平成1255日目

1992/06/15

この日のできごと(何の日)

【 PKO協力法案】成立

国連平和維持活動(PKO)協力法案をめぐる国会の大詰めの攻防の中で、あくまで法案の成立阻止を目指す社会党(137人)と社民連(4人)両党は15日午前、両党の全衆院議員141人の議員辞職願を桜内義雄・衆院議長に提出した。しかし、桜内議長は受理せず、取り扱いを衆院議院運営委員会の協議にゆだねたため、事実上、議長預かりとなったが、この問題をめぐる各党協議は調整がつかず、15日午前10時に予定されていた衆院本会議の開会は午後にずれ込んだ。

自民、公明、民社3党は、15日中に本会議を開き、法案採決の手続きに入るものの、採決そのものは16日に行い、法案の可決、成立を図る方針だ。

また、自民党が12日夜提出した宮澤内閣信任決議案は14日午後、自公民3党などの賛成多数で可決された。《読売新聞》

わが国の国際貢献のあり方をめぐって3国会にわたり激しい攻防が続いた国連平和維持活動(PKO)協力法は15日夜の衆院本会議で、国際緊急援助隊派遣法改正とともに、自民、公明、民社3党などの賛成多数で可決、成立した。

PKO協力の枠内で、自衛隊を初めて組織ぐみで海外派遣する道を開いたわけで、憲法論議、また、わが国の国際貢献のあり方を考える上で大きな意味を持つといえる。

法案の成立阻止を目指し、議員辞職願を桜内衆院議長に提出した社会党、社民連の全衆院議員は本会議を欠席した。

こうしたPKO法案をめぐる対立のあおりで、衆院定数是正など政治改革の今国会での実現は困難な情勢で、国会は延長なしに、21日に閉会する見通し。

宮澤首相は、社会党の衆院解散・総選挙要求には応ぜず、衆参同日選挙は回避する意向を固めていることから、政局の焦点は、単独で実施されるとみられる参院選(7月26日投票の予定)に移る。《読売新聞》

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【WBAジュニアフライ級タイトル戦】井岡弘樹選手が2度目の防衛に成功

世界ボクシング協会(WBA)ジュニアフライ級タイトルマッチ12回戦(15日・大阪府立体育会館)―チャンピオン井岡弘樹(23)(グリーンツダ)が同級7位、金奉準(28)(韓国)を判定で破り、二度目の防衛に成功した。

リーチとスピードにまさる井岡は、左ジャブで金の接近戦を阻み、左右のカウンターを当てて前半は優位に展開。後半はスタミナ切れで手数が減り、金の反撃を許したが、何とか逃げ切った。金はストロー級に続く二階級制覇に失敗した。

二階級制覇の夢を断たれた金は「自分はスロースターターで、ラッシュするのが遅すぎた。最後は倒さなきゃいけないと思ったのだが……」と、悔しそう。ただ、「井岡はジャブが良く、カウンターも鋭かった」と王者の実力を認め、趙マネジャーも「判定に不満はない」。《読売新聞》

【カンボジア】政府軍が反抗開始

国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)の軍事スポークスマンは15日、カンボジア北部のプレーア・ビビア州でポル・ポト派の攻撃にさらされていたプノンペン政府軍が反攻に転じ、この日までに州都トベエン・ミエンチャイを奪回したことを明らかにした。

同州北部はポト派の拠点の一つで、今月に入ってから攻勢に出るポト派とプノンペン政府軍との間で激しい戦闘が行われていた。《読売新聞》

【中国・江沢民総書記】「改革の加速」訴え

15日付の中国各紙は、江沢民総書記が今月9日、中国共産党中央党校で行った講話を伝える新華社電を一面トップで掲載した。この中で、江総書記は最高実力者・鄧小平氏の今年初めの「重要講話」の会得・実施と、経済建設、改革・開放の加速を改めて幹部に求めた。

江総書記は、「国民経済には積極的な発展の速度が必要である。遅いのはよくないし、とどまって前に進まないのはさらに悪い」と述べ、均衡の取れた発展を主張する計画経済重視グループに反論した。江総書記はまた党内左派の弊害に言及し、「建設と改革の中で新たな道を開き、生産力の発展を阻害する現有のモデルと方法を改善しなければならないとし、それを阻む力は、しばしば主に“左”から来る」と、市場経済の拡大で西側の思想が流入することに警戒的な保守派を批判した。

改革派が主導権を握ってからも各機関の保守派の抵抗は根強く、「効率のある速度が最も速い速度」との論法で、改革開放加速政策にタガをはめようとしたり、89年の「六・四」天安門事件直後の鄧氏の発言を引用して「ブルジョア自由化」反対の主張を繰り広げるなど、保守派が「鄧小平講話学習」の名を借りて鄧小平路線を封じ込めようとする論調がしばしばマスコミに登場している。《読売新聞》

【日本体操協会】内紛再燃

日本体操協会の山崎隆一女子競技委員長代行と塚原千恵子女子ナショナル強化部長が十15日、同協会に辞表を提出した。また塚原部長の夫で、バルセロナ五輪支援コーチの光男氏(協会常務理事)も同日、五輪終了後の条件付きで、辞任願を出した。

女子体操界は、昨年11月の全日本選手権での選手大量ボイコット事件からごたごたが続いているが、五輪派遣役員を巡っても、女子委員会が審判として推薦した塚原部長について、横山修二会長ら協会執行部が反対して、常務理事会で決定を覆した経緯があり、辞表提出は執行部への抗議の意思を表したものと見られる。

塚原千恵子女子ナショナル強化部長の話「審判に推薦されていたのが変更されたのに、私がなぜ駄目なのか明確な説明がなかった。それだけのことでなく、日本の強化について、私たちのやり方にことごとく反対されて、とてもやっていけないからだ」

遠藤幸雄・体操協会専務理事の話「バルセロナ五輪を控えた大事なこの時期になぜこういう行動に出たのか分からない。何とか説得して辞表を撤回してもらうつもりだ。塚原(光男)君も支援コーチに加わってもらい、全力でバルセロナに向かうことを話し合ったばかりだったのに。残念でならない」《読売新聞》

【今西錦司さん】死去

独自の「今西進化論」を打ち立てた生態・人類学者で、登山、探検家としても知られる文化勲章受章者、京都大名誉教授の今西錦司さんが、15日午後7時33分、老衰のため京都市北区の病院で亡くなった。91歳だった。

今西さんは明治35年、京都・西陣の織元の長男として生まれ、昭和8年、京都大大学院理学研究科を修了。カゲロウの幼虫の生態観察を通じて五つの種社会に分類できることを知り、それぞれの種社会は「棲み分けによる共存で維持、発展していく」とした理論を発見。競争原理としたダーウィンの進化論を批判した。

戦後は京大人文科学研究所に移り、34年教授に。主に東アフリカをフィールドに、霊長類の進化について実証的研究を行った。京都学派の代表的学究で、京大霊長類研究所、財団法人・日本モンキーセンターの創設にも奔走した。40年に定年退官、42年から六年間、岐阜大学長を務めた。47年度文化功労者、54年に文化勲章を受章した。

マナスルの踏査、カラコルムの学術調査などに活躍。日本山岳会会長も務め、60年11月には83歳で前人未到の「日本1500山登頂」を成し遂げた。

最後まで「死後50年たってもなお評価される仕事をしたい」と今西進化論の完成に心血を注いだ。《読売新聞》



6月15日 その日のできごと(何の日)