平成1245日目

平成4年6月5日(金)

1992/06/05

【PKO法案】参院特別委員会で可決

今国会最大の争点の国連平和維持活動(PKO)協力法案をめぐり、自民、公明、民社3党は5日午前3時40分すぎ、参院国際平和協力特別委員会で共同修正案と併せて同法案を3党の賛成多数で強行可決した。やじと怒号、混乱の中での採決となった。国際緊急援助隊派遣法改正案も自公民3党の賛成多数で強行可決された。

自公民3党は両法案の今週中の参院通過を目指す立場から、議長職権により午後10時31分、本会議を開会。延会手続きを取り、直ちに休憩。6日未明に再開された本会議に両法案を緊急上程した。

これに対し社会、共産両党などは特別委の採決を「無効」として強く反発。本会議には応じたものの、関係閣僚らに対する問責、解任議決案を突き付け、牛歩投票で厳しく対応する構えだ。《共同通信》

国会は5日午後10時半、国連平和維持活動(PKO)協力法案と国際緊急援助隊派遣法改正案を採決するための参院本会議を長田裕二参院議長の職権で開会した。延会手続きの後、6日午前0時半から開かれた本会議では、社会、共産両党が井上孝・参院議院運営委員長の解任決議案、宮沢首相らの問責決議案を提案、牛歩戦術で引き延ばしを図り、昭和63年11月の消費税法以来2年ぶりの徹夜本会議となった。両法案は自民、公明、民社3党の賛成で参院を通過、衆院に送付される運びだが、決議案等の採決に時間がかかるため、同法案可決は早くて6日午後になる見通しだ。《読売新聞》



【宮沢喜一首相】「社会党の暴力は言語道断」

参院国際平和協力特別委員会での国連平和維持活動(PKO)協力法案の採決をめぐり、宮沢首相が社会党の対応を厳しく批判し、従来にない首相の変身ぶりがひときわ目を引いた。採決の混乱イメージを避けると同時に社会党の「議会制民主主義を無視する行動」(自民党幹部)を浮き彫りにしようという政府・自民党の戦略に沿ったもので、同法案を何としても今国会で成立させようという強い決意からでもあるようだ。

採決直後の5日未明、委員長席での社会党議員の乱暴に「暴力はいけない。言語道断だ」と非難した首相は、一夜明けた5日も、「強行採決でない。社会党が暴力をふるったんだ」と批判。また、「報道はちゃんとしてもらわないと困る」と番記者をさとす場面も。首相は本来、少数意見を尊重し、審議も十分尽くすべきという立場。それが、社会党批判に及んだのは、昨秋の衆院での委員会混乱の反省に加え、法案成立に向け、公明党対策を重視したため。同党は社会党の物理的抵抗を懸念するとともに自社ペースの国会対策に警戒感があり、その懸念を一掃しようという狙いだ。

もっとも、首相自身、昨秋「国会のことですから」と発言して、与野党から猛反発を受けた経緯があり、国会対策への気配りを重視した面もあるようだ。《読売新聞》

【自民党・金丸信副総裁】PKO法案「成立なら同日選ない」

自民党の金丸副総裁が5日、同行記者団との懇談で、衆参同日選の可能性が薄くなったとの見方を示した背景には、同日選見送りを求めてきた公明、民社両党が国連平和維持活動(PKO)協力法案の成立に向け、自民党と完全に足並みをそろえたことへの配慮が働いているといえそうだ。

金丸氏はこのところ、7月の参院選について、「自民党候補が仮に全員当選しても、過半数を回復できるわけではない」として、あえて同日選にする理由はないとの立場を取ってきた。3年後に同日選を打ち、衆参両院で過半数を獲得するという戦略を前提にしているともいわれている。 自民党としては、参院での与野党逆転状況の続く国会運営を考慮した場合、公明、民社両党との連携を維持せざるを得ず、両党の意向は無視できない。ただ、社会党内では、PKO法案の成否にかかわらず、衆院解散、衆参同日選に追い込むとの戦略も練られており、解散問題をめぐる駆け引きが続きそうだ。《読売新聞》

自民党の金丸副総裁は、5日、入院中の渡辺美智雄外相について、「手術すれば、簡単にいくと思う。外相を辞めるということではなくて、しばらく休養し、回復したら元に戻るということだ」と述べ、辞任の必要はないとの考えを示した。《読売新聞》

【ユーゴ連邦軍】サラエボから撤退開始

現地からの報道によると、民族紛争が泥沼化しているボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボで5日午前(日本時間同午後)、「チトー元帥」駐屯地など数か所の駐屯地から国連防護軍(UNPROFOR)の護衛で連邦軍が撤退を開始した。

サラエボ放送によると、同駐屯地から、50台以上のトラックと約20台のバスが撤退を始めた。地元の放送局が撤退終了まで外出しないように呼びかけたため、市内は平穏を保っているという。連邦軍が武器を放棄して撤退するか、持ち帰るのかがサラエボからの連邦軍撤退問題の焦点になっていたが、撤退の規模から判断すると、国外に持ち出すものと見られる。スロベニア、クロアチアから撤退した際は、すべての武器を持ち出した。

この撤退で、最後に残った連邦軍の主要な将兵と家族約800人がセルビア共和国に引き揚げることになり、サラエボ市内の主要な紛争の火種が消えることになる。しかし、元来ボスニアの市民権を持つ徴兵セルビア人兵士は撤退しないため、撤退が最終的な戦闘の終結を即座にもたらすとは考えにくい。《読売新聞》



6月5日のできごと