平成2309日目

平成7年5月5日(金)

1995/05/05

【新宿駅・青酸ガス事件】

5日午後7時40分ごろ、東京都新宿区の営団地下鉄丸ノ内線新宿駅東口の地下コンコース男子トイレの床にビニール袋が2つ置かれ、うち1つが燃えているのを利用者が発見した。火は駅員がすぐ消したが、警視庁が調べたところ、袋の中身は1つが猛毒の「シアン化ナトリウム」(青酸ソーダ)約2リットル、もう1つは希硫酸約1.5リットルと分かった。

2つの物質が化合すると猛毒の「シアン化水素」(青酸ガス)が発生することから、警視庁捜査一課は地下鉄構内で毒ガスを発生させ無差別殺人を狙った殺人未遂事件として新宿署に捜査本部を設置。袋に毒物を入れ地下鉄を狙う手口が地下鉄サリン事件と似ており、両事件の関連を調べるなど本格的な捜査に乗り出した。

専門家によると、放置された毒物が完全に化合した場合、1万人分以上の致死量に相当するといい、発見が遅れればゴールデンウイークの繁華街で大惨事が起きるところだった。現場に駆け付けた駅員ら4人がのどの痛みを訴え病院で手当てを受けた。

調べによると、燃えていた袋は約30センチ四方で、コメ粒状の青酸ソーダが入っており、もう一つの袋は約25センチ四方で、希硫酸が入っていた。希硫酸の袋は上部が結んであった。

現場は地下鉄新宿駅東口の改札から約10メートルのトイレの入り口付近。二つの袋は密着するように置かれており、犯人は青酸ソーダの袋に火を付けて放置、隣の希硫酸の袋に燃え移らせ、流れ出した希硫酸と青酸ソーダを化合させようとしたらしい。

希硫酸の袋が燃えなかったため、二つの物質は反応しなかったが、現場の空気中から硫化水素が検出され、ており、微量な希硫酸が漏れ出していたらしい。

警視庁の爆発物処理班がトイレから袋を持ち出したところ、強い刺激臭がしたため、営団は丸ノ内線の運転を約3分間停止。トイレ付近も一時立ち入り禁止にした。

駅員に「トイレで袋が燃えている」と最初に通報したのは35歳ぐらい、身長約175センチで紺のスーツを着たサラリーマン風の男性だったという。捜査本部が行方を捜すとともに、トイレの近くで不審な人物を目撃した人がいないか探している。《共同通信》



【村山富市首相】参院選後も現政権で

村山富市
https://www.kantei.go.jp/

村山首相は5日深夜、滞在先の上海市内のホテルで同行記者団と懇談し、7月の参院選で3与党の獲得議席が現有勢力を確保すれば村山政権を存続させるという自民党内の一部意見について「国会は議席の数で決まるという面もあり、無視できない」と述べた。

これは参院選での与党の議席合計が過半数に達すれば、社会党の選挙結果に関わらず自民、社会、さきがけ3党による現政権の枠組みを維持すべきだとの認識を示したものだ。これとの関連で保守2政党論を強くけん制した。《共同通信》

中国訪問中の村山首相は5日昼、西安市近郊の「兵馬俑博物館」見学した。兵馬俑は、戦国時代の中国を統一した秦の始皇帝の兵士と軍馬のほぼ実物大の埴輪。発掘現場がそのまま博物館となっており、数百体の俑が整然と並んでいる。

首相は、説明を受けながら「やあ、すごいね。2200年前のものだと言うんじゃから」と、中国の歴史のスケールの大きさにすっかり感動した様子。見学後、記者団に「(西安には)隋、唐の時代に阿部仲麻呂らが訪れ、日中交流の原点のようなものだ。戦後50年の節目の年に訪問し、歴史に思いをはせた」と感想を語った。首相自身に似た顔の俑はあったかとの質問には「わたしは東洋人の顔なので、じっと見ていれば似た顔があると思うが、そこまでは見届けられなかった」と苦笑い。

午後には唐時代の書を刻んだ「碑林」を視察。最後の訪問地である上海に到着した。《共同通信》

【日米自動車交渉】物別れ

橋本通産相とカンター通商代表は5日、日米包括経済協議の自動車・同部品分野で交渉したが、日本の自動車メーカーによる外国製部品の自主的な購入計画(ボランタリープラン)の上積み問題で歩み寄れず、交渉は物別れに終わった。

米国は日本の自動車部品に適用している通商法301条(不公正貿易慣行に対する報復措置)に基づき、6日にも制裁関税候補リスト公表など対日強硬策をとるものとみられる。その場合、日本は世界貿易機関(WTO)協定のルールに従い、制裁の妥当性をめぐって二国間協議を行う考えだが、現時点で具体的な日程は決まっていない。外国為替市場は同協議の推移に注目しており、週明けの円相場への影響も予想される。

この日の交渉は、米国側がボランタリープランの上積みに固執、民間の自主的な計画には口を出せないとする日本側の主張と真っ向から対立して、合意できなかった。

橋本通産相は交渉後の記者会見で「われわれとしてはカードを出し尽くした」と述べ、今後新たな提案を出すことはできないことを明言。再開条件として「米国がボランタリープランを取り下げること」を挙げた。

一方、カンター代表は「米国は対応策を検討するため週末に会合を開く。幅広い選択肢があるが、決定一は早いだろう」として6日に国家経済会議(NEC)を開き、対日制裁リストの公表など対日強硬策を早ければ同日中にも決定する方針を明らかにした。

通産相と通商代表は3日にも交渉したがまとまらず、4日の専門家会合で互いの主張を整理し合った上で交渉に臨んだ。補修用部品の規制緩和ではほぼ主張が一致したとみられるが、外国車を扱う販売店網の拡充については米国が、日本が拒否し続けている数値目標を含んだ要求を打ち出したため話がまとまらなかった。

交渉の決裂を受けて米国は、301条の制裁候補リストの公表などに踏み切る公算が強まっており、その場合は日本側は「リストを出せば世界貿易機関(WTO)協議を要請せざるを得なくなる」(橋本通産相)との方針で、WTO協定に基づき国際ルールの下で紛争解決を目指すことになる。

1993年7月から始まった日米自動車協議は昨年10月、日本市場への外国車の参入度合いを測る客観基準で対立し、まとまらなかった経緯がある。今年に入り、補修部品の規制緩和など議題を3点に絞り交渉を続けてきた。《共同通信》

5月5日のできごと