平成1236日目

平成4年5月27日(水)

1992/05/27

【大相撲・曙関】大関昇進

初優勝の次は大関―大相撲夏場所で優勝した関脇曙(23)(米国ハワイ州出身、東関部屋)の大関昇進が、27日午前9時から東京・両国国技館で開かれた日本相撲協会の名古屋場所番付編成会議、理事会で決まった。協会からは直ちに墨田区東駒形の東関部屋に使者が立ち、曙に昇進を伝えた。外国人大関は小錦に次いで史上2人目。昭和以降では65人目、平成では2人目の大関になる。

初優勝を果たしてから3日。「大関の地位をけがさぬよう、けいこに精進いたします」。口上は緊張で途切れがち。目にはうっすら涙が浮かんでいた。

曙は、外国人関取第一号の元関脇高見山(東関親方)の弟子で、ライバルの貴花田、若花田と同じ昭和63年春場所初土俵。26場所での大関昇進は、6場所制では小錦の30場所の記録を破るスピード出世となる。《読売新聞》



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【宮沢喜一首相】解散論「私の考え代表せず」

宮沢首相は27日の参院国際平和協力特別委員会で、政府、自民党首脳から衆院解散に言及する発言が相次いでいることについて「解散は総理大臣の私が決断すべきことで、私以外がこのことを言うのは自由だが、私の考えを代表したものではない」と述べ、解散は首相の専権事項であることを重ねて強調した。《共同通信》

【ロシア・エリツィン大統領】日ロ平和条約「来年中に締結を」

ロシアのエリツィン大統領は27日付のロシア紙「コムソモリスカヤ・プラウダ」(本紙特約)のインタビューの中で、日ロ平和条約について、「1993年末までに締結することが望ましい」と述べた。大統領は今月初旬の渡辺美智雄外相との会談で北方領土問題解決と日ロ関係改善に意欲を示していたが、日本との平和条約締結の具体的な時期について表明したのは、これが初めて。

ロシアは北方領土問題について、国後、択捉、歯舞、色丹の四島のうち、1958年の日ソ共同宣言で日本への引き渡しが明記されている。歯舞、色丹の二島については、「法と正義」に基づき日本に返還す方向で政府内の調整を続けており、大統領の発言は二島返還決定に伴い平和条約締結を図りたいとの意向を強くにじませたものと見られる。《読売新聞》

【日本新党】一次候補4人発表

日本新党を結党した細川護熙代表(前熊本県知事)は27日、都内で記者会見し、夏の参院比例選の候補者として、第一次分4人の氏名を発表した。 候補者の顔ぶれは、武田邦太郎・武田新農政研究所長(75)、小島慶三・日本立地センター理事長(75)、寺沢芳男・多数国間投資保証機関(MIGA)長官(60)、山口和之・福島県地域づくりネットワーク21会長(45)。今回の人選について細川氏は、「党として何より農業に重点を置いて取り組むという意思表示のあらわれ」と説明した。

新党結成の際の記者会見で、細川氏は「各界の専門家に出馬を要請する」としていたが、その通り、それぞれ農政、国際金融、むらおこしのベテラン。記者会見に臨んだ武田、小島両氏は、深刻な農業後継者の不足や地域振興のための農業の重要性を淡々と語り、山口氏は、「(過疎地の)生きるか死ぬかの瀬戸際に追い込まれた者の気持ちを分かってほしい。だれかがやらなくては」と訴えた。

いずれの候補者も細川氏が熊本県知事だったころからの知り合いで、個人的なつながりから今回の出馬表明となったが、「意外に地味な顔ぶれ」との声も。「新しい日本を創造する」との掛け声で発足した新党だけに、「だいぶ高齢だ。若々しい人でないとブームにならないのではないか」(政府首脳)、「細川氏は若いというイメージなのに、これでは……(自民党首脳)など、その“落差”に冷ややかな反応が目立つ。《読売新聞》

自民党の西岡武夫・前総務会長を中心とする政策集団「青々会」は27日の会合に、日本新党の細川護熙代表を招き、意見交換した。新党結成を決意するに至った考えを聴く趣旨で開いたもので、細川氏は、既成政党の枠組みから脱し、中央集権から地方分権の政治への転換を図ることに眼目があると説明。 同時に、新党結成が当初描いていたシナリオより早まり、準備不足のままスタートしたことを率直に認めた。《読売新聞》

【竹下登元首相】軍備管理・難民など協力

訪米中の竹下元首相は27日夜(日本時間28日午前)、ニューヨークのホテルで開かれた日本協会の夕食会であいさつした。

竹下元首相は、日本の果たすべき国際的な役割について、「世界経済の拡大と発展のための内需拡大」を挙げるとともに、「それに加えて、開発途上国や市場経済化を進める諸国に対する経済技術協力、軍縮・軍備管理、地球環境保全、難民対策の四分野が特に重要だ」と強調した。

このうち軍縮・軍備管理については、「旧ソ連の核兵器解体に伴う資金、技術協力も念頭に置いた発言」(竹下氏周辺)とされており、今後の政府の対ソ支援策策定にも影響を与えそうだ。《読売新聞》

【サラエボ】激しい戦闘

現地からの報道によると、ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国のSRNA通信は、同国のイスラム教系部隊が27日夜(日本時間28日未明)、新ユーゴスラビア連邦軍施設やセルビア人地区に対し、攻撃を開始したと伝えた。この攻撃は、サラエボ市中心部に27日昼、迫撃砲弾が撃ち込まれ、少なくとも360人が死傷したことに対する報復攻撃と見られる。この結果、コズイレフ・ロシア外相の仲介によるサラエボ空港再開など、イスラム教系とセルビア系住民の停戦合意はまたしても破棄され、ボスニア内戦は再び泥沼状態に逆戻りする事態となった。

SRNA通信によると、サラエボ市内全域で、27日夜からイスラム教系の攻撃が始まった。市中心部で激しい戦闘が行われ銃撃戦が続いており、同市中心部のチトー元帥基地内にある連邦士官軍学校などが攻撃の重点的対象になっている。連邦軍が占拠しているサラエボ空港の奪還作戦も行われているという。

また同通信が軍事筋の話として伝えたところによると、停戦合意に基づきボスニアから撤退中だった連邦軍に対しても攻撃が加えられたという。ボスニアのBHプレス通信も同日、同市を取り巻く丘陵地帯からセルビア系住民が迫撃砲を相次いで発射、市内での銃撃戦と合わせ、「まるで地獄のようだ」と語る目撃者の話を伝えた。

タンユグ通信によると、ボスニアの内戦での死者と行方不明者が5190人に上り、1万8400人が負傷したという。《読売新聞》

【漫画家・長谷川町子さん】死去

漫画「サザエさん」で読者に笑いを提供し、その主人公を戦後日本を代表する人気キャラクターに育てた漫画家の長谷川町子さんが、5月27日、自宅で死亡していたことが、6月30日に明らかになった。本人と遺族の意思によって公表が控えられていたためだが、生前、公の場にほとんど出ることもなく、取材ぎらいで通っていた長谷川さんらしく、最後まで筋を曲げない人生だった。

長谷川さんは、5月27日午前6時、東京都世田谷区の自宅で、冠動脈硬化症による心不全のため死去した。72歳だった。生前、姉の毬子さん(74)と「入院、手術はしない」「葬儀・告別式はせず、密葬」「納骨が終わるまで公表しない」ことを約束していたといい、6月30日、東京・多磨霊園に納骨したのを機に公表された。

佐賀県生まれ。東京・山脇高等女学校在学中の昭和9年から「のらくろ」の作者の故田河水泡氏に師事、15年から17年まで「少女倶楽部」に「仲良し手帖」を連載した。長谷川さんの名前を一躍、全国的にしたのは戦後の21年から、新聞に連載された四コママンガ「サザエさん」だった。

最初は福岡の「夕刊フクニチ」に連載。24年から「朝日新聞」に移り、以降25年間、家庭漫画の代表として人気を得た。

この作品で37年に文芸春秋漫画賞を受賞。41年からは「サンデー毎日」に「いじわるばあさん」を連載し、この二つの作品で国民的漫画家の地位を固めた。しかし、53年に漫画による自伝「サザエさんうちあけ話」、62年に「サザエさん旅あるき」を発表した後は、第一線からは身を引いていた。

漫画と違って実生活では、独身を通し、姉との二人暮らしだった。60年には自らの原画や収集した美術品を展示した。「長谷川美術館」を世田谷の自宅近くに開館した。昨年、「国民的キャラクターを作って、人々に夢と希望を与えた」功績で日本漫画家協会賞の文部大臣賞を受賞。紫綬褒章(57年)、勲四等宝冠章(平成2年)なども受章している。

「サザエさん」は、家庭漫画の一つのスタイルを確立したという意味で、日本漫画史に残る作品だった。サザエさん一家の三世代同居、10人家族という舞台装置は、スタート当時こそ普通の家庭だったが、核家族化が進んだ現代では見慣れたものではない。それにもかかわらず現在も多くのファンを持つのは、そこに日本人の家庭観、家族観の原風景があるから。展開するドラマも、極めて平均的、日常的なもので、そこに読者は親しみを感じた。平凡な生活の中の庶民の笑いという、いわばその後の新聞漫画の完成者が長谷川さんだったとの見方が定着している。《読売新聞》



5月27日のできごと