平成899日目
1991/06/25
この日のできごと(何の日)
【京都・JR福知山線】電車がトレーラーと衝突
25日午前8時18分ごろ、京都府福知山市堀法川のJR西日本・福知山線福知山-丹波竹田間の岡踏切(警報機、遮断器付き)で、大阪発城崎行き普通電車=A見習い運転士(33)、3両編成=が、立ち往生していた大型トレーラー=B運転手(49)=に衝突、一両目が脱線して右側の土手に突っ込んだ。
電車(定員336人)は通学の高校生や通勤客らで超満員で、指導していたC運転士(51)と乗客1人が重傷、307人が軽傷を負い、同市内などの8病院に収容された。
トレーラーに積んでいたパワーショベルが、架線を防護する鉄製注意標に引っかかったのが原因で府警捜査一課と福知山署はB運転手を過失往来危険などの現行犯で逮捕した。
調べによると、注意標は高さ4.5メートルで、架線を守るために踏切の両側に設置されている。トレーラーが踏切を渡ろうとした際、荷台のパワーショベルのアーム先端が注意標に引っかかり、B運転手が動かしているうちにパワーショベルが線路上に落ちた。約3分後、警報機が鳴り出し、近くにいた人が線路上を走って電車に知らせたが、間に合わなかったという。
A見習い運転士は昨年11月、福知山車掌区所属の車掌から運転士になり、JR西日本の研修所で学んだあと、本線上で実地訓練していたという。この日はC運転士の指導を受けながら運転、同社は「見習い運転は規則通りで、事故とは関係ない」としている。同福知山支社は現地に対策本部を設置した。
電車は、パワーショベルを引きずり、約30メートル先で1両目が脱線。運転席がへこんで右側に大きく傾き、約2メートル下の線路わきに倒れかかった。トレーラーも運転席を小破、踏切わきで横向きになった。《読売新聞》
昭和64年1月1日〜このサイトをご覧頂いている日の一週間前まで、すべての日の「何らかの」できごとを記しています。
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【クロアチア、スロベニア共和国】ユーゴスラビアからの独立を宣言
クロアチア、スロベニア両共和国は25日夜、ユーゴスラビア連邦から一方的に離脱し、独立主権国家となる、と宣言した。これによりユーゴ情勢は、連邦制度が事実上解体し、今後、国家連合への移行か内戦突入かという極めて不安定で危険な局面に突入した。《共同通信》
【プロ野球・ヤクルト】12連勝
ヤクルト16-5巨人◇25日◇松本
首位ヤクルトが今季両リーグ最多の20安打で16点を奪い巨人に大勝、球団最多の連勝を12と伸ばした。12連勝はプロ野球7年ぶり。《共同通信》
【海部俊樹首相】政治改革「政治生命かける」
海部首相は25日夕、自民党本部で各派領袖と順次会談し、選挙制度審議会の区割り答申を踏まえ、政治改革の実現に向け協力を要請した。首相は竹下派会長の金丸元副総裁らとの会談で「政治改革のため全政治生命をかけたい」と固い決意を表明、これに対し金丸氏をはじめ各派領袖は原則的に協力を約束した。《共同通信》
【カンボジア】「SNC」本格始動へ
タイの保養地パタヤで開かれているカンボジア紛争四派の「最高国民評議会」(SNC)は25日、SNC本部の所在地をプノンペンとすることで合意した。これにより、新生カンボジアの国家主権をになうSNCが本格的に動き出す見通しとなったが、この日の会議後に記者会見したシアヌーク殿下は、8月中旬にもカンボジアへ戻り、SNC最高指導者としてプノンペンの旧王宮に定住する考えを明らかにした。
前日の会議で結論を持ち越していたSNC本部の所在地問題をめぐって、ポル・ポト派が全体会議の中断を要求。会議は夕方になってようやく再開された。この中断要求は、同派としてこの問題に対する最終的態度を決めるためで、同派は条件付きでプノンペンに本部を置くことに同意した。
この条件は①SNCのメンバー12人全員が身辺の護衛(複数)とともにプノンペンに居住する②パリ国際会議共同議長国の仏、インドネシア両国がプノンペンに常駐代表部を設ける③日米などパリ国際会議メンバー計18か国の外国使節がプノンペンに常駐する—などで、プノンペン政府側もこれを受け入れたという。
本部をプノンペンに置くことに難色を示していたポル・ポト派が条件付きとは言え譲歩したことは、四派内での孤立を避けようとしたものとみられるが、同派の“後見役”ともされる中国の働きかけがあったとも言われる。《読売新聞》
【方励之氏】中国の「改革」はポーズ
中国の著名な反体制派知識人として知られる天文物理学者の方励之氏(55)(米国在住)は25日、国際学術会議出席中の京都で読売新聞のインタビューに応じ、一昨年6月の天安門事件後に発生したソ連・東欧社会主義圏での変化を踏まえ、中国の将来などについて見解を述べた。インタビューの要旨は次の通り。
—天安門事件以降、北京の米国大使館への避難、出国、現在の米国での生活と目まぐるしく変化したが。
妻とともに出国して約一週間後に、北京の自宅に1人残っていた二男も出国が認められ、事件前から留学中の長男を含め一家四人全員が米国で元気に暮らしている。実は出国した1年前の25日、私は中国政府に要求していた新しいパスポート(5年間有効)を受け取った。今も使用しており、米国にいても「中国公民」に変わりない。(米国に)政治亡命する気も、その必要性も感じていない。
—内外ともに民主化運動が一時停滞しているが。
今は海外から国内に向け、人権や民主を呼びかけることが大切だと思う。過去十年間に大陸に多くの変化が現れたのも、情報量が増えて、日本や米国、台湾などの発展ぶりが伝えられ、人々の考えが変わったからだ。知人や友人に手紙を出したり、国際会議などの場で接触可能な中国人を通じて国内とのパイプを保とうと努力している。
―中国政府は最近、天安門事件で失脚した一部指導者を再登用するなど改革に向け努力しているように見えるが。
事件後、政府は国民に強い圧力をかけており、一方で改革のポーズを示す必要がある。現在の党内長老指導者が第一に考えているのは、国民生活の向上ではなく、党の権力保持であり、改革はそのためのものでしかない。われわれとしては、それでも良いから党に改革をやらせることが大切だ。周辺アジア諸国の変革が急ピッチで進んでいることから、中国も今後十年あるいは二十年ほどで変化の兆しが見えるかもしれない。長期的に中国はソ連・東欧のように福祉を備えたヨーロッパ型社会に向かって行くと思う。《読売新聞》