで1着となって168勝とし、昨年、自らが作った年間最多勝記録に並んだ。メーンの第11レース、ラジオたんぱ杯3歳ステークスでアドマイヤベガに騎乗して勝ち、新記録を達成。3年連続で年間最多勝記録を更新した。《共同通信》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
情報量が少ない日は随時加筆中です。
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古い記事の多くは「書き写し」のため、誤字脱字が多数あります。見つけ次第修正しています。
【自民党・亀井静香元建設相】「挙党態勢が連立の前提」
自民党の亀井静香元建設相は26日午前のテレビ朝日の番組で、小渕恵三首相が自自連立に伴う執行部人事は行わない考えを表明したことについて「党内がまとめっていなくてどうして(自由党との)選挙協力ができるか。挙党態勢をとることが連立を成功させる前提だ」と述べ、人事刷新を重ねて求めた。《共同通信》
【ポル・ポト派】事実上の壊滅
カンボジアの反政府武装組織、ポル・ポト派のキュー・サムファン幹部会議長ら最高幹部2人が26日までに政府側に投降したことで、潜伏を続けるのは最強硬派のタ・モク参謀総長と少数の護衛兵士だけとなり、同派は事実上壊滅した。カンボジアのシアヌーク国王とフン・セン首相は、サムファン氏らの投降を受け入れる方針を表明した。
タ・モク参謀総長を含むこれら最高幹部3人に対しては、1970年代後半のポト派政権時代の国民虐殺の責任を追及する動きがカンボジアの国内外にあり、訴追の可能性を含め、投降後の処遇が今後の焦点となりそうだ。
プノンペンからの情報によると、投降したサムファン議長とヌオン・チア元人民代表議会議長の2人は共に、書簡を通じてフン・セン首相率いる現政府を認めるとした上で、「社会に復帰し、一市民として生きていきたい」との希望を表明しているという。2人は26日までに、潜伏していた北西部のタイ国境に近い密林地帯から移動し、現在はポト派の主要拠点の一つだったパイリン市内に滞在している。数日中に首都プノンペン入りする見込み。
ポト派をめぐっては、今年3月下旬にゲリラ兵士が指導部に反旗を翻して大量に離脱したのに続き、4月には総帥だったポル・ポト氏(元民主カンボジア首相)が死亡。相前後して最後の本拠地アンロンベンを失った最高幹部3人を含むポト派残存勢力はタイ国境方面に敗走。さらに今月初め、残存勢力の主要部隊が、政府軍に一斉に投降したため、「ポト派は既に消滅した」(ティア・バン国防相)と受け止められていた。《時事通信》
【白洲正子さん】死去
能や美術工芸についての名エッセーで知られる随筆家の白洲正子さんが26日午前6時21分、肺炎のため東京都千代田区の病院で死去した。88歳。東京都出身。
父は伯爵だった樺山愛輔氏。4歳から梅若宗家に能を習い、女性として初めて能楽堂の舞台に立った。女子学習院卒業後、米国のハートリッジ・スクールに留学。19歳の時、実業家で後に吉田茂首相の側近になる白洲次郎氏と結婚した。
昭和18年、志賀直哉らに勧められ「お能」を処女出版。美術評論家の青山二郎を中心にした文化人グループの中で、小林秀雄、河上徹太郎らから文学や骨とうの指導を受け、「美」に対する情熱と鋭い鑑識眼で、芸術・芸能を大胆に論じた随筆、紀行文を数多く残した。他の著書に「明恵上人」「西行」「白洲正子自伝」などがある。《共同通信》