平成1422日目
1992/11/29
この日のできごと(何の日)
【競馬・ジャパンカップ】
競馬ジャパンカップ(29日・東京競馬場)日本のダービー馬、トウカイテイオーが日本で初の国際G1レースを制した。日米欧豪の超一流馬14頭と約17万の観衆を集めて行われたレースは、レガシーワールド、ドクターデヴィアスの先行争いで始まったが、直線に入ると好位に待機していたトウカイテイオーが抜け出し、ゴール前でナチュラリズムとの壮絶なツバぜり合いを首差に振り切り、2400メートル(重)2分24秒6のタイムで快勝した。
日本馬の優勝はカツラギエース、シンボリルドルフに次ぎ7年ぶり3度目。トウカイテイオーとシンボリルドルフはJC史上初の親子二代制覇を果たし、両馬に乗った岡部幸雄騎手も初の2勝騎手となった。
ユーザーフレンドリーは6着に沈み「外国の一番人気は勝てない」ジンクスに屈した。三番人気のレッツイロープはレース中に鼻出血して七着に終わった。同レースの売上金315億1617万円は、昨年の237億9129万円を破る新記録。
トウカイテイオーは北海道新冠町長浜牧場生産の牡5歳馬、父シンボリルドルフ、母トウカイナチュラルの血統で10戦8勝、G1制覇はさつき賞、ダービーを加えて三度目。収得総賞金は4億9239万9500円。松元省一調教師と馬主の内村正則氏はいずれも初優勝。《読売新聞》
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【ゴルフ・青木功選手】今季2勝目
ゴルフ・カシオワールド最終日(29日・鹿児島指宿GC開聞コース=パー72)—50歳のベテラン青木功がトップを快走し11アンダー、277で3年ぶり2度目の優勝を飾り賞金2700万円を獲得した。今季は5月の三菱ギャランに次ぐ2勝目で、通算では海外の5勝(シニア1勝を含む)と合わせ61勝目。 2位には5バーディー、ノーボギーの陳志明が入り、今季4人目の1億円プレーヤーとなった。3位に食い込んだ渡辺司は賞金ランク16位に浮上、日本シリーズの出場権を得た。
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2打差で追う水巻が序盤で崩れ、余裕の61勝目となった青木は「最後がよければ、すべてよし。いい一年だった」。9月に米シニアツアーのネーションワイド選手権に勝ち、2か月後にはレギュラーツアーに優勝の快挙だ。「50歳にもなってカッカする。そんなところが、今も若い人と一緒にやっていけるのかもしれない」と話し、「挑戦、競争、闘争心の三つがなくなったらゴルフをやめる。でも死ぬまでなくならないと思う」とも。来月7日には再渡米して米シニアツアー最終戦に挑む。《読売新聞》
【阪神・新庄剛志内野手】契約更改
阪神の今季の躍進に貢献した亀山外野手、新庄内野手(管理人注・92、93年は内野手登録)ら若手4選手が29日、甲子園球場内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、新庄内野手は360%増の年俸2400万円でサインした。その他の3人は保留した。(金額は推定)《共同通信》
【京都・南座】顔見世始まる
東西の歌舞伎役者が勢ぞろいする京都・南座の顔見世が、29日始まった。昨年は改装記念の2か月のロングラン興行で11月初めの開幕だったため、2年ぶりに年の瀬を感じさせる初日となった。
午前10時の開場時には、まねき看板の下で約200人が待つ人気ぶり。舞台は「矢の根」でスタート。曽我五郎役の坂東八十助が大見得を切ると、客席から「大和屋」と声が飛び、大きな拍手がわいた。《読売新聞》
【自民党・森喜朗政調会長】「マル優引き上げを」
自民党の森政調会長は29日、宮崎市で開かれた同党政経文化パーティであいさつし、来年度予算編成に関連し「お年寄りが公定歩合の引き下げで苦しんでいる。マル優非課税枠のことも最大限配慮してやらなければならない」と述べ、高齢者などの預貯金利子の非課税限度額、いわゆる老人マル優を現行の300万円から引き上げる考えを示した。《共同通信》
【自民党・小渕恵三前幹事長】「羽田君もいたのに…」
派分裂が秒腕み段階に入っている自民党竹下派の小渕恵三・前幹事長は29日、地元・群馬県高崎市での後援会会合での講演で、分裂の一方の旗頭となっている小沢一郎・元幹事長グループの羽田孜蔵相について、「羽田君も一年くらい前は、『小渕さん、しっかり手を握って、橋本(龍太郎・元蔵相)さんも入れて三人で、小沢君に対抗しよう』と言っていたが、今度はそっち(小沢グループ)の方の頭になっちゃった」と、竹下派内の水面下での複雑な権力闘争をめぐる“秘話”を暴露した。
さらに小渕氏は、幹事長時代に党選挙制度調査会長の羽田氏とともに、結果的には廃案となった政治改革関連三法案の成立に向けて努力したことを振り返った上で、「(羽田氏とは)考え方に違いはないし、やろうとすることも同じだ。だから(派を)二つに分けてしまってというのは甚だ訳のわからないことだ」とぼやきも。
これは、小沢グループ側が、自らを「改革派」と称し、小渕氏側を「守旧派」と呼んで、分裂の正当性を訴えていることに強く反発、反論したもので、「スローガンだけ上げて、片方は新しく、片方は古くてものにならないというのはフェアじゃない」と訴え、双方の感情的なしこりの大きさをうかがわせた。《読売新聞》