平成1237日目

平成4年5月28日(木)

1992/05/28

【歌手・藤山一郎さん】国民栄誉賞受賞

「青い山脈」など歌謡史に残る数々のヒット曲で知られる歌手の藤山一郎さん(81)に28日、史上9人目の国民栄誉賞が贈られた。

首相官邸で行われた表彰式に出席した藤山さんは、車いすから降り、ステッキで体を支えながら妻のいくさんと会場へ。宮沢首相は「わが国歌謡界の発展と美しい日本語の普及に貢献され、国民に希望と励ましと安らぎを与えました」と表彰状を読み上げ、盾と記念品の懐中時計を手渡した。

藤山さんは、「これまで紫綬褒章、勲三等を頂きましたが、いずれも陛下から。今回は国民の代表の首相から頂き、国民として感激です」と謝辞を述べ、「お礼に一曲」と、ベートーベンの「歓喜の歌」を力強い発声で歌い上げた。《読売新聞》



【サッカー・柴崎岳さん】誕生日

柴崎岳さん
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【宮沢喜一首相】野党党首と会談

宮沢首相(自民党総裁)と、田辺・社会、石田・公明、不破・共産、大内・民社各党委員長との個別の党首会談が28日午後、首相官邸で開かれ、終盤国会の焦点である国連平和維持活動(PKO)協力法案、政治改革問題などについて意見交換した。

首相は、PKO法案は十分審議が尽くされているとして、参院でのすみやかな採決を要請。社会党が、自公民3党間で詰めている修正案に反対の立場から慎重な審議を求めたのに対し、公明、民社両党は、平和維持隊(PKF)本体への参加凍結、国会の事前承認を柱とした修正を図り、今国会成立を目指す姿勢を強調、自公民3党の枠組みを確認した。

また、衆院定数是正で、自民党が調整を進めている9増10減案に対し、社会、公明両党は、協議に応じる考えを示した。

政府・自民党は、この党首会談を通じて、PKO法案については自公民を軸に成立を目指す環境が整えられつつあると判断。29日に、自社公民4党、続いて、自公民3党の幹事長・書記長会談を開いて、同修正案を話め、来月1日に参院に提出する構え。国会は、来週以降、大詰めの攻防が展開される。

社会党の田辺委員長は、会談で、PKO法案について、「国論は二分されている」と指摘、別組織をつくるとした一昨年の自公民3党合意を原点に、法案を見直すよう主張。現在、自公民間で検討されている修正内容を批判し、修正案の十分な審議を求めた。

首相は、参院での審議時間が、締めくくり質疑を含めると100時間を超えること、法案は、PKO参加5原則などで憲法との関係も考慮していることを挙げ、今国会成立に向けて協力を要請した。

公明党の石田委員長は、PKO法案について、先に大内・民社党委員長との会談で合意した、今国会での成立をはじめとする4項目を説明。同時に、社会党が、採決に当たって物理的抵抗をした場合の対応について、同席した市川書記長は「状況によっては採決に加わる」と、従来の姿勢を転換する考えを示した。また、石田氏が、憲法違反の疑いのある衆参同日選挙は行わないことを明言するよう迫ったのに対し、首相は「よく承りました」と答えた。

民社党は、連合参院の同調を求めるよう、努力すべきだと主張、具体的に、自衛隊の中に、PKO参加の待機部隊を設けることを検封するよう提案した。共産党の不破委員長は、PKO法案反対の立場から、修正案への本格的な審議を要求した。《読売新聞》

【野球・藤村富美男さん】死去

プロ野球阪神タイガースの往年の強打者で監督も務め、「ミスター・タイガース」といわれた藤村富美男さんが28日午後1時10分、ジン不全のため神戸市中央区の病院で亡くなった。75歳だった。

藤村さんは広島県呉市の旧制呉港中時代、投手として夏の甲子園大会に4年連続出場し、昭和9年の第20回大会で優勝。同11年、阪神入団後、打者に転向したが、阪神球団の記録によると、投手としても24勝を挙げている。同33年の現役引退、退団まで名三塁手、看板打者として活躍、タイガースの黄金時代を築いた。

物干し竿といわれた37インチ(約94センチ)の長いバットを愛用、昭和24年には46本の本塁打を放って最高殊勲選手に選ばれるなど、首位打者1回、打点王5回、本塁打王3回獲得。終身打率3割。この間、同21年と31、32年の3年間は監督を兼任、「背番号10」はタイガースの永久欠番になっている。同43年に球界を去り、49年、野球殿堂入りした。

その強烈な個性と闘志あふれるプレー、そしてファンサービスに徹したショーマンぶりは、スタンドを熱狂させ、ライバルの巨人・川上哲治氏と人気を二分した。「ミスター・タイガースは、今でも藤村さん」。派手なプレーとは裏はらに努力家で研究熱心な職人肌の性格だった。打撃開眼することになった“物干し竿”のヒントは、遠征先で初めて手にしたゴルフのドライバー。「バットも長いほど遠心力がついて遠くに飛ばせる」と早速運動具店に注文、猛練習で使いこなして一躍長距離打者に生まれ変わった。豪快でひたむきな野球人生が多くのファンをひきつけた。

球界引退後の昭和51年、サラリーマンをしていた藤村さんは、テレビの人気番組「新・必殺仕置人」にレギュラー出演。藤田まことさんら仕置人グループ一の総元締め「虎」に、ふんし、ファンを喜ばせた。

藤村さんは7年前に心筋コウソクで倒れて以来、入退院を繰り返し、最近は持病の糖尿病で足、目を悪くし、寝たきりの状態だった。4月下旬、体調を崩して再入院。27日夕から容体が急変し、意識は戻らなかった。

今シーズン好調が続く阪神の戦いぶりには、看病の妻衣代さん(72)が「タイガースがまた勝ったよ」と伝えると、うれしそうな顔を見せ、見舞いに訪れた親類に「中村監督にこの調子で頑張るよう伝えてくれ」と頼んでいたという。

午後7時すぎ、弔問に訪れた村山実・元阪神監督は「安らかなお顔でしたが、大きな体が少し小さく見えました。藤村さんの引退試合が私のプロ野球初登板のオープン戦。甲子園のネット裏で藤村さんと一緒に撮った写真をカレンダーにしたいと思っていた矢先だっただけに信じられません」と話していた。

川上哲治・元巨人軍監督「甲子園大会の決勝で熊本工は呉港中に敗れたが、投手の藤村さんの球は真っすぐもドロップもすごく、一度チップしただけの3三振だった。プロに入っても巨人と阪神の四番打者同士で戦ったが、闘志の権化のような人で、まさに猛虎を代表していた。長いバットを見て戦前使おうと思ったが、難しいのでやめた。心からごめい福をお祈りしたい」



5月28日のできごと